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江戸時代、武士への借金取立て

江戸時代、商人が武士に借金の取立てをするとき、なかなか払ってもらえなかったらどうしたのですか。

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  • oska
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回答No.2

>江戸時代、商人が武士に借金の取立てをするとき、なかなか払ってもらえなかったらどうしたのですか。 現在と同じで、差し押さえです。 武士は、次の二種類がありました。 1.米の現物支給。 2.領地を与えられ、その領地からの収穫分の米が収入。 どちらも、確実に年貢が入りますよね。 債権者は、来年度分の収入を差し押さえるのです。 「借金の踏み倒し」は、武士としては非常に恥ずかしい事でした。 ですから、未来の収入を担保に差し出すのです。 面白いのは・・・。 御家人株を売却するという事も合った様ですね。 大店の御曹司が、御家人株を買って「十手持ち」になっている事実もあります。 御家人は、旗本と異なり「将軍に会う事は無い」武士ですよね。 将軍から直接に「跡目相続のご沙汰」は、必要ありません。 地方では、郷士株の売買も多かった様です。 今年ブームになった坂本龍馬。 この本家筋の才谷屋も、高知藩郷士株を購入しています。 さらに、面白い例。 借金が貯まった武家へ、娘を嫁さんとして送り込みます。 当然、娘は「しかるべき武家へ養女となってから嫁ぎ」ます。 武家としては、借金が「ちゃら」になる。(持参金と相殺) 商家としては、武家との婚姻関係が結べる。(箔が付く) 正に、一石二鳥の関係でした。 (流石に、婿養子は認められていませんでした)

kokutetsu
質問者

お礼

ありがとうございました。御家人株 を売るとは、面白いですね。身分を売るということは、身分制度の崩壊につながりますね。

その他の回答 (1)

回答No.1

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>江戸時代、武士への借金取立て 武士は一般の商家から借りることはほとんどなく、蔵前の札差からの借金がほとんどでしたので、札差は武士の家庭で必要最小限の米だけを渡し、後は換金していました。 それでも、武士は何かと体面もあって「物入り」でした。 そういう時は、来年の米を担保にして、また借金をしました。 それでも足りない時は、再来年の米まで担保にしたぐらいです。 現代で言う「給料差し押さえ」ですね。 吉宗の代に一度、「これまでの借財は無しとする」というお触れが出ましたが、一度反故になっても武士の支出は変わらず、またまた、借金に走る者が出ましたので、効き目はありませんでした。

kokutetsu
質問者

お礼

ありがとうございました。作家だけあって、よくご存知で感心しました。給料さしおさえとは、面白いですね。

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