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【宗教哲学】人生は一瞬も一生も同じなんですか?

【宗教哲学】人生は一瞬も一生も同じなんですか? 死んだら一緒と言いますが、本当に一瞬も一生も同じ人生と言えるのでしょうか? 仏教の仏陀の釈迦の教えは間違えていませんか?

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  • mimazoku_2
  • ベストアンサー率20% (1908/9130)
回答No.2

私の持論です。 ●生死の距離は分かりますか? 生死は「一瞬」とか「表裏」とも言いますね。 仏教用語でたしか一瞬は瞬(まばた)きの時間で「刹那(せつな)」と表現します。 刹那は1/75秒なんです。 数値に直すと{0.0133333・・}秒なんです。 つまり、生きている人間は、0.013秒の勝利者なんです。 我々や生き物は、死の0.013秒先にいてるから生きているのです。 これが「0」になったとき、死に至ると言えます。 時間という物差しは、状況によって感じ方が違います。 例えば事故の瞬間の1秒はもの凄い情報を得られますが、ダラダラしてると1秒ですら長時間に感じます。 同じ1秒でなぜにこうも変わるのか? つまりは、0.013秒をどのように感じ記憶するかおよび認識するかだと思います。 単純に尺度の問題だと思いますよ。 だから「一瞬も一生も同じ」という解釈が可能なのでしょう。

umidigia5pro
質問者

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その他の回答 (4)

  • Td9wjd
  • ベストアンサー率38% (17/44)
回答No.5

一瞬と一生は、例えば、一生が一瞬で終わったなら同じだと思います。 そうでなければ、当然、違うと思います。 釈迦が「一生と一瞬が同じ」という内容は見たことはないので言及できません。 後世に誤りのある仏典や誤った翻訳もあると聴いていますので、ご注意下さい。 時の性質として、例えば未来の十万年は長いと感じるかも知れませんが、終わってしまったなら、瞬間である。 時間には、この様な性質はあります。 しかし、一秒と百年は、当然、違うでしょう。 一瞬と一生も、当然、違うと思います。 釈迦の優れた智恵・神通力や、善行や徳を称賛します。 分かりやすく利益のある質問に感謝します。  

  • oska2
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回答No.4

>人生は一瞬も一生も同じなんですか? 結果論としては、同じでしようね。 よく、「死ぬ直前は、走馬灯の様に過去を見る」と言いますよね。 時間にすれば、ほんの数秒です。 が、本人にとっては長い時間なのです。 私自身、バイクに乗っていて横っ腹を車に突っ込まれた時「死ぬのかな?」と考えながら「過去の記憶が走馬灯の様に」見えました。 バイクから飛んで、地面に着地するまでの時間ですから数秒ですよね。 でも、私としては長い時間でした。^^; 要は、「生きている間に、何をしたのか」で一生は決まるのでしようね。 無意味に長生きした人と、密度の濃い短期間の生活をしていた人。 人生価値でいうと、同じでしよう。 >仏教の仏陀の釈迦の教えは間違えていませんか? 仏陀・お釈迦様の説法を、聞いた事も読んだ事もないのですが・・・。 ※釈迦自身も「私の悟りは、誰にも理解できないだろう」と述べたとか・・・。 日本に伝わった仏教から、日本独自の各宗派が生まれていますよね。 共通している事は、「何年生きたかでなく、何をしたのか?」らしいです。 この教えでも、「人生は一瞬も一生も同じ」という事でしようかね。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10025/12549)
回答No.3

以下のとおりお答えします。 >人生は一瞬も一生も同じなんですか? 死んだら一緒と言いますが、本当に一瞬も一生も同じ人生と言えるのでしょうか? 仏教の仏陀の釈迦の教えは間違えていませんか? 人生は一瞬も一生も同じなんですか? 死んだら一緒と言いますが、本当に一瞬も一生も同じ人生と言えるのでしょうか? 仏教の仏陀の釈迦の教えは間違えていませんか? ⇒宗教の教えは事実を述べるわけではないと思います。「こうであるべき」、「こう考えることにしましょう」、「こう考えておくといいですよ」というような意味合いだと見ればいいと思います。そういう心的態度への誘いに違いありません。 例えば、天理教教祖の中山みきは、「一日を一生として生きる」と言いましたが、それは「一日を一生と考えるほどに一日一日を大切に生きたい」という意味でしょう。 また、イタリア・ルネサンス期のピコ・デラ・ミランドラという哲人は「一瞬が永遠である」と言いましたが、これも同様で、「一瞬一瞬に気持ちを込めて感じ入りたい」といったニュアンスではないかと思います。 さらに、平安時代の歌人和泉式部は、こういう歌を詠みました。 「白露も 夢もこの世も まぼろしも たとえて言えば 久しかりけり」。 これも「白露、夢、この世、まぼろしはすべてはかないが、よく感じ入ればそれぞれに深い味わいがある」というような気持ちをうたった短歌だと解釈されるようです。 ともあれ、仏典や聖書やコーランなどを含め、多くの宗教教義には、時に個人の金言にも、深遠かつ有意義な教訓を汲み取れるものが多い、ということは確かだと思います。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.1

言ってる意味が不明なんですが、 自分の生まれてから今までと、 自分の今とを比べてみて、 …同じだと思いますか? …自分の事なので、自分だけが分かる事ですから、 自分が死ぬ時になってから、 「自分が死ぬ時の今」(一瞬)と 「自分が死ぬ前の今まで」(一生)とを、 …比べてみて下さい。 その時が来たら比べてみて、 それでも同じだと思うのなら、同じなのでしょう。 人の「一生」とは「生きてる時」(死ぬ前)の事です。 人が「死んだら」というのは「死んでから」の話です。 哲学するのなら、自分の頭の中を一旦整理してからが良いでしょう。

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