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謝ってほしくはない

naechinの回答

  • naechin
  • ベストアンサー率16% (61/371)
回答No.13

長文の回答ありがとうございました。正直言って、納得できない部分もあったりするのですが、まず、根底にあるのは、あの事件(他の事件でも同じですね。)の理不尽さへの怒りだし、繰り返したらダメっていうのは同じだと思いました。 法曹界には、まだまだ色々な問題点が私たち素人から見ても、多いように思います。改善されていくような情況になるといいですね。結局、どちらが言っていることも、この問題点の抱える矛盾のせいだとも思いますので。

masatoshi-m
質問者

お礼

>長文の回答ありがとうございました。 って、私の質問スレッドなのに、 何だか私の方が回答者にまわったりなんかして、面白いですねー。(^_^;)  いえいえ、どういたしまして。私も、naechinさんと根本的に 意見が食い違っているとは思っていません。 《事件》への「根っこにある思い」は同じだと思います。 お付き合い戴き、有難うございました。 

masatoshi-m
質問者

補足

この場をお借りして皆様に御礼を…。  adelaideさんからご紹介戴いた「セブン」と「リップ・スティック」 を見てこのスレッドを閉じる予定にしておりましたが、 昨日の日曜にレンタルビデオで見ましたので、 予定どおり少し感想を書き込んでこのスレッドを閉じさせていただきたい と存じます。ただし、「リップ・スティック」は置いてありませんでした。 1976年作品ということで、何処にでもは置いていないらしいです。 でも、いつか機会を見つけて見てみたいと思います。  さて、「セブン」ですが、 最後に犯人をブラピが撃つ瞬間のシーンは迫力があって見事でした。 いや、演技者、俳優としての見事さです。 ただの二枚目俳優かと思っていたのですが、あの演技力は只者ではありませんね。あの苦悩にゆがむ表情の見事さに惹かれてそのシーンだけを5回も6回も 見てしまいました。まだレンタル期間が5日間ほどありますので、 時間があればあの《世紀の名演技》を繰り返し見たいと思います。  最後にブラピが犯人を撃つシーン。 このシーンがこの映画のモティーフのすべてであり、 この映画を成立させているすべてでしょう。 《後味》に関して言えば本当に人それぞれだろうと思います。 adelaideさんは「後味の悪い思い」をなさったということですね。 >ブラッド・ピットが行った行為を誰に罰する権利があるというのでしょうか? 万感の思いを込めてお気持ちの優しいadelaideさんはおっしゃってますが、 「誰に彼の行為を罰する権利があるのか」も何も、 少々気持ちの冷たい私(?(^_^;))などは、「犯人、撃つべし」 と思ってしまいます。確かに近代法は私刑を禁じています。 でも人間の感情の原点に「目には目を、歯には歯を」 (これは「それ以上のことをしてはいけない」というのが根本精神らしいですね)という《復讐の念》が拭い難く存在しているのは事実だと思うのです。 そして、それは《法》によっては決して満足もしなければ癒されもしないのです。    法を遵守すべき立場の刑事。そして、それがゆえの烈しい葛藤。 その内側の思いを表現してあまりある思いがブラピの表情に出ていました。 私の記憶にも長くとどまるであろう《名演技》でした。  他にもいくつかadelaideさんからご紹介戴いた書籍もありますので、これは是非先で時間を見つけて読んでみたいと思います。 adelaideさん、いろいろと有難うございました。  なおこのスレッドは今晩の午前1時をもって閉じさせていただきます。 かなり恣意的なポイント発行になるかもしれませんがその時はお許し下さい。 皆さん、お付き合い戴き、本当に有難うございました。 またどこかでお目にかかりたいと存じます。

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