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「和歌を分析する」とはどういうことなのでしょうか?
国文学の授業にて和歌を学習しているのですが、レポートに「複数の和歌を選んでそれぞれ2冊以上の文献を参照しつつ、自分なりに分析をしなさい」という課題があります。 この「自分なりに分析」というものがよく分かりません。 たとえば「万葉集」なら複数の出版社から文献が出ていて、文献の数だけ解釈が載っていると思いますが、上記の問いかけの場合は2冊以上の文献を読んで、同じような解釈を自分なりに行うということでよろしいのでしょうか? たとえば1つの和歌を選んで、3冊の文献を参照してそれぞれの解釈を見ても「なるほど、たしかにそう考えることもできるな」と思うだけに留まってしまい、自分なりの分析というところまでたどり着けません。 選んだ文献には書かれていないような、個人のオリジナリティが出るような分析を行えということを言われているのでしょうか? 文献で多くの解釈が示されている和歌についてそのような分析を行っても、形だけ真似るような状態になってしまい、課題が意図している回答はできないような気がしてしまいます。 初歩的な質問で大変お恥ずかしいのですが、具体例を示しつつ教えていただけると幸いです。
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- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10023/12546)
>選んだ文献には書かれていないような、個人のオリジナリティが出るような分析を行えということを言われているのでしょうか? 文献で多くの解釈が示されている和歌についてそのような分析を行っても、形だけ真似るような状態になってしまい、課題が意図している回答はできないような気がしてしまいます。 初歩的な質問で大変お恥ずかしいのですが、具体例を示しつつ教えていただけると幸いです。 ⇒以下のとおりお答えします。 和歌は、その文学的・形式美的な性質上、自然美に関する詩情や人生の哀感を表現することが多いので、その内容に対する感動、共感、交歓などについて言及するといいかも知れません。まあ、好きな和歌・短歌でも選んで、作者や周辺事情などをあれこれ詮索し、その言わんとする意味を吟味し、その内容に感動したり共感したり、時に心酔したりするという趣向です。 文献については、複数の文献の所説を比較したり、賛同したり、批判・反論したりすればいいと思います。筆の進め方としては、例えば、こんな具合でいかがでしょう。《A論とB論の言うことは完全に同一で、補完関係にある。あるいは、食い違っている、対立している。》とか、《これについて私は~と推論する、あるいは、…という問題を提起したい。》とか、《A論とB論を足して××を引けば、あるいは、△△を◇◇に変えれば、あるいは、〇〇を加えれば、~となる。これに対して私は〰なる説を提案したい。…》などです。文献を引用するとしても、それに「間テキスト性」とも言われるような、付加価値を加えればいいのです。 取り上げるべき和歌・短歌ですが、身近でなじみ深いものとしては「百人一首」がありますね。例えば、そこから、「花の色はうつりにけりないたづらに我が身世にふるながめせしまに」(小野小町)を取りあげるとしてみましょう。この歌は、花に事寄せて人生のはかなさを表していると解釈できますね。その意味では、同じ「百人一首」の中にある、「花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり」(入道前太政大臣)なども類似の視点で詠まれた歌に見えます。 他方、それ(人生は、はかない)がゆえに、この須臾にして消え去る一瞬をしかと生きようという気持ちで歌ったと思われるのが、例えば、「白露も夢もこの世もまぼろしもたとへて言えば久しかりけり」(和泉式部、宇野千代愛唱歌)です。この心的態度と類似する表現は、和歌・短歌以外にもいろいろあります。「一瞬が永遠なのである」、「三日見ぬ間の桜かな」、「長かれと思う命は短くて伸びてせんなき髪の長さよ」などなど、格言や都都逸など、さまざまな表現があります。もし、紙幅が余るような場合には、こんなことについて言及・敷衍してもいいでしょう。
- gunsin
- ベストアンサー率32% (422/1312)
出題者に尋ねる事柄でしょう。