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日本は定位と言う概念が諸外国と比較して偏重してる?

日本に於いては、定位と言う概念が諸外国と比較して偏重されているのでしょうか? です。 ステレオで良く聞く言葉で重要とされているはずですが、外国ではどんな感じでしょう、日本だけ定位の言葉が多いのでは?と疑問に思うのです。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • John_Papa
  • ベストアンサー率61% (1186/1936)
回答No.3

こんにちは。 私は、逆に日本と海外で違うというイメージがありません。 取扱説明書などの設置方法の説明などにも違いは無いようです。 私の理解も中途半端だから、さらっとだけ紹介しておきます。 ハース効果 https://en.wikipedia.org/wiki/Precedence_effect フランセン効果 https://en.wikipedia.org/wiki/Franssen_effect Sound localization (音像定位) https://en.wikipedia.org/wiki/Sound_localization バイノーラル融合(聴覚器官総合による定位論) https://en.wikipedia.org/wiki/Binaural_fusion ホロフォニクス(人工バイノーラルの一例) ウーゴ・スカレーリ https://en.wikipedia.org/wiki/Holophonics https://www.youtube.com/results?search_query=Holophonics など、このような音の定位に欠かせない重要な研究にどれほど日本人が名を連ねてるか、残念ながら知りません。 少なくとも海外の研究者たちは、人がどのように感じ、その時人体のどこの器官が働くのかなど、研究を重ねて探り当て理解しようとする。また、研究を支える良き出資者が居る。 その成果は、CDなどの音源作りに利用される。 できれば日本語で、良い論文や解説を読みたいです。 日本語Wikiで「音像定位」とか「バイノーラル融合」を検索したら、「新規作成しましょう」だって。 「定位」は変わらないけど、No1.回答者の言われるように、「定位」に対する世評形成が違っているんでしょうね。

sirasak
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 「定位」に日本と海外でイメージや説明などに違いは無いのですよね。 ハース効果、フランセン効果、音像定位、バイノーラル融合、ホロフォニクス、ウーゴ・スカレーリ、などで、 音の定位に欠かせない研究に日本人の名が見えないのは外国の記事を受け売りだけして、自分で考えると言うことをしていない日本人が多いからでは?と思います。 音響工学でも昔の難しい数式だけにこだわって、新しい理論を作ろうとする学者が少ないのではないかと考えています。 言われることすべて理解できます。

sirasak
質問者

補足

皆さん回答ありがとうございました。 大変参考になりました。

その他の回答 (2)

回答No.2

はじめまして♪ 確かに「定位」という表現は日本語ですし、日本独自の感覚でもあるのですが。。。。 既に御回答下さった「Stereo imaging」というのも1つ、しかし、単純直訳で「Localization」と言う単語も当てはまりますし、「orientation」や、「normal position」という英訳も当てはまります。 あえて、「音像定位」というのを翻訳しても「localization of sound」 「 sound image localization」「 auditory localization」などが該当します。 https://ejje.weblio.jp/content/%E9%9F%B3%E5%83%8F%E5%AE%9A%E4%BD%8D 音を聴いた時の空間感、音空間?サウンドスペース?? そんな中で、各楽器演奏位置が立体的に判りやすく感じられるというのは実物感、リアリティ-が高いと感じる事が多いのですが、そんな部分は関係ない?違う範囲の音の差を重点的に感じる。という場合も有りますから、「音像定位」を重視するかどうかは、人それぞれの感性領域での話。 日本のオーディオには、かなり文学的?文字的?な影響も多くて、その上で個人の感覚とかによる事も重なる部分も多く、特に製品を良く表現しようとしている評論家やカタログ標記の宣伝文句を造るコピーライター等の部分も在ったりし、その上で、かなり個別の強く固執した考えの人が、時には宗教的な?、オカルト的な?という話も出てしまいます。 また、国民性という範囲での「感性」の方向が違う部分も有ります。 私達日本人は、虫や鳥や動物や風による音とかの違いに敏感で、欧米、特にアメリカ圏では、どれもウルサイ「ノイズ」として一緒に感じている人も多かったり。という「聴力」ではない「聴感」での違いも有ります。 欧州圏の一部では、とても反射音が多い場所での演奏会などが多くて、音の方向や距離感、定位よりも「多様な反射音の響き方」の方を優先的に感じる場合も多いとか。。。 まぁ、私達日本人としては、マグロと言っても、赤身、中トロ、大トロ、かま、中落ちとか、部位による違いを楽しんだり、おおまかにマグロと言っても違う種類の物も有りますし、季節や漁場の違いとかでも、あれやこれやと、、、 でも、マグロ族とカツオ族を加熱したら、一言で「ツナ」って言切ってしまう。。。という感覚の範囲も在るので、これに比べたら、まだまだ欧米でも音の「定位」には、気になっている範囲が多いのだろうと思います。 日本人の神社仏閣とか、お祭りなどの音での範囲は、音が出ている方向と距離感って感じやすい環境のDNAを持っていますから、個人差はそれぞれでしょうけれど、おおよそ全体的には「定位」にも大きな重点を置く方が好ましく感じられるケースが、多いのかな。という事は言えそうですね。 だらだらと長く書き込んでしまいましたが、いかがでしょうか。。(-.-)??

sirasak
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 定位という表現は日本独自の感覚で、 「Stereo imaging」、「Localization」、「orientation」、「normal position」という英訳も当てはまり、「localization of sound」、 「 sound image localization」、「 auditory localization」などもある、 「音像定位」重視は、人それぞれの感性領域での話、 文学的?文字的?個人の感覚、評論家、コピーライター、固執した考え、宗教的な?、オカルト的な?とか、国民性の感性方向が違い。 私達日本人は、虫や鳥や動物や風による音とかの違いに敏感で、 欧州圏の一部では反射音が多い場所で音の方向や距離感、定位よりも「多様な反射音の響き方」の方を優先的に感じる、 日本では残響反射音が少ない家屋や野外演奏で音が出ている方向と距離感って感じやすい環境のDNA、など、 すべて理解できます。

回答No.1

Stereo imaging という用語で,「定位」の概念は存在します。 https://en.wikipedia.org/wiki/Stereo_imaging 日本とくらべてどうかは知りません。日本には,「オーディオ評論家」と称する霊感商法のまがいの詐欺師,かつ,メーカの提灯持ちの糞どもがいるのは事実でしょう。

sirasak
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 Stereo imaging という用語で,「定位」の概念があるのですね。 日本には,「オーディオ評論家」と称する霊感商法のまがいの詐欺師,かつ,メーカの提灯持ちの糞どもがいるのは分かります。

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