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「人は、他人のほとんどを見ていない。」という一文ですが、元々「他人」には一人以上が含まれているので、その「他人」が一人であれば、「ほとんど」をいれる必要はないと思います。 とは言え、その「他人」が数人いるのであれば、その数人のほとんどを、その「他人」が一人であれば、その一人のことを、どちらにせよ、「見ていない。」と書き(言い)たい場合、何と書け(言え)ばよいとお考えになりますか?
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「ほとんどの人は、街中などで、他人を見ていない(その他人がどんな人であれ)、と◯◯さんはお考えになりますか?」 このような文(章)の場合 「(その他人がどんな人であれ)」の主語は「ほとんどの人」なのか、「◯◯さん」なのか、どれだと考えるのが正しいですか?
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「ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 他人が見えている」 などのように書く(言う)場合、 「見えている」は、 他人が視界に入ってはいるが、その人(達)を意識してはいない、つまり、「見ている」とは違うのでしょうか(違うとお考えになりますか)?
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「街中などを歩いているとき、ほとんどの人は他人に興味を持っていない、と○○さんはお考えになりますかか。」 (など)のように書いたり、言う場合、 これ(ら)は質問と相談のどちらに該当するでしょうか?
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ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 他人を「見ていない」ことは頻繁にあっても、他人が「見えていない」ということはあまりないとお考えになりますか(ないでしょうか)?
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「すべての人」の「一人残らず」(など)を意味する場合、 「すべての人はみな」と「すべての人」のどちらが正しいでしょうか(非文ではないかも含め)?
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「ほとんどの人は、他人もいる街中や電車内などといった場所や状況で、 他人を見ていない 他人を(が)見えていない」 → 「見ていない」と「見えていない」の 意味の違いは何でしょうか(何だとお考えになりますか)。
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「すべての人」の「一人残らず」(など)を意味する場合 「すべての人はみな」と「すべての人」のどちらが正しいでしょうか(非文ではないかも含め)
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「全ての他人もいる場所で、行動に気を使うことが大切」 「他人もいる、全ての場所で、行動に気を使うことが大切」 (など)のように書く(言う)場合、 二つの意味の違いはなんでしょうか(なんだとお考えになりますか)?
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「その人が歩いているか座っているかに関わらず」 などのような文(章)に「常に」をいれて、 「その人が歩いているか座っているか」は「常に気にしない」などのような意味にしたい場合、「常に」をどこにいれればよいでしょうか。また、他にも言葉などを変える必要がある場合は遠慮なくご指摘ください
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「相談と言いますか、質問があります。」 のような文言を文章(文)内にいれて他人に送る場合、 「言いますか」は「言う」という、口から実際に発する行為を指す言葉であり、 口頭で「相談と言いますか、質問があります。」のように言うことは問題ないが、 先述のように、 文面で「相談と言いますか、質問があります。」のような文言を他人に送るのは間違っていたり、おかしいのでしょうか?
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補足
お答えいただきありがとうございます。 つまり、 「大抵の人は、他人のほとんどを見ていない(見ない)(、。)」 は、その他人が、一人だろうと、数人だろうと、ちゃんと意味が通るということでしょうか? また、「大抵の人は、ほとんどの他人を見ていない(見ない)(、。)」と、 ほとんどの位置を入れ換えた場合はどうでしょうか?