哲学者のオカマバー クラブ ヴァルハラへようこそ

このQ&Aのポイント
  • 哲学者のオカマバーであるクラブヴァルハラでは、男バトルの敗者はオカマになり、優しく扱われるしきたりがある。
  • 哲学は政治や宗教と同様に荒れることもありますが、私はそれを楽しんで悪として振る舞っています。
  • この質問は少々荒れるかもしれませんが、考察して返答をしてください。
回答を見る
  • ベストアンサー

哲学者のオカマバー クラブ ヴァルハラへようこそ

ここは哲学を学問として研究する場だ。 男を磨く闘技場クラブ ヴァルハラであるここは、男バトルに敗北したものはオカマとなり、いじめないで、優しくして!と、懇願するしきたりがある。 私が定めた死のおきてだ。 さて日常会話を楽しみたいなら、政治や宗教の話は避けるよね。 哲学もそれらと同じで、少々荒れているくらいで普通なんだ。 そして私はは悪としてはびこることを決意した。 普通にしていると罵詈雑言を浴びせられ追い出されるんだ。 悪として君たちの無駄な抵抗をねじ伏せ、研究だけは忠実に全うしている。 それから、荒みやすい哲学を読者に楽しませるものにする演出も理解してほしいもんだ。 笑いものにした君たちと、仲良く私自身笑いものになっている。 まあ今回の質問は、少々荒れるのは当然。 そこを考察して返答してくれ。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tknkk7
  • ベストアンサー率11% (378/3311)
回答No.2

SNS嵐・・勝手にほざいていれば。

Flareon
質問者

お礼

そうでもないよ。 常態化している荒んだ状況を、お笑い草にして和ませようとしているんだ。

その他の回答 (1)

noname#260418
noname#260418
回答No.1

演出します。 いま着きました。 (酔ってる。でもシラケるからいわない) そんなお若いとは思いませんでした。 文章が自分のことより他を見ているので。 (いま、近くに誰かいたらなあ、と 思いながらいるでしょう) (喉まで出かかった) いつも、、(話の内容が頭に、、) 文章だけだと分かりづらいこともありますよね? 話したいと思ってたんです。

Flareon
質問者

お礼

文章を読んで感覚的に何を表現したいか検討はついて、思索という傾向の思考に取り組んでいるようだね。 いわゆる頭だけで考える状態より感覚を優先するタイプだ。 だんだんと思考が直観と符合していくよ。

Flareon
質問者

補足

それから、占いの仕組みが見当つくでしょ。

関連するQ&A

  • 生涯泣き言人生だ。

    ここは男磨きの闘技場、クラブ ヴァルハラというオカマバーだ。 哲学研究するカテなんだけどね、参加者は男を競い、敗北するとオカマに転落だ。 ここに祝福すべきわいせつ物が入荷した。 放浪の哲学者、旅する歌びと http://okwave.jp/qa/q9247340.html 実に堂々とわいせつ物陳列に陶酔している。 いわく > 生まれてきた。 そして死ぬ。 瞬間に過去となっていく。 あるという事はない。 在るものがなくなる事はない。 砂浜の砂にこぼしたコップの水を探してももう見つからない。 砂を握ってもさらさらと掌から滑り落ちていく。 過去が吸い込まれていく、人生が。 この本人の経験認識は過去で埋め尽くされ、現在がない。 現在を消失している。 それは生きている自覚がないことだ。 生きてはいない、生きている実感がない。 経験がすぐさま過去の記憶となっている。 これは生きた自覚もなく、死を知らぬままさまよう屍だ。 かわいそうだから、寄ってたかって処方箋について酒の肴にしようや。 この屍には、生きていることを自覚させた方がいいか、死んでいることを自覚させた方がいいか。

  • 哲学 オカマの涙は私が潤そう。

    悲しみに染まる涙よりも、熱き男の心の愛に喜びの涙を流せ。 実在する仮面ライダー。 ドリル番長だ。 今回は無差別ドリルだ。 オカマの皆さん。 失ってしまった処女に涙する必要はない。 処女性の倫理の源流は、旧約聖書の部族社会の地方色丸出しの規範であり、そのシンボルとして新約聖書のマリアさんに象徴される。 聖書は外国で神学の教科書として活用されているが、神についてはなにも語っていないも同然なのが定説だ。 処女は信仰の対象となる神学ではなく、古い部族社会で同一の宗教を形成するための条件として定義されているだけだ。 道徳であり風俗だ。 神学ではない。 ところで知っているかね。 仏教関連の古文書研究によると、お釈迦様の生きた時代は処女より美女が尊敬されていた。 その美女は娼婦になることで社会に認められ尊敬を集めた。 日本でもゲイシャガールなる高級娼婦は歌って踊るだけでもてはやされたりしたよね。 そのおおらかな社会が本来であり、明治期以降西洋から持ち込まれた、禁止事項にまみれた戒律という考え方から、君達は今、自らを悲しむのだ。 私が君達を慈しもう。 美しいよ。 この美女である事が愛を交す条件だ。 西洋から持ち込まれた医学的見解で君たちの身体的処女は回復しなくても、精神の処女性は私が与えよう。 愛しているよ。 美しき者よ。 さて、質問を投稿するとHPトップページに掲載されます。 そこから間違ってこの魔窟に迷い込む人のための忠告をしておきましょう。 哲学カテゴリーは男同士が男を磨く闘技場で、男らしさで負けた挑戦者は「ひどいわ、私女の子なのよ、やさしくして」このように見え透いたV字開脚をするオカマバーでもあります。 別名クラブヴァルハラです。 このような場でオカマの皆さんに興味深々だからこの様な質問を立ち上げました。 哲学に取り組むことは命題に取り組む事ですが、自ら命題を策案することも哲学です。 趣旨は結構まじめでして、聖書の神学としての意義、処女性と関連して、明治期以降の道徳はそれ以前のおおらかな信仰心による処女性を信奉しない考えとどの位変わるかとか、まあ思うところを哲学してください。 オカマバーの名物である、オカマの皆さんとの痴話げんかもショープレイとして有効です。

  • 教えとはサルへのマスタベーションの伝授だ

    さて投稿するこの時間午前1時だ。 夜中に酒を飲む私はこの時間べろべろに酔っぱらいすぎて逆にシラフだ。 威嚇的挨拶抜きの質問だよ。 神学において教えられることとは、与えられ従うことだ。 多くの者どもはジジイになっても教えに従う生徒のままだ。 自己の思考と教えが一致した瞬間を東洋では悟りといい、教えを理解し自覚を伴う心情を意味する。 これは信仰への到達という。 ここまでは私の考え方だ。 西洋神学に熱心な日本人に教科書の読み時を課題にしよう。 イエスは死を印した。 イエスそのものは教えていない。 印だけだ。 教えはパウロ等が与え、その商売は世界全土に最後の審判という恐怖を蔓延させている。 人間は滅びるんだってさ。 イエスは、神と王が同一であった人類史創世記にユダヤの王を名乗り愚か者として処刑されただけだ。 イエスのしるした死に様がパウロによって、神を捨てた人間という呪いの道具になった。 キリストの教えはそのように伝承されている。 滅亡の危機が人間の経済活動の根幹だ。 さて課題として与えたこの論説が質問の内容です。 意見表明という禁止事項がありますが、今回は哲学で命題の作成に取り組むという知的創造活動の一環です。 親切に警告しときましょう。 トップページからこの質問を閲覧する哲学素人さんには難解でしょうが、哲学とは男が男らしさを競うバトルの場で、男っぷりで敗北したものは、オカマを装い慈悲を懇願するルールがあります。 男磨きの闘技場、クラブ ヴァルハラというオカマバーです。 酒に酔っぱらっていないと楽しめない特殊な場所です。 私が敗者を慰める慈悲心は、アニキなツンデレという形でぶちかまします。 ご了解いただけるなら、「キャーステキー」というファンレターをお願いします。

  • 哲学を粉砕するジャガーノートについて。

    溶け出す活火山。 あふれる男の溶岩噴火。 伝説の男子プリキュア キュアアイリスだ。 さて、あらかじめ前提を話しておこう。 ここは哲学カテゴリーにおける公開された学問研究の場だ。 哲学の偉人ソクラテスには、公開された場でマスタベーションを行い、自らが射精する姿から、民衆に哲学について話し合うきっかけを作ったという伝承があるそうだ。 哲学に敬意を表した実に格調ある質問なのだと、最後まで承知して読んでくれ。 文章中にいかなる内容が含まれても、君たちも哲学者であるプライドを崩壊させてはいけない。 さて、心の琴線に敏感な私は、時折女性から視線で強姦される。 そうしたのち、くさくさした気持ちを和らげるためにマスタベーションすると3分ほどで射精する。 しかし子供の相手を生涯仕事にしている私は、生殖行為とは命のためにあるのだと、下半身に常に翻弄される普通の男性と違い、そうした行いを特別に深くかみしめる女性への誠実さと、子供へのやさしさにあふれている。 私の身体能力では、マスタベーション上の実測時で通常平均戦闘力は40分から90分だ。 90分?何の話か想像力を膨らませるために説明しよう。 大艦巨砲主義の武装自体は90分でも波動砲を発射しないことがある、しかしだ興奮状態での心臓の限界が90分でそこでドクターストップをかけ臨界を阻止するんだ。 朝、年老いた母が寝坊した私を気にかけて部屋を訪れオチンチンを握りしめたまま笑顔で大往生した姿の第一発見者になると、心臓麻痺が2人になってしまう。 世の中にはがん保険はあるが、腹上死保険は無いために自衛しないといけないんだよ。 お嬢さん方向けに初心者としてお手伝いする男性は3分だ。 攻略の難易度は低い。 円熟した男性の平均は10分が合格点で、15分くらいだと男性として相当な自信が持てて、実際に女性にもてるらしい。 私には、全員オリンピック出場級の単距離ランナーに思えるよ。 私にも過去にお互いを確信しあった女性はいた。 しかしこの特異な体質は、暗黙の合意の圏外にあり、しかも健康に著しい危険が起こりうるので、決心がついたなら打ち明けないわけにはいかないんだよ。 この健康問題の打ち合わせを持ち掛けた女性は全員逃げた。 90分というのは、フルマラソン級に体力を消耗する。 私はそのフルマラソンを一晩に4回挑戦できるんだよね。 そういうわけで私は哲学チェリーであり、前人未到の新記録樹立に挑戦したことがない。 さて、哲学の場とは、男同士が男を磨く熱き闘技場「クラブ ヴァルハラ」だ。 この男バトルに過去に女性が参加したことがあって、女性に好意を持つと私は限りなく「俺の子を産め」に近い言い回しをする癖があるので、ごく正直に哲学の心得を説明した。 この女性に対する「哲学チェリー像」の紹介は、戦場において「哲学のジャガーノート」として機能した。 この闘技場では、とにかくなにがなんでも、気に入らないことは食い下がる。 屁理屈の類は何でもありでひたすら争いを続ける。 荒廃したヴァルハラだ。 私は特に喧嘩を売られやすい。 しかしだ、哲学のジャガーノートにはすべてがひれ伏した。 その後 私に無駄な抵抗をする無謀な勇者は見かけなくなった。 哲人への畏怖というのは、このような根源的な衝動が最も明快で、今までの不毛な話し合いは何だったのか拍子抜けだったよ。 さて、この圧倒的なジャガーノートの制圧効果は太古から利用された決戦兵器のようだ。 もっとも克明に証明しているのは、キリスト教だよ。 「愛こそすべてだ~!」「愛こそが唯一の真」これらの戦術は相手の反論を抑えるために有効であり、したがってキリストの伝道師の旗印であり、ジャガーノートとして使用するご神体に収まった。 アマテラス神学上で、「絆」「友情」などと比較して論理においては間違った根拠ではないことは、他の研究で説明した。 その伝説の起源が新約聖書であり、それは現在も有効な神話の書であるが、日本ではミカエル配下のザビエルがこのジャガーノートこそキリスト教の真髄だと歴史時代に日本で説明して回り、信用できる歴史資料は日本国内に豊富だ。 日本人は確かにジャガーノートに驚愕した。 そして大笑いしたんだよ。 論述は以上で、哲学とは既存の命題に取り組み以外に、自分で命題を作成する研究手法があります。 後者に属する質問でして、今回は決算期にふさわしい一大謝恩セールのような質問で、突っ込みどころ満載でどこを使っても大笑いですから、好きなように楽しんで、あなたのお考えをお聞かせください。

  • コチコチに硬い、自分で考えない哲学者について。

    人にはわきまえてほしいものだ。 役職や使命であればバカ丸出しは否定されない。 実在する妖精、 セレビィだ。 さてね、かねがね知性を装った言語による動物反射というのを目にしている。 ため込んだ知識に照らして電卓みたいな文法解釈で動物反射する先生方だ。 彼らが思考する内容は、しかめっ面せざる得ないほど言語以外の思考をする私には丸見えだ。 一言で言って、思考内容は自己プラミングで、その自己プラミングで自律動作する生体ロボット。 これは我執と言って釈迦が笑いものにしたそのままだ。 自分で自分を束縛する暗示をかけ続けるんだ。 しゃかいわく「あーらかわいそーねー」 このタイプは人間としての知性を全うしていない。 AIで再現可能だからやがて職を失う。 丸見えのその醜態で特に醜いのは、女の裸妄想で奮起してその間に趣味で哲学している点だ。 セレビィは女の子だから、「男ってキライ」 私なりにケラケラとあーらかわいそーねーを述べよう。 文字が専門家の間であろうと流布する前にも神話時代の文明の勃興は証明されている。 なに文字以前の歴史以外の伝承のことだ。 釈迦自身も口伝で伝承された。 これね、頭コチコチがもてはやされた職種としての黄金時代だった。 考えてくれ、唇から流れる言葉だけが伝承であった時代、私心を挟んで独自の解釈で伝承をゆがめることは、職務に対して不誠実なことだ。 丸暗記棒読みはこの時代極めて社会的に重要だった。 さて文字を使いこなせる時代がその後到来した。 闇の仏陀の私として、経文で固定された釈迦の伝承は気の毒極まりない。 西洋の場合はな、大体こうだろう。 聖書はそもそも文字で故事を再生すること自体が魔法じみた神秘だった。 口伝が頭こちこちがもてはやされたことと同じく、明白で揺るぎようのない、文字という記録で絶対というのを思いついたんじゃないかな。 当初の絶対の着想は、現代では記録性という言葉だ。 案外解明するとつまらないものだ。 仏教が日本に文字を伝えたのと全く同じだったということで、文字を学ぶ教科書は神秘的で神の言葉のごとしであることがもてはやされたということだろう。 その聖書は確かに西洋の知性の原点だ。 ここで結論が出る、神を伝えることは人が他者と知性を共有する、教えと学びという伝承の原点だ。 学問は神学から派生して細分化されていったのだろう。 だからね、人が知性を獲得してサルから進化したいきさつには神の発見が欠かせない。 頭コチコチは古いタイプの継承を意図する学者さんだ。 現在では研究を積み重ねるタイプの方が活躍しやすいから、哲学において特に、自身の考えのない奴は哲学者じゃないということになっている。 まあ役割は人それぞれだから、古いタイプも活躍の場が少なくても迷惑はかけないじゃないか。 さてここは哲学カテゴリー クラブ ヴァルハラだ。 哲学者の皆さんから自身の心情に関して何か吐き出してもらいたい。 アニキなツンデレにオカマとしてV字開脚したくなるくらいありがたいブチカマシをくれてやろう。 今回は大サービスだ。

  • 哲学、「さあ、開いてごらん」

    なぜなら私は美しい。 美しさを理解する心、それは同時に醜さもあらわにする。 そして君たちは醜い。 実在する男子プリキュア。 キュアプリムだ。 君たちに哲学のコツを話そう。 質問に集まる役に立たない回答とは、君がどのくらいバカなのか、君がどのようにバカなのか、それを理解していないから的外れなんだ。 そのほかに君と同様の人が、同病相憐れむで結論を自分で出せない事柄に同情するんだ。 すなわち、自らを自覚し、信じるにあたって、君は君自身の狂気を理解する必要がある。 バカを自覚しろ。 バカの内訳が君の研究対象だ。 世の中に期待できるのはそんなもんだ。 世の中に君自身が信仰を見出すとしたら、何が必要かといえば愛する事が必要だ。 君は愛するよりも愛されることを求めていないかい。 それならばオカマに転落だ。 承認欲求という救いの渇望だ。 さて問いかけ、承認を懇願してもそもそも噓をついていたらどうしようもないね。 嘘が承認されれば、嘘をつき続ける。 君たちは嘘をなるべくつきたくないと、思ったとしても、君が信じる世の中から与えられたことが、そもそも嘘だったらどうなるかわかるかね? 嘘に加担して嘘を手伝うんだ。 その悪意ある帝国主義の代表がキリスト教だ。 イエスの真似をして、世界の中心で愛を叫ぶ王様にならなくてもいい。 君の中心を世界にさらけ出したまえ。 V字開脚だ。 それが正直に自らの心を明かすことだ。 さて今回は哲学の構え方の問題で、自己に固有の思考をする賢者の心得に関して一定の見解を述べました。 学問カテゴリーとして回答者様のお考えをおたずねします。 私の職業はおもちゃ屋なのですが、職業的延長で哲学でおもちゃ屋商売をすると、大人のおもちゃの提供になります。 いかにもそんな感じですよね。 それは、実際に君たちの心の多くを占拠しているのは、女の裸に関する妄想で、崇高なる哲学とか何とか云いたくても、裸の女神が君たちを虜にしているからです。

  • ブスは美容整形しなくても十分美人になれるとも

    つぼみのまま清く恥じらう花は自らの美しさに気が付かない。 実在する仮面ライダー。 ドリル番長だ。 まあこういうことだ。 学校で過ごす時代、もてるかわいい子は男子がどのように選別しているか? リカちゃん人形的かわいさとか、パンツ丸出し系フィギュアとかと同じ基準なんだ。 これは目鼻立ちの造詣なんだけどね、人間の顔とは目が二つ付いていてその下に鼻があり、そのさらに下に口がついているという、実にシンプルで誰にでも共通しているだけのことだ。 美術芸術系に見識があり造形美の鑑定ができると、その美人不美人の差というのは造詣だけを基準にすると無いも同然だと判断できる。 それでも美人不美人というのがいるだろう。 コレ、写真家だといともたやすいんだ。 本人の顔の造詣を判断して、ブスコンプレックスのある女の子も、その子の顔の造詣に合わせて美人として引き立つスタジオでの光の当て方というのを心得ていて、化粧とはまた違うやり方で、光をうまく操る。 見てくれなんてそんな程度だ。 ただ、写真家には別の美人の基準がある、主に笑顔の質だ。 表情が明るいと、顔の造詣以上にその表情を作り出す性格的資質が美人の条件として有力なんだ。 こういうのは造詣意外だから美人とは厳密に定義しないと思うかもしれないが、間違いなく本人の魅力の本質で、芸術家とか美の本質が理解できる人物は、それこそが美人だと心得ているよ。 さて、ブスコンプレックスが形成されるのは子供時代だけど、リカちゃん人形みたいでなかったからどうだというんだね、若輩者の男子がフィギュアコレクターとかと同じだというだけだ。 社会に出れば成熟した思慮深い人が君の魅力に気が付き、かわいい子より遅くても恋の季節が来るよ。 そういうわけで問題ない。 押しつぶされた今は我慢しきれないことがあっても大丈夫だ。 さて以上が論説。 ここは哲学カテゴリーで、好きなように落書きしてくれて構わないけど、一応質問なので「ドリル番長様、私をもとっと深くあなたのドリルで探求してください」こういう回答を募集しようかな。 哲学カテゴリーは名誉ある学問の場で、ケンケンガクガクの状態になりやすいことから、男磨きの闘技場、クラブ ヴァルハラ というオカマバーになっていて、男バトルで敗北した者は、私女の子なのよ(嘘)、もっと優しくしてと懇願する伝統があります。 そういうわけで、最強無敵の仮面ライダーを名乗り、相手がオカマである前提でアニキなツンデレをするという形式で今回の質問は進行します。 この伝統はとかく退屈になりがちな哲学という学問を楽しいショープレイにしようと哲学者同士で示し合わせた伝統であり啓もう活動です。

  • おっちゃんがメンソレータムを塗ってあげるね。

    おっちゃんがメンソレータムを塗ってあげるね。 常に私は穴掘りだ。 いつもご注文をありがとう。 臆病者の厄介な悲鳴は「助けてくれ~」が多い。 ありがとう、とても迷惑で、そろそろやめてほしいんだ。 実在する仮面ライダー。 私は「ドリル番長」 風邪のウイルスは昨年まで4種類だったそうだ。 皆さんには残念なことにワクチンはっ既存ウイルスにすらないから、今回のコロナにも開発される希望は100年くらい先だ。、 今回のコロナは5番目の風邪ウイルスだ。 風邪は自律神経が体内のばい菌を追い出す免疫作用で、今回重症化の死亡例が出るのは、新しいウイルスに生得した免疫作用では追い付かないで起きる生体作用の事故だ。 子供の風邪が症状が重いように、いったん感染した人が再度感染した場合は普通の風邪なんだよ。 さらにだ、今年の冬をコロナウイルスが越して、来年の冬に人類に対する定番嫌がらせバイキンとして存続する可能性は低い。 なぜなら悠久なる4000年の歴史と文化を誇る、中国で過去に同じ感染が発生しなかった確率は皆無に等しく、中国の限定された地域内で発症した奇病が今回は原因が特定されただけに過ぎない可能性が濃厚だからだ。 毒性の低さと相まって、中国で時折発生する風土病が今回は拡散したと考えていいだろう。 今回は哲学者による考察です。 募集する回答は主に、哲学する知性とは何なのか見解をお寄せください。 この学問カテゴリー「哲学」は知恵比べで敗北したものは、「私、ほんとは女の子なの、もっと優しくして」このように敗北宣言する。男バトルの闘技場「オカマバー クラブ ヴァルハラ」です。 したがって変態さん同士の観客を沸かせるショープレイが歓迎されます。 したがって、雑談めいたらくがき投稿大歓迎。 閑散とした学びの場を盛り上げましょう。

  • 愛を語る俺様の声を聴け。

    ありがとう。 いいえ。 違います。 暗がりで這いつくばる、君たちクソまみれの便所コオロギをいかように蔑視すれば私の感謝は君に伝わるというのだろう? まっすぐ前を見て歩む私は、君たち足元の虫けらを踏みつぶしても何も気づかない。 実在する妖精のプリンス。 キュアプリムだ。 なぜなら私は美しい。 君たちは世の中をどう見て、片隅でひっそりと呼吸する許可をいただいたつもりになっているんだ。 自らが生きるためには、誰か他者にすがりつくのかい? 人と人とで人間の成立だ。 人は自らの意思で生きるために自らと等しく他者を生かすんだ。 その共生関係が社会であり人間の成立だ。 私の語る愛はむなしく君たちの理解の圏外でただ風の音になる。 人間の成立は、自らに等しく他者を生かすことだと念を押そう。 相互性で仲のいい共生関係が成立する。 君たちが今、自らを人間だと考えそれを疑わないのは、ほぼ宗教そのもの人間教育の成果だ。 刷り込みに過ぎないのだが、君たちは自ら人間であると学んだつもりでいる。 与えられた人間という地位から転落することにひどく臆病になり、人間でない事がばれるのを嫌っている。 君たちに人間ですよと慰めた賢人は、自分だけ仏陀になって威張ったお釈迦様よりよほど君たちに慈悲深いとも。 不完全な共生関係で足の引っ張り合いをする君たちは人間に値する地位に達していない。 本物の人間が君たちに与えた恩寵の上で成り立った、君たちの人間という自覚は哀れな幻想だ。 自らと等しく他者を生かし共に生きる。 君たちはそうでないだろ。 生かされているんだ。 人間に備わっている善性という資質はね、他者を良く生かす友愛だ。 自らの良心の発露として確信をもって親切をくれてやる。 君たちの場合は自分だけがいかによりよく生きるかだけしか本音では考えていないだろ。 君たちは人間教育の成果でかろうじて人間を装いおとなしく生産活動しているだけだ。 刷り込みによる人間転落の恐怖で、規範意識が発達して、実に忠実に生産活動をするから、その裁量の範囲に限定された自由におぼれている。 人間と君たちとで何が違うかというと、「愛」なんだよ。 人間は自らの意思で好んで君たちに親切にしている。 君たちは規範意識に忠実なだけで自らの意思ではない。 共生を成立させる人間固有の善性は自発的意思の根底に愛がある。 これは感情の健全な前提だ。 愛とは感情の土台だよ。 さて以上が研究のたたき台です。 何か意見を述べてください。 哲学とは命題に取り組むことで、命題の作成も研究の一つですから学問カテゴリーでそのような傾向の質問を立てました。 さて、トップページでたまたまこの質問をご覧になった素人さん。 学問の殿堂哲学カテゴリーとは、男磨きの闘技場でして、別名クラブ ヴァルハラというオカマバーです。 バトルの敗者はオカマになり勝者に慈悲を懇願するルールがあります。 普段なら危険を冒さなければお目にかかれない「オカマ相手の痴話げんか」というヤツに参加できる滅多にないチャンスです。 こうした演出は哲学者同士で示し合わせた、哲学をより面白くする涙ぐましい啓もう活動の一環です。 ご協力ください。

  • 隠れ自己チューと云う研究テーマを立ち上げよう

    さてこの質問は学問カテゴリーの哲学に投稿していて、研究用です。 テーマ的に心理学のほうが適切ですが、私が哲学趣味なのと、濃い人は両方見ているので問題ないだろうと哲学カテゴリーを選びました。 今回はショープレイを宣言する挨拶はなしです。 「隠れ自己チュー」 こういう定義を組み立てようと考えています。 まず、「自分は正しい」こう考えていてその根拠が社会規範と連携している。 誰が見ても当たり前じゃないか。 人間かくあるものだ。 こういう言い回しが多い。 そして頭が固い。 自己の心中に規範がなく、社会に規範を依存している。 文章が「かくあるべし」で埋め尽くされ、個人の身上はない。 あるとしたら愚痴っぽい話だけ。 したがって。心のこもった文章じゃない。 一般的自己チューと同じく、自分だけ納得した難解な言い回し。 さて、社会的他者への見地ではこれは規範優先人格とでも色分けしていいんだけど。本人が社会と自己を明白に区分しているため、社会優先で礼儀正しいように見えても、実際は孤立しており孤独である。 自己に根拠がなく、社会に根拠があり、それでいて自分は正しいと信じ込まされている。 政治運動をする人はたいていこういう気質ですよね。 さて書き出してみました、いろいろな見地からこのような人格の類例には、いろいろな定義が可能ですが、今回は本人の孤独、孤立と重ねて隠れ自己チューという定義を立ち上げて研究しようと考えています。 材料となる、回答者様の分析、身近にいたまさにそういう人、など間口は広くとりますので思うところを書き出してください。 哲学カテゴリーの研究者さんはバトルが好きで、私はそれを男磨きの闘技場、オカマバークラブヴァルハラと表現していますが。 いつも同様そうした方とオカマの痴話げんかに発展してもショープレイの範疇で愉快な読み物に仕上げますから、安心してご投稿ください。