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超弩級の語源

スケールが並外れていることを超弩級と言います ドはある戦艦の名前のはずですが その戦艦の正確な名称を教えて頂きたいと思います よろしくお願いします

質問者が選んだベストアンサー

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noname#12265
noname#12265
回答No.5

 更に御質問からそれてしまいそぅですが(^-^;)補足です。  ドレッドノート級の戦艦を『大艦巨砲主義』と言いまして、とにかく巨大な主砲を用意する、そして、その主砲を載せる為に巨大な船を造船する、とゆぅモノで、それまで最初に船ありき、そこに適当なサイズの砲を並べる、とゆぅ設計手法とは全く異なる企画でした。  第二次大戦前の日本ではモーレツな勢いで軍の補強を進めており、その参考の為、列強国の軍隊の視察を繰り返していました。  当時イギリスに派遣されたのが海軍工廠の平賀譲中将でした。彼はすっかり『大艦巨砲主義』に取り付かれてしまい、その後組織内の権力抗争に破れ海軍工廠を追われましたが、戦局が変わり、アドバイザとゆぅ形で戦艦・大和の設計に加わりました(今日では、当時民間人に過ぎなかった平賀譲氏を大和のチーフデザイナとする見方が一般的です)。  ドレッドノートを目の当りにして設計された戦艦・大和は、まさにドレッドノート級を超えた艦船だったワケで、『超弩級』(=ド級を超えた)とゆぅ言葉は、本来は大和そのものを指し、また、細かい話ですが、「超弩級の・・・・」とゆぅ表現は、「ドレッドノート級の・・・・」ではなく、「ヤマトの様な・・・・」とゆぅ意味となります(この点では、国語辞典ですら間違った意味が書かれているモノもあります)。

その他の回答 (4)

  • myeyesonly
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回答No.4

こんにちは。もうすでに答えが出てるので、なんでそのドレッドノート号が基準になったか・・・だけ。 それは、この船を堺に、戦艦の作り方がまるきり変わった最初の船だったからです。 まあ、急に大きくなったというのもあるけど、それまでと構造がまるきりかわっちゃいました。 初代のドレッドノート級というのは、当時はそれまでと全く違う新式戦艦だったんです。 長門より大和の方が大きいとかいうレベルの違いではなく、全く巨大な新兵器が出現した!という位驚かれたらしいです。

  • rx78
  • ベストアンサー率38% (10/26)
回答No.3

大英帝国海軍の1906年進水の「ドレッドノート」号が語源です。 次いで1915年に進水した「クイーンエリザベス」号がスーパードレッドノートクラスと呼ばれ、以降、大型戦艦を弩級、超大型戦艦を超弩級と呼んでいます。日本でもこの呼称が一般化したには、英国海軍が当時世界最強であり、日本海軍は英国を規範としたこと、1大戦までは同盟国であったことなどが理由でしょう。

参考URL:
http://ww1.m78.com/topix/dreadnought.html
回答No.2

NO.1だけではあまりにも味気ないので、補足です。 「ドレッドノート (Dreadnaught)」は1906年に就役した大英帝国海軍の戦艦です。 ちなみに、その名前は英国初(?)の原子力潜水艦の艦名にもなりました。 あまり、補足にはならなかったかな。

回答No.1

英国の戦艦「ドレッドノート」です。

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