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改宗について

bragelloneの回答

回答No.16

問題は ( a )理論としてと( b )実践としてのふたつの分野に分かれます。 理論としては ( a-1 )個人の信仰とそして集団・組織として成る宗教とを峻別するということが ひとつ。 もう一つは ( a-2 )自己表現の自由が大原則であり そこでは 勧誘という自己表現の自由にとうぜん義務(答責性)がついてまわること。 実践としては ( b-1 )勧誘の自由にも 程度問題があるといったこと あるいは( b-2 )お国柄の違いはあるのかという問いなどが挙げられます。 ( a-1 ) 信じるとは 《人知を超え超自然また超経験なるナゾを 神なら神という言葉あるいはブラフマンなりブッダなりの神のシルシをつうじて 無条件でわが心に受け容れること》。 その結果 この信仰をとおしておのおの主観において神のイメージが出来上がる。このイメージをさらに人は 一定の神観として・さらには体系化した神学として持つことを しばしば おこなう。 この神観ないし神学は いわゆるオシへです。その意味での宗教です。 問題はここで いかに信仰にかかわると言っても オシへとなればそれは 経験思想だということです。言語表現に成るものです。超経験ではなくなる。 つまり オシへは 信じるものではなく《考える》ものとなっている。 つまりは 宗教がもしここで オシへを信じなさいと説くとすれば それは おおきな間違いです。オシへは 考えて 賛同したり批判したりするだけのものですから。 ( a-2 ) 実践にもつうじることですが オシへを用いて勧誘するとき いかに表現の自由と言えども そのオシへの内容について答責性を持たなければいけない。疑問を出されて答えることが出来なければ アウトです。 これは ( b )の実践の領域にかかわって行きますね。 ( b-1 ) 勧誘の自由は ほどほどにという前提事項です。 ( b-2 ) 日本も実質的に《一神教》だという事態についてです。 いかに八百万の神々と言えども それらがまとまって《多神教》とよぶところの――また日本教ともよぶべき――《一神教》をかたちづくっているという国家社会的なナラハシです。 クウキ教ともよばれる・じつは一神教だという問題です。これを指摘しておきます。 次は 理論編( a-1 )の実践になります。: ★ 「死んだらどこに行くんだ。キリスト教なら天国に導いてくれるぞ。」 ☆ オシへは 思想であって考えるべきもの。信じる対象ではないということです。 このオシへを《無条件に心に受け容れる――つまり信じる――》なら 思考停止状態に落ち入ります。つまり 痴呆状態です。 死生観や天国地獄観等々 一緒に考えてみることにしましょう。 ★ ホストファーザーの言動は、 私の感覚的には、カルト教を信仰しているだけで、 キリスト教徒ではないという認識です。 ☆ もしエホバの証人であったならば それなりに批判をおこなえます。かれらは 《信じる》という概念を知らないようです。《ただしい知識》のみを追い求めています。 一般にカルトについては やはり信仰と宗教を峻別する( a-1 )理論で対処します。

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