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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:電信電話事業史 について)

電信電話事業史について

lumiheartの回答

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  • lumiheart
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回答No.3

>そこで当時の通信回線について調べたくなったというわけです >具体的にどんな方法がとられているのか興味があります 依佐美送信所 残念ながら現在では250mあったハズの鉄塔もたったの25m https://yosami-radio-ts.sakura.ne.jp/contents/memory_yosami.html 依佐美送信所の相手局 https://yosami-radio-ts.sakura.ne.jp/contents/summary.html 残念ながらアメリカが記載されてない????? 駐米大使はどーやって受信したのであろうか? イギリス経由でアメリカに転送? それにしても受信設備(アンテナ)も同等の規模が必要だったと思うのだが アメリカにも有ったとの記載は見つかりません 長波によるモールス信号での情報送信が目的 https://yosami-radio-ts.sakura.ne.jp/contents/summary_equip.html 憶測ですが 「電信電話事業史」を入手したとしても 駐米大使への電文がそのまんま記載してるとは思えないけれど? 「事業史」と言う名称から記載内容は↓程度ではなかろうか? https://yosami-radio-ts.sakura.ne.jp/contents/history_chronology.html アマチュア無線家がニイタカヤマノボレを転載してる http://www.katch.ne.jp/~teru-y/yosami/yosami-3.htm お金を払ってでも読むべき資料は↓じゃあないかな? https://www.sankei.com/life/photos/161205/lif1612050027-p1.html 依佐美送信所の1941年の業務日誌(愛知県刈谷市提供) ただ、憶測ですが送信電文自体は期待できないと思うけど

noname#249103
質問者

お礼

回答ありがとうございます いろいろな情報ありがとうございます OKWAVEのなかでこんな質問がありました 終戦直前どうやって降伏の意思表示ができたのか いろいろな通信手段の仕組みが終戦直前では機能しなくなっていたと考えられるわけで、そのような状況の中でどのように降伏の意思表示を行ったのかというわけです それに回答する人がいて 電信電話事業史 6巻 を参照したというのです その中身は非常に興味深く 当時日本は世界各国と通信を確保するために何十もの回線を確保していたのですが、それが開戦を機会に次々に廃止されてゆきます 廃止の日付が12/8になっている回線も複数ありました 終戦時には4つの回線しか残っていなかったといます それらの回線を有効に活用して、いくつかの無線局を経由して各国に知らせたのではないかというのです 種類は 有線電信 無線電信 無線電話 の三種類 これは面白いと思ったわけです この当時こんなにたくさんの回線が作られていたということ 有線より無線の回線が多いこと 電話の回線があったtこと しかも、「民間の」ということわりがあるのです ということはこれ以外に民間でない回線が存在していたということでは? と考えるとそれはなんだろう? といろいろと興味が広がってきたのです それならば元の文書をと思ったわけです 開戦時の宣戦布告が遅れたなどと言われていますが これは外務省からアメリカの日本大使館に電文が送られて、 ということになっていますが、外務省には専用の発信する設備があったと書かれているのを見たことがあります。 そこから当時の電信局のようなところを経由してアメリカに送信された 大使館側にはそれはなく、当時の郵便局のような仕組みを利用して大使館に配達されたらしいのです アメリカ側はこの電文さえ暗号を解読して、先にその内容を知っていたはずなのです そこで、当時の通信の全体像を知りたいと思ったのです 全体像を知ることができるのか?たぶん無理があるのですが、多少でもそれに迫れればと思っています。 起点はハル・ノートのハルさんの回顧録です これを読んでいるうちにいろいろな疑問が起こり、暗号についての歴史についても調べています 依佐美送信所もそれを調べていくうちに発見し、先日旅行ついでに訪れてみました 非常に面白かったです 同時に様々な疑問がわいてきましたので、それについても調べてみたいと思っています

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