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気を使うのが嫌な人は放っておいて良い?
- 気を使うのが嫌な人は放っておいて良いのか疑問に思う。被災時に安否確認の連絡をしたら、なぜか態度を取られることがある。被災者は自分で物資を揃えたいと思っているのか、行政に任せた方が良いと言っているのか、その心理を理解できない。また、知らせずに亡くなる人もおり、遺族の意思を尊重するべきなのか疑問がある。
- 被災時に安否確認の連絡をすると「何で電話(メール)してきたの」という態度を取られることがある。そんな態度を取る人の心理として、被災者は自分で物資を揃えたいと思っているのか、行政に任せれば良いと考えているのかが分からない。また、知らせずに亡くなる人もおり、遺族の意思を尊重するべきなのか疑問がある。
- 被災時に安否確認の連絡をすると「何で電話(メール)してきたの」という態度を取られることがある。被災者は自分で物資を揃えたいのか、行政に任せた方が良いと言っているのか、その心理を理解できない。また、知らせずに亡くなる人もおり、遺族の意思を尊重するべきなのか疑問がある。
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質問者が選んだベストアンサー
人間関係は良くも悪くもギブアンドテイクなのですよ。それが金銭的なことが全く絡まないというケースがあっても付き合いをすることで心が安らぐなど、当たり前ですがメリットがあって付き合いをするのです。気遣いも同様です。わざわざ気を遣ってあげるのもメリットがあるからと。 あなたを始め、普通はそんなことを強く考えないで行動するのですが、人間不信になったりするとそこからしか発想できなくなってしまうことがあるんです。裏切られた経験があったりすると人間不信は極まり、ちょっとした気遣いも裏を読んでしまう、だから質問にあるような言い草になってしまうことが往々にしてあるのです。 >遺族の連絡が付くと、その様な意見は却下され、遺族が立ち会わないといけないの でしょうか? 原則はそうですね。 >遺族が解らない場合は無縁佛、 >解っても拒否した場合は行政で火葬となるのでしょうか? 関係性から断固拒否をする遺族もいると思います。その場合はそうするしかないでしょうね。
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前の方のご回答の内容も尤もなのですが、人によっては、自分以外の他人や身内が不用意に訪ねてくることが最強のストレスになることもあって、それがさらに寿命を縮める場合もあります。 自分がそういうタイプだった場合に、その40代男性のような要求をすることは、自身の命を守るための防衛反応としてある程度理解して認めてもらいたいとは思います。 また、死後にご兄弟やお子さんが呼び出されたとのことですが、行くのが嫌であれば拒否できるはずです。 その場合は行政で火葬等になるのかもしれないですが、故人がそれで良い、そのほうが良いと考えていたのかもしれないですし、そこも他者と比べてどうということもないような… 本人にとっては良い死に方をしたのかもしれないですよ。 綺麗に死なないことが迷惑だと、もし言われてしまうとしたら…それもちょっと悲しいですね。 人間どこでどう死ぬかは意外とわからないものですよ。 その男性だって、いよいよとなれば自分で施設に入る心積りはしていたかもしれないですし。 あと被災地域の方に連絡をする件は、人によっては何十件も同じような連絡を受けているから面倒になってしまったというのもあるかもしれません。 日本人は親切に対して見返りがない、もしくは仇で返されると激昂するタイプの人が多いのですが、そもそも親切は自分が好きでしていることですし、急な親切を受ける相手の状況にも色々あるわけです。 どうせ親切心を発動するなら、そこまでを考慮してあげても良いのではないかと思います。
お礼
ご回答有難うございました。 自分以外の他人や身内が不用意に訪ねてくることが最強のストレスになることもあって、それがさらに寿命を縮める場合もあります 成程、人が訪ねて来る事がストレスになる人も居るということでしょうか? 行くのが嫌であれば拒否できるはずです。 その場合は行政で火葬等になるのかもしれないですが、故人がそれで良い、そのほうが良いと考えていたのかもしれないですし、そこも他者と比べてどうということもないような… 本人にとっては良い死に方をしたのかもしれないですよ。 その様な生き方を選ばれた、しかし、「構ってくれるな」といい見放すと親族は寂しい思いがしますし、冷たいとおもわれるというのがあると思います。 この辺りが私も悩むところです。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11125/34629)
>本人は「俺は知らせてほしくない」という様な事を言っておられたそうですが、遺族の連絡が付くと、その様な意見は却下され、遺族が立ち会わないといけないのでしょうか? 死んだ人間から「なぜ俺が死んだことを息子に伝えたんだ」と怒られることはありませんが、生きている人間から「なぜ死んだことを伝えないんだ」と怒られることはあります。そりゃ、生きてる者の事情が優先されるのは当たり前です。 「お前が死ぬのは勝手だが、その亡骸を誰が片付けると思っているのか」ですよ。そこまでいうなら自分の足で火葬場に行って、自分の足で墓に入ってくれってなものです。遺品の整理、住んでいた場所の後片付け、役所や銀行への手続き等々、残された人間がやらなきゃいけないことは山ほどあるんですよ。 その方は40代後半ということですが、くも膜下出血が起きる年齢ではないですね、一般的にね。リスクが高まるのは60を過ぎてからくらいです。 だからよほどストレスがある半生だったのか、酒ばっかり飲むような荒れた生活だったか、その両方だったのでしょうね。でもなんというか、その人は死んだからまだ楽でしたよ。もし後遺症が残る状態で生き残ったら、介護してくれる人は誰もいないのだから大変でしたよ。
お礼
ご回答有難うございました。 死んだ人間から「なぜ俺が死んだことを息子に伝えたんだ」と怒られることはありませんが、生きている人間から「なぜ死んだことを伝えないんだ」と怒られることはあります。そりゃ、生きてる者の事情が優先されるのは当たり前です。 ほおっていてほしいというのが人間不信などで、そうなるというのは伺われますが、 生きている人は伝えて欲しいという人も居る、そこが難しい処かと思います。 そこまでいうなら自分の足で火葬場に行って、自分の足で墓に入ってくれってなものです。遺品の整理、住んでいた場所の後片付け、役所や銀行への手続き等々、残された人間がやらなきゃいけないことは山ほどあるんですよ。 その通りです。が当人は「お前(兄弟 子ども)にして欲しくない、行政に任せる」というが そこに冷たい人 見放すわけにはいけないという思いは生じていると思います。
お礼
ご回答有難うございました メリットがあって付き合いをするのです。気遣いも同様です。わざわざ気を遣ってあげるのもメリットがあるからと この方にとってはメリットがなかったのだと思います。 人間不信になったりするとそこからしか発想できなくなってしまうことがあるんです。裏切られた経験があったりすると人間不信は極まり、ちょっとした気遣いも裏を読んでしまう、だから質問にあるような言い草になってしまうことが往々にしてあるのです。 この方にとっては、その様ないきさつがあったのではと思います。(親族と連絡を取らない等) 唯「ほおっていて欲しい」といわれて、「そうですか」というのは多少なりとも縁が合えば (親族なら尚更)良心の呵責があるのですが?ここが難しいです。