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フランス第三共和政の衰退・崩壊と国民のモラル・愛国心の低下について
- フランス第三共和政は右派と左派の対立が目立ち足並みを揃える事ができていなかったため衰退・崩壊した。
- イギリスに歩調を合わせた「対独宥和政策」が原因で一致団結できず、ナチス・ドイツに屈服した。
- 政治内部の混乱が国民のモラルや愛国心の低下につながった可能性がある。
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sanctilumine さん、こんにちは。 1.第三共和政は第二帝政崩壊後からその成立及びその後、右派・軍部と左派の対立が目立ち足並みを揃える事ができていなかった。こんな政権でなければドイツ第2帝政の立役者ビスマルクやモルトケは危険視したでしょうね。 また、労働組合主義(サンディカリズム)は、労働組合を基盤とする労働者のゼネスト等の直接行動によって資本主義体制を倒し、議会制に依存しないで生産消費組合を結合させた社会の建設を理想とした所謂「過激派」で、同じ左派であるフランス社会党とは対立関係にあった。 2.イギリスに歩調を合わせた「対独宥和政策」が原因で、ヒトラーの侵攻を黙認するダラディエ政権に対して、当然右派・軍部は猛反対するが、結果的には「対独融和政策」が貫かれた為に一致団結する事無くナチス・ドイツの軍門に下った。おやおや、次の戦場はフランス国境ですからね。戦争準備に追われるフランス軍にはそんな余裕はないはずです。政治家だって同じ事ですよ。 などの理由により、フランスの第三共和政は衰退・崩壊した理由なのですが、ここで質問です。 フランスの第三共和政内部で、右派と左派が対立し合い、政治内部が混乱しているなら、その影響は国民のモラルや愛国心を低下させたのでしょうか? この政権はなんだかいただけません。そんなご立派な政権だったんでしょうか?第一次、第二次世界大戦。特に第一次世界大戦であの見せつけた狼狽ぶり。フランス一国で何にもできない。なんでも人任せ。戦争のことは軍人任せ。政治首脳はドイツ軍に初戦が負けたら、パリから逃げる始末。第2次世界大戦になっても、融和政策についてですけど、イギリスに追随するだけでしょう。主戦場はフランス国境からでしょうに…今度はもっと軍事費を回せと言ってマジノ線に予算をつぎ込み、アルデンヌの戦いでドイツ軍に負ける始末。つまり、平時にはあれだけ威張っていた人たちはみんなしおれて逃げてしまう。何だか自国だけではドイツに対抗できるなんて考えらえる代物じゃないくらい戦争がへたくそです。最後は戦後に植民地ベトナムのべトミンに負ける始末だから、あんまりフランス人は戦争が強いなんて考えない方がいいです。だから、今では核兵器を潜水艦で持っているんですよ。普通の軍隊はあんな体たらくだろうから… 国民のモラルや愛国心を低下させたのでしょうか? 違うでしょう。レジスタンス活動をしていた人たちが何万人ていたはずです。国民の愛国心を低下させるという事はありませんでした。むしろ政治家や軍人特に高級将校の方がだらしない限りでした。
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- jkpawapuro
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崩壊した理由、そんなのヒットラーに攻め落とされたからでしょう、理由も何もありません外圧に倒されただけです。 愛国心という言葉は難しいですね。モラルもですが。 政府を支持するイコール愛国心じゃないですし、それこそ革命に血を流すのも愛国心でしょう。そういった意味では政治の停滞期であって愛国心の停滞ではないのではないですか? この時代の政府にはとにかく権威と求心力が無いんですよ。戦争に打ち勝って政府ができたわけでもクーデターで権力をむしりとったわけでもなし、皇帝が戦争に負けて囚われて、それで残ったものがばらばらに派閥を作りそのまま国を運営する。 ドレファス事件のようなスキャンダルもありますが、普通政府と軍隊は一体となって隠蔽なり究明なり事に当たります、元首相と軍隊が対立するのは大変珍しい。国家政府の一体感の無さがよく現れてます。結局主体的に政府を動かせる権威も勢力も無くただダラダラと政治が続いた時代で、それが戦間期にヒットラーを得て急激に軍事力を増大させたドイツとの差になったのでしょう。