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adelaideの回答

  • adelaide
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回答No.11

こんにちは! 会員No.5(?)のadelaideです。 何度も登場して申し訳ありません。ストーカー傾向の性格ではありませんので、ご安心下さい。 改めて皆さんのご回答を拝見し、特にnaechinさん(・・・タイプしていて、赤面すべきなのか、ナイチンゲールを尊敬する方ととるべきなのか迷っています)のご回答の中には、わたしの知らない情報や角度を変えたお考えが発見でき、masatoshi-mさんのお礼とあわせて大変勉強になりました。 実はわたしは、ここ数年、殆ど新聞を読まなくなりました。何故ならテレビのニュース番組やインターネットで情報は充分であり、新聞のどの面を開いても良いニュースのない昨今にウンザリ気味だからです。 また、今回の宅間容疑者が起こした事件に関してのマスコミの対応に対して、先日下記の方のご質問と他の方々のご回答がありました。わたしも回答をさせていただきましたが、雪印乳業事件の報道に関して、全く同じ印象をもった方がいらしたのには、驚きました。何故、この話題を出したのかと言うと、警察の捏造云々の疑惑もわたしたちにはありますが、報道関係者の報道の捏造云々の疑いも当然ある訳で、最近は、まったく何を信じればよいものか、実に判断に困ると言う事です。 昨日も、高裁で宮崎勤容疑者の死刑判決が下されましたが、神戸の酒鬼薔薇事件といい、最近の事件は、世の中、何でもアリだとエリート気取りでふんぞり返って歩く各省庁の官僚と同じ態度の「ますこみにゆけーしよんかんけいしや」がお勤めになるテレビ各局が連日放送している殺人とベッドシーンだけの中身がピーマンの(古いですね、わたしも)番組と、一流を名乗る出版社が発行している本や雑誌や、その他ビデオテープ類等が大きく影響していると思えます。 例えば、数年前に一流出版社から出版された「FBIの事件心理ファイル」といった感じのタイトルの本(お読みになった事はありますか?わたしは、とても最後までは読めませんでした)等、実際にアメリカであった猟奇事件を詳細に書かれた本がありましたが、事実は事実かもしれませんが、ああいう事は「知らなくてもいい事」だとわたしは思います。まして、若く純粋で、まだフィルターの薄い子供の心には、どれ程の影響を与えるか予測すらできません。 テレビのバラエティ番組も、芸の無いタレントもどきが多数出演し、人としてやって良い事悪い事、言って良い事悪い事をはるかに越える事をしています。ああいう番組を日常見ていれば、人の心を思いやるという感性が欠落し、何でもアリの自己中心的となり、結果として学級崩壊が起こっているのではないかという図式がわたしの頭の中にあります。そして、傷害を起こしたり殺人を起こしても、それは毎日テレビの中であることなのだから、別に重大な事ではない訳です。 何だか話の焦点が、ご質問の趣旨からずいぶんと離れてしまったかもしれません。 けれど、犯罪に繋がるような尋常でない内容の物が無法状態に氾濫する日本という国にも責任があり、それを受け容れている国民にも責任はあるのではないでしょうか? これもまたmasatoshi-mさんのお礼同様、ご批判覚悟で言わせていただければ、昨今の尋常ではないと思われる犯罪の犯人達は、そういう日本の現状の被害者でもあると言えるのではないでしょうか? その反面、「自分では死にきれないから、死刑にして欲しい」なんて甘っちょろい事を言っている宅間容疑者のような、パラサイトしつつある幼稚な成人達の為にも、死刑という刑罰にまつわる色々な立場の人々の苦悩と現実の処刑をとらえた番組等をどんどん作って放送して欲しいですね。 ちなみにイギリスのBBCは、自称日本の国営放送のNHKと違って、あえてタブーとされるような番組も作成しています。 長い回答になりましたが、最後まで読んで下さってありがとうございました。 でも、法務省や法曹界に期待するだけではなく、一般視聴者・新聞読者であるわたし達も、何とか行動を起こさなければならないと思う昨今です。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=90763
masatoshi-m
質問者

お礼

>何度も登場して申し訳ありません。 いえいえ、こちらこそ、何度もお付き合い戴き、感謝しております。 >ストーカー傾向の性格ではありませんので、ご安心下さい。 はは、分かってますてば、adelaideさん。 >最近は、まったく何を信じればよいものか、実に判断に困ると言う事です。 これは私も同じで、嘘吐き社会になった現今、 ホントーに一体何を信じれば良いのやら、ワケ分かんなくなってしまいました。 トップ企業の嘘はまだしも、警察やお役人たちの 「これでもかっ!」というぐらいの嘘のオンパレードは、 本当にこの国の将来を危うくしてしまうほどです。 >「FBIの事件心理ファイル」といった感じのタイトルの本(お読みになった事はありますか? …(^_^;)(^_^;)私、勉強不足ですね。済みません、読んでないのです。 こ、こ、今度図書館に行って読んでみますね~っ。(^_^;) >犯罪に繋がるような尋常でない内容の物が無法状態に氾濫する日本という国にも責任があり、それを受け容れている国民にも責任はあるのではないでしょうか? 大雑把にひと括りしますが、adelaideさんの仰るとおりでしょう。 《エコノミック・アニマル》とは随分昔に日本人に与えられた《蔑称》ですが、 日本人は金儲けが出来るとなると何でもやってしまうところがあるようです。 《性》でも《暴力》でも、それが売れるなら売っちゃうわけです。 凄まじい商魂と言えば確かにそうなのでしょうが、それと引き換えに何かを失う はずです。もしくは失ってきたはずです。それら失ったものが何かは案外「犯罪」 が教えてくれるかもしれません。 >ちなみにイギリスのBBCは、自称日本の国営放送のNHKと違って、あえてタブーとされるような番組も作成しています。    へぇ~そうなんですか。是非見たいものです。 adelaideさんも情報通ですね~(って、私が無知なだけ? (^_^;)) >一般視聴者・新聞読者であるわたし達も、何とか行動を起こさなければならないと思う昨今です。 ホントにそうですね。我々一人ひとりが自分の頭で考え、行動しなくてはならない時です。他人が他人が、という考え、発想から脱け出す努力をしたいものです。 adelaideさん、何度も足をお運び戴き、有難うございました。

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