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【関西電力は昔は大阪送電→大同電力→名古屋電灯→宇
【関西電力は昔は大阪送電→大同電力→名古屋電灯→宇治川電気→関西電気→東邦電力→関西電力という順に社名が変わっていったのですか?】
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回答(1)再出 9電力体制ができる以前の第二次世界大戦以前の大阪市配電事業者の変遷(推移)については、次のURLの論文があります。調査結果に基づく裏付けがある情報と思われますので、信頼してよさそうに思います。 https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/04516281-119-1-103.pdf
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- vgemash
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正解です。関西電力は、その歴史の中で何度も社名を変更しています。以下にその変遷を簡単にまとめます。 1906年に大阪府下の送電事業を担当するために設立されたのが、大阪送電株式会社です。その後、1919年には大同電力株式会社に社名を変更し、大阪市外にも送電を行うようになりました。 1923年には、名古屋市内において発電・送電を行う名古屋電灯株式会社を吸収合併し、名古屋地区に進出しました。そして、1937年には宇治川電気株式会社を買収し、京都府・滋賀県地域にも進出しました。 1949年には、関西電気株式会社に社名を変更し、現在の社名につながります。その後、1951年には東邦電力株式会社に統合されましたが、1955年に再び関西電力株式会社として独立しました。 以上のように、関西電力は歴史の中で何度も社名を変更していますが、現在では関西地方を中心に発電・送電・配電を行う大手電力会社として知られています。
- ohkawa3
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実態は、現在の関西電力の供給エリアに対する電力会社が変遷したのではなく、供給エリアの併合や分割など複雑な経緯を経ているので、単純に一筋には表すことが難しそうに思います。単純化した経緯は、次の関西電力の歴史を参照してください。 https://www.kepco.co.jp/corporate/report/yaku/27/pdf/yaku27_P31_32.pdf 全体像はWikipedia の「大同電力」にかなりの部分が記載されています。第二次世界大戦で9電力体制に統合されるまで、日本国内の電力供給は、大きな紆余曲折(食うか食われるかの競争)があったことをご理解いただくことがよさそうに思います。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%90%8C%E9%9B%BB%E5%8A%9B 大阪送電: 1919年に設立され、1921年に木曽電気興業・日本水力の2社を合併して大同電力となった。木曽川などの河川において電源開発を手がけ、同時に関西・中部・関東にまたがる広域送電網を構築。これらの地域で営業する電気事業者への電力供給を事業の中心とする、卸売り電力会社として発展した。1939年に解散。保有していた発電所はその後の再編を経て関西電力・中部電力・北陸電力の3社に継承された。 大同電力: 大同電力株式会社は、1919年(大正8年)から1939年(昭和14年)にかけて存在した、他の電気事業者に対する電力供給、すなわち電力の卸売り[注釈 2]を主体とする電力会社である。大正末期から昭和戦前期にかけて大きな勢力を持っていた電力会社5社、いわゆる「五大電力」の一つに数えられる。 名古屋電灯: 大同電力の前身、大阪送電株式会社の基盤となった「大阪送電計画」は、愛知県名古屋市の電気事業者名古屋電灯(1887 - 1921年)が立てた構想に端を発する。 名古屋電灯、東邦電力: 東邦電力というのは、木曽電気製鉄(木曽電気興業)の母体にあたる名古屋電灯が、数度の再編を経て姿を変えたものである。すなわち、名古屋電灯が1921年10月に奈良県の関西水力電気と合併して関西電気となり、さらに九州地方の九州電灯鉄道を統合した上で、1922年6月に社名を変更して生じた電力会社であった。
お礼
みんなありがとうございました