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江戸時代の、浪人・浪士の多かった都市は、どこか?

江戸時代の浪人・浪士というのは、江戸や京都や大坂に多かったのでしょうか? 江戸時代の浪人・浪士というのは、江戸や京都や大坂に多かったとしたら、その 江戸、京都、大坂の内の特にどこに多かったのでしょうか? 自分なりに考えてみたのですが、京都でしょうか? (『江戸は取り締まりが厳しく、大坂は武士の街ではなくて、商人の街であった。』から、また、『京都であれば、天皇や上皇の警備兵等の仕事がある。』) 江戸時代の浪人・浪士というのは、江戸や京都や大坂に多かったのかどうか? もし、多かったのだとすれば、その 江戸・京都・大坂 の内の特にどこに多かったのかどうかを教えてください。

noname#244196
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  • oska2
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回答No.1

>江戸時代の浪人・浪士というのは、江戸や京都や大坂に多かったのでしょうか? 家康から家光の時代では、平均6万人もの浪人がいたようです。 当然、各藩の政治の中心は「江戸」ですから仕官を望む浪人は江戸へ向かいます。 江戸で、各藩の江戸屋敷で仕官のタイミングを探すのです。 現在でも、失業者は都市・首都を目指しますよね。 >自分なりに考えてみたのですが、京都でしょうか? 京都は、案外浪人は少なかったのです。 当時の朝廷は、3万石しかありません。 この3万石で、天皇家・皇太子家・上流公家・下流公家の生活を賄う必要があったのです。 ※公家は、約140家。この140家に、本家・分家が別途存在します。 御所の修理も出来なかった程、貧乏だったのです。 ですから、浪人を雇う余裕は当然ありません。 京都・御所の治安は、幕府の機関である京都所司代が担当しています。 大坂では、「浪人狩り」が存在していたので(表向き)浪人は存在しません。 ただ、現実的には「武士を止めて、医者・絵師・商人・寺子屋の先生になる」人が多かった様です。 淀屋橋で有名な豪商「淀屋」も、元は武士でした。

noname#244196
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  • jkpawapuro
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回答No.2

浪人が何して食うかとなると賃仕事、派遣業とかのアルバイトです。 それができる場所となると圧倒的に江戸、次が大坂名古屋でしょう。 結局仕事というのは人口がたくさんいるところ、特に消費層である武士がたくさにるところです、参勤交代で人口が集積してる江戸が圧倒的です。 主なものは大工、荷役とかでしょうか?江戸の特殊仕事には口入屋から参勤交代に参加などもあります。

noname#244196
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