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adelaideの回答

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回答No.20

こんにちは! No.17の回答を、ご質問に対する直接的な回答ではないとの事で、削除となってしまった「バツイチ」のadelaideです! (管理者様、申し訳ありませんでした。ご指摘の通りです) >実は管理者様側から、「一部の人たちによる議論のような感じになってきているから早く締め切れ」とのお達しを受けております。「貴方の方で締め切らなければ管理部の方で勝手に締め切らせてもらう」とも。ですのでもうすぐこのスレッドは締め切らせて頂こうと考えております。皆様方にはお付き合い戴き本当に感謝しております。特に何度も足をお運びいただいた、adelaideさん、naechinさん、そしてvitamin-powerさんには感謝しても感謝し切れません。意見の交換を通じてこそ得られた多くの識見、考え方、判断、立場を知ることができました。改めて御礼申し上げます。 とのことで、少々残念ですが、皆様、お別れですね。 わたし個人としては、確かに参加者の少ない議論形式になってしまってはいましたが、「教えて!goo」の名前の通り、皆様のご回答から、色々な視点に立ってのお考えを拝見でき、まさしく「教えて」頂いた事がたくさんありました。 今回の宅間容疑者が起した悲惨な事件にまつわるあらゆる視点からの考えは、基本的には相通じていたと感じられます。 皆様のご意見ひとつひとつが納得のいくものであり、しかしながら・・・と細かい点での相違する部分を確認しあっていたような感があります。 「わたしの回答に対するmasatoshi-mさんのお礼文から」 >>最近、仏教に興味を持ち始めたわたしとしては、殺されてしまった子供たちの魂は、極楽浄土で幸せに暮らし、宅間容疑者のことを許してあげていて欲しいと思います。仏になるということは、全てを許せると言う事で、それはまた成仏でもあるからです。(これは、わたしの理想論です) >私も本来「人間は神の子仏の子」だと信じています。その意味で、adelaideさんの仰ることは理解できます。ですが、昨日報道されていましたが、同じマンションに住む家族ぐるみの付き合いをしていたという主婦が友人の赤ちゃんを殺した事件があって、その殺された方のお母さんがインタビューに応じておられましたね。「私は一生彼女を許さない」と…。 もしわたしがそのお母さんの立場でしたら、同じ事を考え、言っていたと思います。それが当然であり、それでいいのだと思います。ただ、その気持ちとの戦いは一生を通じて持ち続ける事になるのだと思います。 生きて行くと言う事は四苦八苦だと言いますよね。 確かに、そのお母さんのお立場で考えると、人生は厳しいですね。 >>被害者の主体性は、ご遺族によって守られていると思えます。 >ということならば、やはり今回殺された小学生たちも宅間容疑者を許すことはないのではないでしょうか。許せることが仏になることならば、死んだあとも仏にだけはなりたくないと思っているのではないでしょうか。 それは、極楽浄土へ行けない事=成仏できない事ですよね。 あんな残忍な殺され方をして、一方的に命を奪われ、なおも成仏できない=心安らかに過ごせないなどという事は、あまりにも可哀想過ぎます。 わたし個人としては、殺された彼等は、許すとか許さないといった拘りの存在しない浄土にいる訳ですから、そんなことは決してないと思います。 娑婆で生きる人間の拘りなだけだと思います。 (仏教徒でない方は、それぞれの信仰される宗教で置き換えて、良き方向にお考え下さい) >>肉親である被害者の感情を代弁できるのは、唯一ご遺族のみに許される事だと思えます。 >その被害者のご遺族が「一生許さない」と仰っているのです。それがそのまま被害者の感情でしょう。この理屈から言うならそう考えるのが一番理に叶っています。 上記のあらたなわたしの意見ですと、矛盾してしまうのですが、これもまた、娑婆に生きるご遺族と、わたしたちを含む他の人間達の問題で、第三者の人間にとっては、「被害者の子供達は、きっとこういう気持ちだったと思う」と発言する事は、悪意が無くても、無責任な推測にしか過ぎず、同様に推測だとしても、被害者の子供達の気持ちを発言できる「権利」があるのは、唯一、ご遺族のみではないでしょうか?という考えです。 (・・・何だか上手く説明できていないかもしれませんね。) それから 「naechinさんのご回答」に対して 突き詰めれば、 >真実が一番、人を動かします というこの一言に、わたしは拘っていたんですね。 実は、わたしは最近、とても大切な存在の人を亡くしまして、精神的に、薬を服用する必要のある状態になっています。(かなり軽度だとは思うのですが・・・) 先日、亡くなった人の四十九日が過ぎたばかりのある日、友人が、噂話で聞いた20年以上も前の彼にとってマイナスな事を、わたしの耳にわざわざ入れるのです。 その友人の言い分は、「自分が知ってしまった事実だから、だまっている事は今後のわたしたちの友人関係によくないし、自分もだまっていることはつらい」というものでした。 しかし、その情報は、亡くなった人とわたしの人間関係を根底からも覆すような内容でしたので、わたしは違った状況で、精神的な状態がまた悪くなってしまいました。 20年も前の事で、人の噂話で、まして当人が亡くなっている、答の出ない事を、いくら真実(噂話としての真実で、実際の真実は永遠にわかりません)とはいえ、人の耳に入れるという事がおきた現実。 自分が亡くなった人の立場になって考えると、自分が死んでも、尚、誰かがどこかで自分に関するマイナスな事を話しているなんて、この世は本当に、魑魅魍魎が跋扈する恐ろしい所だとも思えました。 でも、結局、仮にわたしが亡くなった人の立場だとすれば、他の誰かが自分のことをどういう風に言おうと、残った彼がわたしの人となりを考え、信じていてくれればそれでいいのではないかと確信し、現在気持ちは落ち着いています。 前置きが長くなりました。 真実をそのまま伝えると言う事は、時に、自己満足にしか過ぎない事があります。 そして、naechinさんの前回のご回答の文面からのみ捉えさせていただくと、真実を知らされ、それを受けとめる立場の人間のみに焦点をあてられていると感じますが、人には誰にでも、他の人に知られたくない真実があり、あの癌と戦っているおばあさんの立場で考えると、おばあさんは自分の髪が抜けてしまった事は、人には知られたくないんですね。 真実を明かにされてしまった立場の人の感情というものもあるのです。 その点は、これまでのご回答の文面から、naechinさんはご理解なさっている方だと思って居ります。 ただ、今回の事件を含め、明かされたくない真実を明かされてしまった人の立場を考えると、昨今の報道その他を含む社会情勢の中で、 「真実が一番、人を動かします」と断言して頂きたくなかったのです。 上記のわたしの私的な例でいえば、「例えそれが真実でも、言ってもどうしようもない事は、伝えないのが、大人の人間関係だよ」と、わたしの周りの誰もが言います。わたしもそう思います。 もしわたしが、宅間容疑者や宮崎勤容疑者に子供を殺された母親の立場でしたら、例え事件後、どんなに時間が経過し、どんなに貴重な犯罪心理学の書物だとしても、自分の子供が刃物で刺し殺された事件の詳細などは、他人に対して明らかにして欲しくはないと思えます。 長い回答になりました。私的な部分は、決して被害者意識に陥っているとは思って居りませんが、話半分程度でお読みいただければ幸いです。ただの例え話です。 皆様、たくさんのご意見を拝見させて頂き、本当にありがとうございました。 心からお礼申し上げます。 本当に「教えて」頂く事ばかりで、貴重な体験でした。 masatoshi-mさん、素晴らしいご質問をありがとうございました。

masatoshi-m
質問者

お礼

adelaideさん、収束に向かうに相応しい、 美しい文章のご回答をお寄せ下さり、まことに有難うございました。 adelaideさんからは合計6(7?(^_^;))回も ご回答をお寄せ戴いたことになりますが、 回を追うに連れて文章の姿が美しくなってきていたことに、 実は驚いています。 もともと勢いのあるしっかりした文章だとは思っていましたが、 凛とした美しさを感じ始めたのは実は3度目のご回答辺りからでした。 そして最後に寄せられたこの文章。 一読心洗われるような思いのする、美しい文章でした。 正直、息を呑みました。 山深い渓谷で清流のせせらぎの音に耳を澄ませているような、 そんな雰囲気を漂わせた文章。もうそれだけで満足です。 今回は私もいちいち噛みつく(?)(笑)ようなマネはしませんね。 長いお付き合いに深く感謝を申し述べるのみです。本当に、有難うございました。そしてまたどこかでお会いしたいものです。 >masatoshi-mさん、素晴らしいご質問をありがとうございました。 adelaideさん、こちらこそ本当に本当に有難うございました。 お礼の気持ちは言い尽くせませんが、 そしてこうまで長いお付き合いをさせて頂くと、 名残惜しさが後ろ髪を思い切り引いたりもするのですが、やはりお別れです。 しつこいようですが、繰り返します。有難うございました。 この質問は管理者様のご要求どおり、2、3日以内、 即ち9日午前1時をもって締め切らせていただきます。 皆様へのお礼は改めまして補足の欄にでも書かせて頂きとう存じます。 それでは取り敢えず、今回はこれで…。

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