• ベストアンサー

独ソ戦について。

hawa254の回答

  • hawa254
  • ベストアンサー率43% (259/589)
回答No.1

個人的には、敗因がモスクワを落とせなかったことにより持久戦になったためかなと思います。落とせなかった理由は、主力を3方面に分散したため、進撃速度が落ちてしまい、圧倒的に不利になる冬の到来で進軍出来なくなり、その間に戦力増強したソ連軍が巻き返したのでしょう。 主力をモスクワだけに絞って、冬の到来前にモスクワを落とせていたら、指揮系統を乱されて恐らくソ連軍は敗退したのではと思います。

sca28875
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 当時のナチス・ドイツの最新兵器も、ユーラシア大陸の冬将軍の猛威には勝てなかったのですかね。 返答、ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 独ソ戦における第6軍のスターリングラード包囲

    独ソ戦における第6軍のスターリングラード包囲 独ソ戦で第6軍がスターリングラードで包囲されましたが なぜ脱出できなったのでしょうか? ヒトラーの命令でパウルスが死守命令されてたのはわかりますが 包囲されても1点を集中攻撃したら脱出は簡単にできると思うのですが?

  • 赤軍大粛清

    1937年から翌38年までに吹き荒れた赤軍大粛清ですが、スターリンは自分の人脈でない軍高官を次々に殺していきました。 この悲劇は単に赤軍の弱体化を招いただけなのでしょうか?それとも何か結果的に独ソ戦の勝利に貢献した一面もあるのでしょうか?

  • なぜインド人にとってチャンドラ・ボースは英雄なので

    なぜインド人にとってチャンドラ・ボースは英雄なのですか? チャンドラ・ボースはテロリストですよね?軍を使ってインドで内乱を起こした。 ナチスドイツのヒトラーと仲良し。 没地は台湾って完全に悪い人なのになぜインドでは英雄なの?

  • ゲッベルスが生きていたら絞首刑になったのか?

    1945年4月A.ヒトラー総統が自殺し、J.ゲッベルスが首相を引継ぎました。彼も自殺したのでゲッベルス内閣はわずか一日で終わりましたが、もし生き永らえて連合軍に捕らえられていたらニュルンベルク裁判で絞首刑判決を受けていたのでしょうか? 宣伝省の重要責任者、ナンバー2のハンス・フリッチェは(殊更にソ連の肝入りで)ゲッベルスの身代わりにA級戦犯指名され、無罪判決を受けています。宣伝省の役割はナチスドイツの悪行の中でその程度の罪ですか?

  • 独ソ戦

    もしドイツがモスクワ攻略作戦を成功させていたらどうなっていたのでしょうか。おそらくスターリンは脱出するでしょうが、やはりドイツに降伏するのでしょうか。

  • 独ソ戦

     44年6月のソ連のバクラチオン作戦をドイツは防ぐ手段はなかったのでしょうか。  お手数ですが教えてください

  • 独ソ戦について

     一部の人によれば、ドイツに十分勝機があったとのことですが、あんなに攻め込んでいたにもかかわらず、結局負けてしまったのだから、ドイツとソ連では実力が段違いだったといえると思います。  少なくともモスクワ攻勢に失敗してからは、まったく勝機なしだったと思いますが、これについて意見をお聞かせください。

  • 第二次世界大戦

    絵空事に過ぎないのですが、気になったので質問します。 第二次大戦のときに、ドイツと日本が入れ替わっていたら、つまり、以下のような形 1、大日本帝國がドイツ、ドイツ第三帝国が日本にある。つまり土地・外交状態だけ入れ替わり、国民性、人物、思想、政治形態は本来の両国のまま。(日本人は天皇陛下を崇めていて武士道とかの精神も持っている。ドイツ人はナチス、ヒトラー総統を崇めている。) このような状態だったら欧州の日本、アジアのドイツは戦争に勝利できていたでしょうか? わかりにくい質問ですいません。簡単に要約すれば、日本人なら欧州でソ連・英国に、ドイツ人なら太平洋でアメリカに勝てていたかどうかを知りたいのです。

  • ナチスドイツを舞台とした小説・漫画を教えてください

    今小説を書いています。ナチスドイツの落日と戦後の混乱期を舞台にしているので参考資料を探しています。インターネットURLも大歓迎です。 ナチスドイツ(特に親衛隊員)の出てくるもの 東武戦線(ドイツ対ソ連)のもの 戦後の混乱期を扱ったもの ・・・ご存知のものがありましたら教えてください。 ちなみに私が知っているものは <映画> ヒトラー最期の12日間 ドレスデン、運命の日 サウンドオブミュージック 地獄に落ちた勇者ども <小説> 総統の子ら 戦火の果てに 白い人 <漫画> レートルシリーズ アルペンローゼ <ノンフィクション> ベルリン陥落         ・・・・・です。

  • 第二次大戦でのイタリア軍

    とあるサイトで、第二次大戦のイタリア軍は腰抜けぞろいで、日本とドイツが負けた九割以上の責任はイタリアにある、というのを読みました。それらのサイトによると、 ・エジプトにおいて、せっかくの圧倒的戦力差を有しながら進軍せず、三ヶ月もの間バカンスを楽しむ。 ・戦闘中、「こちらが眠ければ敵も眠い。だから攻めてこないだろう」といって夜間に見張りもおかず眠りこけて奇襲を食らう。 ・補給された飯が不味い、というだけで補給部隊をいざこざを起こす。 ・アフリカでイギリスと交戦した際、戦力差2.5倍と圧倒しながらほぼ壊滅状態。イタリア側は捕虜4000名、対するイギリス側の死者は七名。 ・俺が死ぬのは好きな女のためだけだ、と言って軍を脱走。脱走者が半数を超えていた師団もある。 ヒトラーに「総統、イタリアが参戦しました」 と参謀が言うとヒトラーは「では2、3個師団でも送れば良い」 参謀「違います総統、イタリアはわれわれの側で参戦しました」 ヒトラーは絶句し「…この戦争は負けたかもしれん」と言ったとか。 ヒトラーは死の直前言った。 「イタリアの位置に日本がいてくれたなら、われわれは負けなかっただろうに…」 結論: イタリアは腰抜けで愛国心も無い。今度戦争をやるときは、日本はイタリアと同盟を組むな。 などとなっていました。 イタリア降伏後も枢軸国側に止まって連合軍と戦ったイタリア社会共和国(サロ共和国)の勇戦敢闘についてはあまり知られていない、という記述も目にしましたが、実際ここまで酷かったのでしょうか。 調べたサイトなどでは断片的な情報しかなく、近所の書店でも詳しい書籍は置いておりませんでした。 興味深いので、第二次大戦の詳しい人にご教授いただきたいと思います。