• 締切済み

クラインの壺について

ddtddtddtの回答

  • ddtddtddt
  • ベストアンサー率56% (177/314)
回答No.1

 4次元の幾何学には全く詳しくないので、参考意見です(^^;)。  4次元の全体像を把握できる人なんていない、のは本当だと思います。絶対に絵にも描けないし。でも4次元以上の高次元空間を、けっこうやすやすと使ってますよね?。4次元以上のベクトル空間です。  そこでは直交するx,y,z軸全てに直交する方向にt軸を立て、位置ベクトル(x,y,z,t)を、2次元や3次元の位置ベクトル(x,y)や(x,y,z)と同様に扱います。そうやって多変量解析の分野などで、現実に正しい結果を出せます。  また3次元で、   ax+by+cz=e を平面の方程式と呼ぶので、2次元の直線の方程式、  ax+by=c は、2次元における平面に相当するものだと考えます。そこから4次元において、  ax+by+cz+dt=e を、4次元の(超)平面と呼ぶのには、そう違和感はないと思います。  要するに(自分の意見では)高次元の幾何学は、現実の2次元,3次元からの外挿です。  「4次元も現実の2次元,3次元と同じであるならば」、2次元,3次元でグラフを描くのと同じように、(絵には出来ないけど)4次元以上にもグラフを描けるはずだとなり、多変量解析の計算が成立します。そのような人間の都合に従った、閉じた論理の世界では不都合は生じません。この4次元空間は、人間がつくった、または人間が妄想した(?)ものだからです。4次元空間なんて、誰もみたことないですよね?(^^;)。  クラインの壺は、そういう人間都合の閉じた論理の世界での話と思います。その4次元は人間がつくった(妄想した)ものなので、「こういう条件の時、貫通していない」と「定義」すれば良いわけです。後はその条件が、その4次元の公理と矛盾しなければOKです。  ここまでクラインの壺に関する話を、論理の中で拡張されたユークリッド空間の話として書いてきましたが、ここで「現実の物理的な4次元時空は、どうなってるんだ?」という問題が生じます。あなたが引っ掛かってるのは、ここだと邪推してます(^^;)。  現実の物理的4次元時空は、疑似ユークリッド空間です。4元ベクトルの長さsの2乗は、cを光速度として、   s^2=x^2+y^2+z^2-(ct)^2 であり、2つのベクトルv1,v2の内積は、   v1・v2=x1・x2+y1・y2+z1・z2-c^2・t1・t2 になります。v1・v2=0が2つのベクトルの直交条件ですので、普通に直交するx,y,z軸全てに直交する方向にt軸を立てたものでは「全然ありません」。  しかしそれでも、クラインの壺に関する「貫通しない定義」を疑似ユークッド用に書きかえたものには、十分な転用価値があるはずです。疑似ユークッド空間は、現実の物理的4次元らしいので(観測結果)。数学とはそういうものだと思います。  余談ですが誰も見た事ないものを、見れないものを数学はけっこう妄想(?)します。例えば無限集合論がそうです。無限は誰も見た事ないし、見れません。何故なら全部見れたら、それは有限になってしまうからです。無限集合論は、有限の論理の無限への外挿だと自分は思っています。そう考えると、それに基づく実数論も、ちょっと妄想気味です(^^;)。

関連するQ&A

  • クラインの壺の話で

    いくつか疑問があるので、伺いたいです。 ちなみに数学は素人です メビウスの輪やクラインの壺は有名ですが、 メビウスの輪→表と裏がつながる。 言い換えると2次元が3次元に変化する、といえるでしょうか? クラインの壺→内と外がつながる。 言い換えると3次元が4次元に変化する、といえるでしょうか? また2次元が3次元に変わるのがメビウスの輪、 3次元が4次元に変化するのがクラインの壺なら 1次元が2次元に変わるのが、円 0次元が1次元に変わるのが 線 でいいでしょうか? つまり、円とは、1次元の線の、本来つながるはずのない端と端が、2次元空間でつながることによって生じている、といえるでしょうか? また、線は、0次元の大きさのない点の、何かと何かがつながることで、一つ上の次元の線になっている、といえるでしょうか? 0次元の点の場合、何と何がつながって線になるのでしょうか? そもそもこういうまとめ方は、ありでしょうか? 僕は高校程度の知識しかなく、空想のたぐいなので、疑問を浮かぶまま書きました。 とても馬鹿っぽい質問ですが、何でもいいのでお返事いただけたらと思います。 疑問てんこ盛りです。 ネットでは調べたですが、上のような系統の話は見つからなかったのでこちらで伺います。

  • 四次元とはどんな形ですか?

    0次元が点とか1次元が線とかいうような切り口の解説は飽きるほど見てきましたが、四次元がどんな形なのはいまだに納得するイメージが得られていません。 線も面も立体も、その図形自体がその図形を含む空間に対して、それぞれ曲線、曲面、球体等という形で「曲がる」という性質を持ち得えますよね。そこからの類推で、記述に四次元を要する図形も、その図形の外側に対して曲がった部分を持っているのだろうなということは分かります。 また同様に、線も面は言うまでもなく、立体もメッシュ球といった例があるように、1次元から3次元までの図形のどれもが、線によってその全体像を表現できるということからの類推として、四次元もメッシュのような形で線分を使って表現可能なものであるのだろうと思います。 分からないのは、四次元の図形というものは空間に対してどのような占め方をするものなのだろうということです。 面は線を無限に集めたものだとたとえられることがありますが、やはり認識的には線と面、長さと面積というものは質的に異なるものに感じられます。面と立体もやはり、厚みを持たないものと厚みもといふくらみを持つものとして根本的な差異を感じます。 そうして立体に対して四次元の図形とは何かということになるわけですが、線と面は異なる、面と立体は異なる、という類推からいくと、立体と四次元の図形も根本的に異なるものなのだと思います。また体積と超体積も質的に別物なのでしょう。しかしどうにも私自身がいまだに超体積に対して体積の単純な延長上の概念としか認識できていないように感じます。 多胞体という言葉がありますけど、この言葉を使っている専門家はともかくとして、少なくとも私にとって胞がたくさんあるような図形というのはぶどうのようなものとしかイメージできず、三次元的な認識に囚われてしまっている感が否めません。線を無限にたくさん集めたものに対する面はちゃんと質的に異なるものとしてイメージされるのに、立体(胞)をいくら集めても所詮ぶどうのような、三次元に収まるものとしか考えられないわけです。 今まで書いたことをまとめれば、四次元の図形というのは、他の図形同様曲がるという性質を持つことができて、メッシュで全体像を描くこともできるようなもので、でもそれより下のどの次元の図形とも質的に異なっている図形である、ということで四次元に対して理解しているということです。 球を無限に薄く切っていった円を、再度円を順序よく貼り合わせれば球になることは当然のことです。三次元については各z座標に対応するいくつかの断面を見ただけでも、大ざっぱにこれは「球の断面図だな」と全体像を把握できてしまうでしょう。 しかし四次元も変数を一つ固定して得られる各立体を断面図とみなすものですが、どんなに細かくいろんな断面図を見ても、そもそもある断面図とそれにごく近い断面図がそれぞれどのように「くっついているのか」がわかりません。三次元の球から得られる断面図という場合であれば、ある断面図とそのごく近くの断面図のくっつき方は、上下の断面の端がなす輪郭が円周のごく一部になっているようなくっつき方(重なり方)なわけでしょう。それが全ての断面同士の関係においてそうであるということで、その完成形の球ともイメージの整合性がとれているわけです。 他方たとえば三次元球面は、二つの二次元球面の面同士をその内部が重ならないようにくっつけた形だといます。。二つの二次元球面が代表的かつそれで全体を構成するのに必要十分な、そういう四次元の図形の断面図とみなせるものなのでしょうが、この二つの断面図のくっつき具合が皆目見当がつきません。せいぜい団子のようなイメージしかできず、これは多胞体といわれてぶどうしか想像できないように、三次元からの質的な転換がまだできていないということなのだと思います。 結局四次元とはどんな形なのでしょうか?換言すれば、四次元の断面図のくっつき具合はどのようになっているのでしょうか?

  • 四次元はなぜ納得感を持って想像できないのでしょう?

    四次元は「想像」できるものではないということについて、皆さんの考えを教えてください。 先に断っておくと、今回の話題は数学的な性格ももちろん帯びているでしょうが、どちらかといえば現実的・物理的(非観念的)な話になると思います。 そもそも三次元すら、私たちは想像上でしか触れていないものを納得しているだけだと思うのです。 というのも、我々の視界は根本的にテレビとかの映像と変わるものではなく、二次元だからです。二次元として広がっている視界内にある諸々の三次元の物体を三次元のものとして当たり前のように認識できるのは、そういった物体をいろんな方向から見たときの見え方の関係とそれに伴う時間経過の関わりをよく経験しているかだなのだと私は思います。つまり実質的には時間軸が、実は三番目の次元として我々の認識を構成しているように思えます。 両目あるから立体を認識できるという考えが主流のように思えますが、ではたとえば先天的に片目しか見えない人間は立方体の等角写像を見ても菱形を3つ組み合わせた形としか見れないのかといえば、そんなことはないと思います。 その納得感は触覚の記憶から来ていると思います。四角い形を手のひらで包むように触ったときの、頂点の尖った感覚の位置関係。そういう記憶によって、静止した図面であっても、それが三次元を描いた図と断ってもあれば、その図が則っている遠近法から三次元としての物体が納得感をもって想像されるのだと思います。ちろんその情報は両目が見える一般的な人の納得感にも寄与していると考えます。 そういうわけで、視界や図として二次元にしか触れていない我々が三次元の形状の全体像を理解しているというなら、4次元は数式や断面図から断片的な性質として理解するしかなく、その形状の全体像は想像できるものではない、というのは実は思い込みに過ぎないのではないかと思いました。 しかしクラインの壺にしても超球にしても、いろいろな啓蒙記事からイメージを膨らませて見ても、私を含め確かな納得感にまでは至らないという人が多いと思います。一体三次元との違いは何なのでしょう?三次元にしても立方体を回転させたアニメーションとか、平面の現象にせいぜい時間軸を足したもので納得しているだけです。もしも遠近法が考慮された平面の図が触覚等の記憶により実質的に三次元の情報として我々の認識に作用するのであれば、アニメーションなら四次元までは無理なく表現できるはずで、また我々もそれに納得感を感じなければおかしいと思うのですが、現実問題納得できない。立方体の図にが側面の辺の長さは異なっていても何も思わないのに、超立方体の図はどうしてもへこんだ箱、あるいは立方体が入れ子になったような状態というところから納得感のある想像へと昇華させることができずに悶々としてしまうわけです。なぜこういったことになっているのか。 また別の事例として四次元であれば三次元の密室から壁抜けということがいわれることがありますが、このようなことも観念的には理解できても現実的なあるいは物理的なことしてはどうにも納得感が持てません。四次元方向に移動すると三次元の人からは消えたように見える、その後部屋の外に「着地」すれば壁抜けは完了するということですが、これがもう分かりません。 では我々が密室を壁の破壊を伴わずに「壁抜け」することができないのはなぜなのかと考えてしまうのです。それは我々が三次元しか認識できないからなのか、であれば認識に頼らずでたらめに動けば抜け出せるのか、いやそういうことはないだろうと思ってしまうわけです。私の素人考えですがこの空間には次元という制約はなく無限の方向が広がっているのではないかとすら思っています。一方で宇宙全体ならともかく局所的には三次元の広がりとしか空間は実在していないから、密室という有限空間の四次元を介した壁抜けというのはできないのではないかなとも思います。つまり四次元の壁抜けというのは数式では表現できても物理的な意味付けは原理的に不可能で、こちらについては想像すること自体がナンセンスだと思うのですがみなさんはどう思いますか? 余談ですが電磁波は三次元の現象だから我々の目の前に四次元の物体があっても三次元の物体と区別がつかないようにしか見えないという説を聞いたのですが、では音波ならどうなのだろうかと思ったことがあります。つまり(1,1,1,0)と(1,1,1,1)のベクトル成分を持った音波をそれぞれ聞き分けることが我々には可能なのではないか、三次元でいう触覚の記憶のように、エコーロケーションの経験があれば四次元の形状の全体像に対するイメージを無理なく持てるのではないかと思いましたが、これについても意見があったら聞かせてください。

  • 2次元と3次元

    中学校の教科書の空間図形の平面図形の運動に、多角形や円を垂直な方向に動かすとどんな図形ができるだろうか。とあり図も乗っていたのですが、変ではないでしょうか? 問いに「正方形を、それに垂直な方向に動かすとどんな立体ができるか。」とありました。 2次元の図形はxとyの縦横の概念しかないはずなのに、どうして上に動かしたりできるのでしょうか? また、ほかの問いに「厚紙で合同な長方形や円をつくり、右の図のように積み重ねた。それぞれ全体はどんな形にあるか。」とありましたが、厚紙は平面図形ではないと思います。高さがありますから。みなさんはどう考えますか?

  • 大学に入ったけど

    大学に入ったはいいけど一年授業受けてほとんど理解できませんでした パソコンに興味あるからくらいのノリで電気や電子の学科に 入っちゃったんですがどちらかというと文系の科目ができて 数学とか理科は高校の授業で受けたままあまり理解していなくて 今はさらにやばい状態です。 どうも全体像や数式とか以前の基礎的な概念がまるでないようです。 どうしたらいいかもわからないです。 単位はだいたいとったんですがこれから先は無理だと確信してます どうすべきでしょうか

  • 上手く立体図を描く方法

    製造業をしています。 最近困っているの平面図(2次元)を基に書いて製作すると 依頼元からこれは違うこと言われることがあります。 電話で確認しても上手く伝わらないこともあります。 今後は立体化した完成図を描いて確認してもらうつもりですが 3次元CADがありません。 そのため断面と側面図を基に想像で描こうとしますが上手く描けません。  描き方に問題があるような気がします。(斜めから観た感じで描こうと しますがどうも苦手です) 上手く書ける方法のようなアドバイスがあると助かります。

  • 虚数空間という概念について

    数学なのか物理学なのか微妙だったので、こちらで聞かせて頂きます。 本来存在しない数を便宜的に『ある』とした概念として虚数がありますが、では『虚数空間』とは一体どのようなものなのでしょうか。 数式で計算を進めるために用いられる虚数という概念が、一体全体どうして空間を現わすものとして扱われるのか、見当もつきません。 例えばSFなどにおけるこの単語を見ると、物体が凄まじい速度で動く異次元だとか、生物が侵入すると存在がかき消えてしまうだとか、都合良く『ワケの分からない異世界』のように描かれるばかりで、さっぱり分かりません。 虚数空間というモノが存在すると仮定した場合、それは一体どのような存在だと思われているのでしょう。 そもそも存在するわけがないのだから、上述したような『ワケの分からない異世界』みたいな捉え方でもいいんでしょうか……。

  • クラインの壷

    岡島二人の”クラインの壷”をかれこれ20人くらいに読ませましたが全てが高評価です。こんど60歳の上司に読ませてみようと思ってます。さすがに無謀か・・・。高齢の方でこの本読んだ方いませんか?

  • クラインの壺について

    (カテゴリが間違っていたらすみません。) 本で、クラインの壺は私たちの住む世界では完全に実現することは出来ないと読んだのですが、インターネットで検索してみると、クラインの壺が売ってるんです。↓ http://www.kleinbottle.com/ 確かにクラインの壺になっています。 これは本の情報が間違っていたということでしょうか。

  • クラインのつぼ

    クラインのつぼとは、どういうものですか。 メビウスの輪のように、実際に作れるものですか。