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自分の人生にも幸せ・生きがいがあるはずなのに

隣の芝生は青く見えてしまいますね・・・。 妬み・不満をもってしまいます。 客観的に考えてみると 「日常生活にいくらでも幸せな事はあふれている。どんな身分の人も違う悩みや不便を感じている。」 「今まで幸せな事・不幸な事があったからこそ、今後も幸せな事・不幸な事は巡り巡って訪れる。今のうれしい出来事も大変な事があったからこそ味わえている。」 という風に分析できるかなって思いました。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

お礼ありがとうございます 妬んでしまう… これは人間である以上、誰にだってありますよ だから隣の芝が青く見えるんですね 出家でもしないと妬み・嫉み・僻みの3点セットは常にミナさんが持っていると思っていて下さい 気になさらないように…

その他の回答 (7)

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1148/9122)
回答No.8

自分の経験から考えると、その人の羨ましい面だけしか見えないからだと思っています。みえないというよりほかの面を見ないようにしているのです。人間長い目で見ればあまり差はないものです。しかしなかなかそのようには考えられないのが生身の人間です。私はなるべく周囲の人の(幸不幸の)ことを考えないようにしています。

  • ts0472
  • ベストアンサー率40% (4481/11058)
回答No.7

私も分析されて結果をどう使おうと考えてられるのか分からないです 分析事例も自分よりも裕福と思われている人だけのように感じます 恵まれない人生を歩んでこられた人の分析も行ってみては? 幸せな事と不幸な事の数が合わない人も多いと思っています 分析しない 比較しない 我が道を行く と考えています 果報は寝て待て 寝たまま死んじゃうかも知れませんが 寝る前に何かしなきゃ得られないもの 私は若い頃は現状を維持していれば果報は訪れるって思ってたんですけどね そうじゃなかったみたいです 理想に近付く事を何もして来なかった 続けてこなかった 成るべくしてなった結果と諦めています

回答No.6

仏法に「令離諸著りょうりしょじゃく」という言葉があります。 http://www2.tba.t-com.ne.jp/myoushin-ji/29%207%20ryoreshyjyaku.html これはお経の言葉一文字を つまり「離」という文字を 顕かと読むのです。 普通に読むとこれは離れるという事で 諸々の執着心を離れなければ幸せになれないと読みそうですが (例えば妬み心など持ってはいけないと思う) そうではなくその妬み心をあきらかにみて 自分の心の糧としていくという事です。 このあきらかに観ると言うのが非常に大事な事なのです。 (自分の妬み心を明らかに観て自分の幸せの糧としていく) これが本当の(令離諸著)という事です。 人間は悩みが無ければ幸せになれないのです。 悩みがあるからそれを明らかに観て 成長の糧として幸せになって行くのです。 妬み心なんて誰でもあります。 でもそれをたんなる妬みとして落ち込んでいくか その心を乗り越えて幸せの糧として人生を生ききるかの違いです。 人間である以上 嫌な心も出てきます。 それを踏み台として幸せへの努力をしていきましょう あなた様のおっしゃることはその通りですよ 努力して困難な山を登り幸せを掴みましょうよ      

  • keaget09
  • ベストアンサー率19% (583/2929)
回答No.4

こんにちはです。雨音サーバルです(*´∀`*) なるほど~♪ おっしゃるとおりだと思います。 『隣の芝生は青い』かぁ。 私にもよいとこはあるのかな、なんて考えてます。 でも私の周りの芝生は青ばっかりです(*v.v)。。。

  • givemi
  • ベストアンサー率11% (120/1073)
回答No.3

あなたの考えはよくわかったんですが、どういったアンケートでしょうか?

回答No.2

質問者様のご意見には賛同できますが、質問の趣旨は?

JAJAkun
質問者

補足

頭ではわかっているけど、ねたんでしまうんです それを解消するにはどうするべきでしょうか?

回答No.1

  なるほど、あなたの考えは判りました  

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