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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:廿二日の所の部分を、現代語に訳して教えてください。)
廿二日御子七夜の 新番頭となる
このQ&Aのポイント
- 廿二日の所の部分を、現代語に訳して教えてください。
- 「徳川実紀. 第五編」という資料の、358/641 コマ目のページの 享保六年閏七月 の 廿二日(二十二日)の所の文章を、現代語に訳して教えてください。
- この URL の資料の 358/641 コマ目のページの、享保六年閏七月の “〇 廿二日 ~ ” の部分です。この部分を現代語に訳して教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
二十二日に、子どもの命名のお祝い(七夜の祝い)があり、 小五郎君と名づけられる。 賜りもの(上から下への贈り物)奉りもの(下から上の贈り物)が沢山あった。 戸田山城守忠真はお産の段取りをしたので季節の衣服5着。 少老大久保長門守教寛は命名書を高く持ち上げたので銀100枚、紗綾(布)5巻 留守居島田弾正政辰は蟇目(鏑矢に穴を開け、射ると音が出てこの音は邪を払うとされてきた)の役目をしたため、銀50枚、季節の衣服3着 西の丸留守居の中山隠岐守信庸は飾り刀をささげ持ったことにより島田弾正と同じものを貰った。 弾正政辰の(が)子、政之に銀20枚、季節の衣服3着。 矢取を行ったためである(蟇目の鏑矢の回収)。 この日、新番頭興津能登守忠閭は小普請組支配、 小姓組?頭堀切助右衛門親行は新番頭となる。
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- ithi
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回答No.1
xcvdertさん、こんばんは。 22日に御子が御七夜のお祝いがあった。お名前も頂戴して小五郎君とお名乗りになった。よって先例のかたがたくだされ物や各身分の者からの頂戴物がたくさんあった。戸田山城守忠真はお産を担当したので時服を五着、若年寄大久保長門守教寛はお名前をささげたので、銀一〇〇枚、紗綾五巻。留守居島田弾正政辰は蟇目の役目をしたため、銀五〇枚、時服三着。西の丸留守居の中山隠岐守信庸は飾り刀ささげたことにより、同じく銀五〇枚、時服三着。弾正政辰の息子政之に銀二〇枚、時服三着。矢取を行ったためである。この日新番頭興津能登守忠 小普請支配。小姓組番頭堀助右衛門親行は新番頭となる。 以上です。
質問者
お礼
御回答ありがとうございました。
お礼
御回答ありがとうございました。 >少老大久保長門守教寛は命名書を高く持ち上げたので銀100枚、紗綾(布)5巻 "御名をさ々げしかば。" とは、"命名書を高く持ち上げたので" という意味だったのですね。 ありがとうございました。