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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:神は人を見捨てていない、常に話しかけている)

神は人を見捨てていない、常に話しかけている

日比野 暉彦(@bragelonne)の回答

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回答No.6

 No.5の補足欄を読んで。  たとえば G.ヘーゲルが イエス・キリストについて解説する言葉は 次のようなものです。  ▲ (ヘーゲル:無限と有限) ~~~~~~~~~~~~~  無限なものと 有限なものとの一体性・・・この矛盾・・・は   どんな自然的なものも自分のなかにこれを持ってはいない   ないしはこれを 我慢できないであろうが   この矛盾を持ちこたえることができるのが  人格(☆ ――もしくは《わが固有の時間》――)の高さである。  (『法の哲学』§35追加(講義録)藤野渉・赤澤正敏訳 1967)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 《有限なもの》あるいはつまり 政治経済とその同じ水準で活動する宗教(組織)といった経験的なものごとによってのみ イエスを捉えるなら それは ついぞイエスの問題をつかまえることは出来ないと考えます。  つまりは 《非思考の庭――いわゆる信仰です。しかもこれは 人間にあって動態である――》をとおして 《無限なものと有限なものとの――きわめてあいまいな〈お化け〉のような―― 一体性》を ウソとしてでも捉えたかたち(そしてその内容)がなければ イエスをただの偉人であるとかあるいはただの愚か者であると言って 議論するのみとなります。  その議論もおもしろいかも知れません。知れませんが 延々とつづく世間話に終わるでしょう。  これが わたしの立ち場です。

Flareon
質問者

お礼

ヘーゲルとやらは、昔からの作法で死の恐怖について語っただけじゃないか。 私はイカレていない。 すでにイッちゃってるよ。 自身を丸ごと観念に昇華させる解脱を果たして、現在私はそのお花畑に立脚した「花の子ルンルン」だ。 観念に常在する私にも、必然の肉体の消滅は来る。 それは死ではなく私にとって変化でしかない。

Flareon
質問者

補足

あ~あ、やはり気が滅入るな。 イエスの伝承に端を張って予言ねつ造で生まれた「架空の聖霊」がキリストの霊。 その存在の維持のためにをいけにえが必要で、精霊の役目もいけにえだ。 落ち着いてきたけど感情の欠落により自らの意思がないも同然でだから言われるままにいけにえにされてきた。

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