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明治維新の賞典禄。

明治維新で功労のあった公卿、大名および士族に対しては、賞典禄が授けられました。 しかし、農・工・商に携わる人々のなかには倒幕軍を物心両面で熱烈に支援した人も多数いたと思います。 倒幕軍を資金面で支えた、豪商の力は大きかったのではないでしょうか。 これらの普通の人たちには、何の恩賞もなかったのでしょうか。 金一封はなくても感謝状などは出たのでしょうか。 また、賞典禄の授禄者を決め、そしてその「禄」や「金」を決めた実力者(複数)は、いったい誰だと推定できますか。 よろしくお願いいたします。

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  • f272
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回答No.3

> 倒幕軍を資金面で支えた、豪商の力は大きかったのではないでしょうか。 確かに豪商の力は大きかったといえます。兵隊がいても兵糧がなければ絶対に戦いには勝てません。兵器も買えません。 ちなみに軍資金が出せないからと言って庶民が戦闘に参加することはありません。戦うのは武士の役目です。ただし長州の奇兵隊のような例外はありました。 > これらの普通の人たちには、何の恩賞もなかったのでしょうか。 > 金一封はなくても感謝状などは出たのでしょうか。 民間人には恩賞はありません。 民間人はお上に命じられたら従うのが当然ですから、感謝状などはありません。ただし民間も命じられるがままではなく、その後の取引で有利な立場をもらうとともに、融通する資金の額を減額してもらうなどいろいろと考えています。 なお、賞典禄をもらったのは公家、大名だけでなく、戦いに参加した武士であれば藩主から分与されました。 また豪商に旧幕府直轄地・旧藩主の屋敷跡が非常に低価で下げ渡しを行ったのは賞典禄を与えた時期とは全く異なります。丸の内一帯が三菱の岩崎家に払い下げられたのは明治なかば以降で、日本橋界隈が三井家に払い下げられたことはありません。住友家が鉱山経営を安堵されたのはその通りですがこれは明治維新とは関係のない話ですし、古川家が鉱山経営を始めたのは明治になってからです。 > また、賞典禄の授禄者を決め、そしてその「禄」や「金」を決めた実力者(複数)は、いったい誰だと推定できますか。 そのときの明治政府の首脳が最終的に決めて明治天皇がそれを認めることで決まるのですが、実際には首脳陣(大久保利通や木戸孝允)は賞典禄には反対でした。しかし大多数の公家、大名、藩士の要求には逆らえずやむなく妥協策として賞典禄の支給を実施したのです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「その後の取引で有利な立場をもらうとともに、融通する資金の額を減額してもらうなど」新政府から優遇されたのですね。 感謝状という紙切れよりは、政府との「コネ」の方がはるかに実利があります。 商人としての発想、よく分かりました。 確かに、丸の内一帯の払い下げは、明治の中頃に陸軍省からでした。

その他の回答 (3)

  • jkpawapuro
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回答No.4

豪商に対しては金銭を配るという形での賞典はありませんが、その後国立銀行条例により銀行を開設した者が多いです。 (法の名前は国立い銀行条例ですが、これは誤訳で意味的には国法銀行条例、国の定めにより民間が銀行を開設し紙幣を発行する制度です。) 認可において維新での勲功は大きく考慮されたのではと思います。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 国立銀行の、明治初期の歴史をざっと調べてみますと、鴻池家をはじめとして、確かに商人による設立が多いです。 豪農や商工業者による設立もあります。 大変参考になりました。

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2300/5115)
回答No.2

>倒幕軍を資金面で支えた、豪商の力は大きかったのではないでしょうか。 その通りで、多くの軍資金を強制的に差し出していますね。 軍資金が出せない庶民は、軍役で戦闘に参加しています。 >これらの普通の人たちには、何の恩賞もなかったのでしょうか。 言い方が悪いですが、下級兵士には「金一封」でした。 中級・攘夷兵士には、「恩賞」が与えられています。 豪商には、旧幕府直轄地・旧藩主の屋敷跡が非常に低価で下げ渡しを行っています。 例えば、丸の内一帯は、三菱家。日本橋界隈は、三井家です。 また、鉱山を経営していた住友家・古川家に経営権を今まで通り認めています。 それぞれ、今も日本経済の中心企業が多いですよね。^^; >賞典禄の授禄者を決め、そしてその「禄」や「金」を決めた実力者(複数)は、いったい誰だと推定できますか。 旧薩摩藩士・旧長州藩士である「元老」さんです。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「豪商には、旧幕府直轄地・旧藩主の屋敷跡が非常に低価で下げ渡」されたのですね。 よく分かりました。

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (415/1290)
回答No.1

恩賞どころか、廃藩置県で大名の借金を踏み倒されました。 でも、直ぐに立ち直りました、商人はたくましいのです。 明治政府の要人には、商人に借りが有りますよね、その事を、 利用したのは想像に難くないですが。

kouki-koureisya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほど、後からどっさり取り戻せばよい、という算段ですね。

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