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飯豊山神社 二重県境稜線の福島県の土地幅

  • 質問No.9665785
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お礼率 99% (169/170)

江戸時代、会津藩は京都の守護を請負うほどの大藩でしたが
明治時代、長州の恨みを買い、領地は減らされ福島県に編入されました。
 その時、飯豊山神社参りの文化を守るために
 三国岳から御西岳まで伸びる、新潟と山形の県境に挟まれた
  7.5kmの稜線は福島県の土地になったようです。
さて
2019/10/10NHKシブ5時の特集で
 福島県の土地は、歩く幅だと紹介されていましたが
 地図では 15m以上の道幅です。
岩場の稜線なので、崩落でルートも変わるでしょうから
 1m以下であるはずがありません。

道幅は、どう確定されているのでしょうか?

目的が土地利用ではなく通行権や神社の設置権なので
 たぶん、県境の杭などは適当にしかなく
 国土地理院が、航空写真で目見当で設定したのだと思っています。

回答 (全1件)

  • 回答No.1

ベストアンサー率 32% (3588/10890)

[地域情報] 旅行・レジャー カテゴリマスター
歩く幅が 一人で歩くわけではないということかも。
喜多方市の地図を見ると 確かに北の方に細く伸びています。
飯豊山の頂上付近は かなり広くなっているみたいです。
https://www.google.com/maps/place/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E5%96%9C%E5%A4%9A%E6%96%B9%E5%B8%82/@37.7172306,139.6945021,11z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x5f8ac88f36c05c23:0x35544419520019c2!8m2!3d37.6513048!4d139.8746281

頂上付近拡大図
http://maps.gsi.go.jp/?ll=37.81583333333333,139.74444444444444&z=15#15/37.853085/139.709573/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

喜多方市の地図を見ると 下の端も不思議な形をしていますね。
補足コメント
omi3_

お礼率 99% (169/170)

江戸時代
会津藩が占有していた越後国東蒲原郡の北東端の
 注目の 7.5kmの稜線も、会津藩北方(喜多方)が占有していて
 飯豊山神社参りで賑わったようです。

明治時代
東蒲原が新潟県に戻された時に
 稜線だけは旧会津藩北方(喜多方)が死守したのでしょう。


国土地理院地図を詳細にすると、県境が非表示になってしまいます。
ゼンリン地図だと色分けされた県境が 15m以上で表示されるので
>1m以下であるはずがありません。  の根拠にしましたが
 地理院地図をなぞっただけなら、根拠が無くなります。

会津を恨む明治政府が
 領地移動に反対する旧会津藩北方(喜多方)の人々を
 なだめるためとはいえ、15m幅を会津に許すとは思えません。

稜線の約1m幅の登山道と飯豊山神社の周りだけが
 福島県喜多方の土地とされたのでしょう。
 その道幅の境界杭さえも設置されたかどうか。


会津が恨む長州の安倍首相が、長期に政権を牛耳っていて
 福島の復興が進まない会津の人々は、ご不満でしょう。
会津県(圏)で独立できませんかね。
投稿日時:2019/10/11 04:49
お礼コメント
omi3_

お礼率 99% (169/170)

ご回答ありがとうございます。

>喜多方市の地図を見ると 下の端も不思議な形をしていますね。
福島県の南西は会津の土地だったので、領地争いではなく
阿賀川が蛇行して、隣村との境界が入り組んでしまったのでしょう。
投稿日時:2019/10/11 03:11
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