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潔癖症でも日常生活に支障なく過ごすには
- 潔癖症の人でも日常生活に支障をきたさない方法についてまとめました。センセーショナルなタイトルと要約文を作成しました。
- 潔癖症の人が快適に過ごすためのヒントや心がけについてまとめました。センセーショナルなタイトルと要約文を作成しました。
- 潔癖症の方がうまく付き合いながら日常生活を送るためのアドバイスや工夫についてまとめました。センセーショナルなタイトルと要約文を作成しました。
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- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1158/9169)
No2です。 皆さんのお話を伺い一寸別のことを書いてみたくなりました。それはプロの音楽家のような芸術家のことです。彼らは一般の人から見れば非常に限られたことに自分の時間のほとんどを使っています。時間は命と同じですから、そんなことに命を使ってもったいないと思ったらプロの芸術家にはなれません。おそらく一見同じように見えても必ず新しいことが見つかるから時間をかけても無駄と思わないのだろうと思います。逆にいくら名声や高収入を得ても新しいことが見つからないことを繰り返したら時間がもったいないということになるのではないでしょうか。お風呂場の掃除でも全く同じではないでしょうか。時間をかけても惜しくないなら何か新しいことが展開されているのではないでしょうか。ノーベル賞の物理学者、朝永振一郎さんは、若い時の日記に「…時間がもったいないので何もないもある気がしない…」と書いておられます。逆説ですね。時間はいのちですから何事にも代えがたいほど大切なものだということだと思います。
- chiychiy
- ベストアンサー率60% (18615/31013)
こんにちは 他の方の回答には申し訳ないのですが これを省くとか細かく考えること自体がことを難しくしています。 ここまでというラインを決めるのも おそらくご自身の中で難しいのでしょう。 普段から、色々なことに時間がかかるくらい慎重に事を 運ぶのなら、一度くらい「ま、いいか」と思って やめてみるといいです。 やめてみたところで、おそらく何も変わらないと思います。 やっぱり・・・と思っても、もうその行為はしないのです。 それができたら自分を褒めてあげてください。 気持ちが楽になれば、自分を責めることもなくなり もっと時間を有効に使えると思います。
お礼
>これを省くとか細かく考えること自体がことを難しくしています。 >ここまでというラインを決めるのも >おそらくご自身の中で難しいのでしょう。 確かにそうです。 今日こそ「簡単に済ませよう」「あそこまではやらないでおこう」と心に決めてやり始めても、 おまけに(時間を見ながらしているので)「こんなに時間が経ってしまっている」と気づいても、 止められず、結果、自分の時間がなくなったり、睡眠時間が短くなったりしてしまいます。 そして「私は何をしているんだ。バカだな」といつも後悔・情けなくなります。 >一度くらい「ま、いいか」と思ってやめてみるといいです。 一度だけ「もうこんなバカらしいことはやめるんだ」と言い聞かせながらやって 僅かに早く切り上げられたことがあり、僅かですが時間短縮できたのですが、 その反動なのかはわかりませんが、次回の時、時間が余計にかかってしまいました。 そして、「私は何をしているんだ」「バカだな」と後悔したり、自己嫌悪になってしまいます。 >やめてみたところで、おそらく何も変わらないと思います。 頭で理屈でも「大きく害が発生するようなことはないだろう、変わらないはず」と わかってはいるのですが、 「もしも…」「汚くなってから掃除するのはイヤ」 「大きなカビや汚れが剥がれ落ちるのは見たくない、気持ち悪い」と考えてしまい、 結局、やめられないです。 「丁寧にしているつもりが単なる儀式や工程を踏んですることが目的になってしまって、 むしろ本来の目的は達成されていない (きれいになっていない、丁寧にやっている訳ではない)のでないか」と最近思ったりします。でも、止められない・・・困った自分です。 >やっぱり・・・と思っても、もうその行為はしないのです。 やっぱり・・・と思うのが怖いというか、 やっぱり・・・という状態になったら 「やっぱりやらなきゃ」と確認したみたいになって、 一層やめられなくなる不安・恐怖感があります。 でも「その行為をしない」事を本当にできるようになりたいです。 ホント、生活に支障を感じ始めているし、 「ひどくなる一方」という言葉が私の危機感になり、焦りになっています。 ありがとうございました。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1158/9169)
私は何事も丁寧にやるを生活の原則にしていますが、丁寧にやっていることが惰性になってくるとかえってこの原則が正しくないように思えることもあります。然し、それは気力体力が低下しているときにかぎります。私は丁寧にやれない時にはいったん中止します。習慣でも同じですね。
お礼
>丁寧にやっていることが惰性になってくるとかえってこの原則が正しくないように思えることもあります。 私もそういう時が最近あります。(もしかして解釈が間違っているかもしれませんが) 入浴時も掃除でも、丁寧にやっているつもりが、 (潔癖症or強迫神経症の典型かもしれませんが) 「丁寧ではなくむしろ単に儀式・工程を踏んでやっているだけで(意味のない自己満足)、 実際は入浴や掃除の本来の目的から外れてしまっているのではないか、 場合によっては綺麗になっていないのではないか」と気づきました。 それでも、やり始める前は「今回こそは簡単に済ませる」と心に決めてやっても、 やり出すと徐々にいつも通りやってしまい、 時間がかかってしまいます。 「一旦中止」ができれば、徐々に「止める」事が出来るような気がします。 いつも時間がを見ながらしているのですが、時間かかり過ぎってわかってもやってしまって 結果、睡眠時間が短くなったり、自分のためにやりたい時間がなくなったり…という具合です。 ありがとうございました。
- togurin
- ベストアンサー率45% (81/180)
私も種類は異なりますが精神疾患を患っています。 神経質と言う部分は私にもあります。 私が心掛けていることは何が自分にとって手を抜ける/抜けいない部分をきちんと分類することです。 分類すると言うことは自己分析です。 私は手を抜ける(気にならない)部分はほぼ最低限の事しかしないようにしています。 そして分類できているのであれば、手を抜ける事に近いことは手を抜いてみることも可能になります。 そのように少しずつでも手を抜けるというか、かける時間を少なくする事はできるかもしれません。 私は長きに渡り精神科に通っていますが、大して医師を信頼していません。 私は月一で通院していますが月一の30分弱の医師との会話と、月の自身の自己分析ならどちらの方が信頼できるかわかっているからです。 私は睡眠障害があり、どうしても薬が必要なので通院していますが、悪化しない限り毎月薬だけ送って欲しいくらいです。 戻りますが文章からもあなたをしっかり自己分析できるのはあなただと思います。 分析結果を元にノートなどに日々の挑戦と結果を書いてみたら良いと思います。 それはあなたにとって漠然とした日々の挑戦ではなく結果が伴うので、 次にどうしたら良いかのヒントになると思います。 結果は書かずともどこの掃除に何時間かけたなど記録しておくと客観的に自身を捉えられると思います。 もしエクセルなどできたらうまくまとめられると思いますし、グラフにできるかもしれません。私は頓服の薬の量や睡眠薬を記録してグラフにしていました。体調の波が分かりますし、薬を減らそうというモチベーションにもなります。あなたの例に当てはまれば良いのですが。 最後に、良い医者に当たれば完全な客観的なアドバイスをもらえる事は間違いないので、一人で苦しくなったら行ってみるのも手だとは思います。
お礼
きちんとノートに書いたり PCに入力して分析できるような資料を作っている訳ではありませんが、 毎日、手帳にその日にした事と時間、日々の出費(買い物)は簡単につけています。 なので、入浴やお風呂掃除にどのくらい時間がかかったか、というのは、 もうおおよその時間は頭に入っています。 「今回は、こういう意識でやってみよう」という具合に、 毎回意識の上で色々試行錯誤して臨むのですが、大きく時間短縮になりません。 (臨むと言っている時点で、入浴やお風呂掃除を生活上の小さなことではなく 「仕事」みたいな感覚になって構えてしまっているのかもしれませんが) ありがとうございました。
お礼
>時間をかけても惜しくないなら何か新しいことが展開されているのではないでしょうか。 自分でも入浴やお風呂掃除に時間がかかることを良し(惜しくない)としているのか、わからないんですが、 終わった後に、時間をオーバーしていて「私は何をいつまでしているんだ」 「たいていの人はチャチャッと朝飯前ほどの時間で済ませているはずなのに、 こんなことに時間かかって」 「もっと時間を割くべき事、もっと別の事の為に時間を確保したいと常日頃思っているだろ」と 思う事が多いという事は、入浴や掃除にかかっている時間が惜しいと思っているのだと思います。 確かに、それによって浴室に関しては大きな汚れがたまって気持ち悪い思いをせずにすんではいますが、 でも、やっぱり、家事に時間をとられ過ぎで、心理的余裕がなかなか持てません。 「早くしなきゃ」「私は何でも時間がかかりがちだから」と戒めていて、 家事など生活上の諸々で何か追われている気持がします。 学生時代は勉強と友人との交流、 社会人で家事も親と分担してできていた頃は通勤や残業なども含め仕事関係へ全力を注げていたのに、 社会生活を送る上での主軸となる仕事と人との交流等が二の次になってしまっている現状で、 優先度が逆な気がしてなりません。 結果、他の理由もありますが、結婚へ向けた自己研さんも後回しになって… 人と交流して、一方で(ひとりの老後も見据え)充実したおひとりさまでいられるようにしないと、精神的に落ち込んでくるような危機感があります。 再度色々気づきをくださって感謝です。 ありがとうございます。