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北条泰時

北条泰時は義時の嫡男ではないそうですが、ということは得宗家というのは、義時の嫡流ではないということでしょうか?お答えください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • oska2
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回答No.1

>北条泰時は義時の嫡男ではないそうです 確かに、正室から生まれた子供ではありませんね。 >得宗家というのは、義時の嫡流ではないということでしょうか? 先ず、「得宗家」は「家」ですよね。 正室でなく側室などから生まれても、血縁は保てます。 徳川将軍家も、正室から生まれた将軍は少数派です。

ithi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。しかしながら、彼の異母弟に 朝時という者がおり、義時の跡継ぎは彼だということになっていたらしいですが、不祥事を起こして、後継者候補から、外されたということになっていますね。

その他の回答 (2)

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (416/1291)
回答No.3

#1さんに、一票です。 公家社会と違って、武士と言っても、豪族の域を出ていません。 公方(将軍)から、領地支配を任されてから、後継者問題が 発生するのですから、鎌倉の初期では、太郎が跡継ぎなのです。 源頼朝、源義経、木曾義仲は八幡太郎源義家直系の御曹司です。 伊豆の小豪族の北条家には、嫡流なんぞの概念は無かったと 思いますよ、歴史好きの噂好きの雀が騒いでいるのでしょう。

ithi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

  • notnot
  • ベストアンサー率47% (4900/10358)
回答No.2

嫡男という言葉は厳密な物では無いので、正室でない妻から生まれたら絶対に嫡男と呼ばないという決まりはありません。 泰時の母は出自も記録に無いため正室と扱われていませんが、正室比企氏を迎える前であり、泰時が太郎という名前であることから、その時点での唯一の妻あるいは筆頭の妻であったと思われます。 太郎と名付けた時点で後継者候補であったわけで、そのまま後継者となったことから嫡男と考えて良いかと思います。

ithi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。泰時は一時期、頼時とも名乗っていたので、ある意味、頼朝も義時の後継者と考えていたのでしょうね。

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