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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「陸軍の面子」が戦争目的?)

日本の真の戦争目的は陸軍の面子を守る為だ

amanojaku1の回答

回答No.2

アメリカ側は絶対に戦争をしたかった。 日本人が知らない太平洋戦争の大嘘 http://www.worldforecast.jp/lp/fukota/ydn_monthly.html?utm_expid=.Ap-6tQh0TBqczarAMlVolw.1&utm_referrer= >日本が真珠湾を奇襲攻撃したあの日、アメリカ大統領とイギリス首相は驚きや怒りなどではなく、電話で歓喜に狂ったのは何故か? >「絶対に戦争はしない」と誓って大統領に当選したルーズベルト…それなのに、なぜ戦争は始まったのか?国民を騙して戦争に引きずり込んだ、彼の裏の顔とは? >ルーズベルト大統領と中国の、ただならぬ深すぎる関係。その蜜月はいつから始まったのか? >(わたしたち日本人が見過ごしてはいけない事実とは?) >日本は終戦まで、アメリカに何度も何度も和平提案を送っていた。それを完全に無視し続けた上での原爆投下…瀕死の日本に、どうしてそこまでする必要があったのか?「原爆が正義だ」という狂気のデタラメを生み出した世界の力関係とは? >野球、ジャズ、震災義援金…太平洋戦争よりもずっと昔の明治時代から仲の良かった日本とアメリカが、なぜ戦わなければならなかったのか? >キリスト教、利権、プロパガンダ、共産主義…日本の知らないところで世界はつながっていた? 日米だけを見ていては理解できるはずのない、70年以上前から存在する寒気のするようなネットワークとは? これを知れば、日本人の常識では気付けない世界の現実が見えはじめます… >日本人が戦争に踏み切るきっかけとなった「ハル・ノート」。なぜ、そんな重要な内容を私たち日本人は教えられないのか?アメリカ大物議員すらも「国民への裏切り」だと絶句した、その内容とは? >アメリカの侵略に怯えるハワイ王国が、なぜ、明治日本に助けを求め、皇室に縁談を持ちかけたのか? そこから浮かび上がる戦前の日米関係と世界の裏事情 >まだ日米関係が友好的だった戦前のアメリカ。日本人も中国人もアメリカに移民していたのに、「排日移民法」が成立して日本人だけが排除されたのは何故だったのか? この差別の裏にあった「妬み」とは? 日本側もコミンテルンに いいように利用されてましたのですけど。 【訂正版】特別番組「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」江崎道朗 上念司【チャンネルくらら・8月6日配信】 https://www.youtube.com/watch?v=OIwA0fVeQwg&t=14s 特別番組「コミンテルンの謀略と日本の敗戦~第2回朝日新聞の手の内をバラす!」江崎道朗 上念司【チャンネルくらら・8月10日配信】 https://www.youtube.com/watch?v=j85s6TLhRGU 特別番組「コミンテルンの謀略と日本の敗戦~第3回経済政策の誤りが国を滅ぼす!」江崎道朗 倉山満【チャンネルくらら・8月17日配信】 https://www.youtube.com/watch?v=gaqnh_V7myA 特別番組「コミンテルンの謀略と日本の敗戦~第4回 世界を壊したウッドロウ・ウィルソン」江崎道朗 倉山満【チャンネルくらら・8月20日配信】 https://www.youtube.com/watch?v=wiRjvDvzVcg

soramimiclub
質問者

お礼

回答ありがとうございました!!

soramimiclub
質問者

補足

まず、僕の理解を先に申し上げると ・陸軍首脳(具体的には東條陸相と杉山参謀総長)にとって一番重要だったのは面子 ・それが日本の対米要求案の主要な決定要因になった とは言えると思います。 1941年10月12日の近衛首相私邸での五相会談での東條英機(当時陸相)の発言と、10月14日の東條英機と杉山元の会話はかなり有名で、国立公文書館アジア歴史資料センターのWebで誰でも見られるものです。 そして東條と杉山は同じ陸軍のいわば身内ですから、そこで心にも無い事を言うとは常識的には考えられませんから、五相会談でのやたら強硬な発言に見られる東條英機の主張は、別にそれを東條自身が日本にとって最善策と信じたから言ったものではなく、面子が保てるのならば「ホンネ」では妥協の余地はあった、としか理解のしようがありません。 “出来れば面子を保ちながら開戦を回避したいんだが…”程度の話なら、海軍が戦えない、と言わないのがわかった時点で、陸軍自らが“中国からの撤兵も多少は妥協して良い”と言うはずですが、実際にはそうした行動に出なかった以上は、開戦回避よりも面子を重視していた、って事にしかなりません。(勿論、妥協と言ってもどの程度までかは不明なので陸軍がそれを自分で言ったからといって結果的に開戦回避に繋がるとは限りませんが『どういう動機で開戦判断に至ったのか』それは全く別の話です。) また発言自体は東條のものですが、それへの杉山の反応も東條の“面子重視”を特に気にせず、むしろ『海軍も面子上、戦争は出来ないと言えないらしい』ってなものでしたので、対米戦争をするかしないかの議論で面子を優先する事自体に違和感はなかった、と理解せざるを得ず“面子論”は東條・杉山の共通のもの、と考えられるでしょう。 この二人がそうだったから陸軍全体がそうだったとは言えませんが、まさに開戦の決断をする時期の陸相と参謀総長が“面子論”なら『その時期の陸軍は…』と表現してもさほど問題ないと思います。 因みに杉山は、日本が事実上の開戦決意を固めた11月1~2日の大本営政府連絡会議の日の朝に東條と以下の様な会話を交わしています。(国立公文書館アジア歴史資料センターレファレンスコードC12120254400) ~~ 東條 一、 本日は結論として 第一案 戦争せず、臥薪嘗胆す 第二案 直ちに開戦を決意して作戦準備をぐんぐん進め、外交を従とするもの 第三案 戦争決意の下に作戦準備をすすめるが外交交渉はあの最小限度にて之を進める の三案に就て研究するが総理としては第三案を採り度いと思う。 (中略) 杉山 然し今日第三案て進むと言ふことは9月6日の御前会議を、も一度繰り返すことになるにあらすや 東條 之とは戦争準備を進めると言う点に於て差異がある 杉山 若し外交うまくゆけば準備した兵を下けることとなるが之は困る・・・兵を南洋迄出して戦争しないで退けたら士気に関す、統帥部としては「(イ)国交調整は断念する(ロ)戦争決意をする(ハ)戦争発起は12月初旬とす(ニ)作戦準備をする(ホ)外交は戦争有利になる様に行ふ」を主張し度いと思う。 (以下略) ~~ 東條が「戦争を決意して、外交は最小限度にする」事にしたい、と言っているのに対して、杉山は、9月6日の御前会議で「日本の最低限の要求を米国が完全に呑む目処が10月上旬迄に立たなければ直ちに開戦を決意する」と決めたにも関わらず、対米戦に強い不安を感じていた天皇がその御前会議で明治天皇の歌を披露して「外交を優先とする」意思を示した事もあって結論が先延ばしになった事の再来を恐れた、という事なら、日々石油が備蓄も減り米国の戦争準備も進む以上、勝利に責任を負う参謀総長としての「気持ち」は理解できます。宙ぶらりんの状況のまま時間だけが経過し、戦力的により不利な時になって戦争をしなきゃならない、というのを嫌がるのなら、身内の東條に言うぐらいなら、ビックリする様な発言じゃありません。 が、ナンと『もし外交がうまく行ったら、準備した兵をまた引っ込める事になり、士気に関わるから困る」と言ってしまっています。 『外交が上手く行って兵を退ける』というのは『日本の要求が外交交渉で通ったので、南方に展開した兵力を元に戻す』という状況ですから、戦争をしなくても(完全ではなかったとしても)日本と言う『国』としては目標が達成できた、そういう状況のはずです。 それを「士気に関わるから困る」というのは、戦争それも米国と言う巨大な敵国と戦う事を一体なんだと思っていたのだ!? と現代の日本人には思えますが、そういう「物事の考え方」をいくら身内同士とは言え平気で言えてしまう感覚だったのでしょうね。(これでも“国民の生活を守るため”なんて言えるのだろうか?) ただ、この「陸軍の面子」論がそのまま「日本の真の戦争目的は陸軍の面子を守る為」と言ってしまうのには、僕も相当な疑問を感じますが、回答者さんの仰るアメリカの経済封鎖を解除させる事が結果的に目的でしょうが、開戦に至った経緯として「陸軍の面子」を優先させた事が大きいと思います。

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