朝鮮通信使が日本や日本人をうらやむ手紙を書いていた

このQ&Aのポイント
  • 朝鮮通信使が日本や日本人をうらやむ手紙を書いていたことが明らかになった。
  • 日本の豪華さや豊かさに感嘆し、自国と比較すると見劣りすると述べている。
  • 日本の女性の美しさや日本の都市の豪華さに驚きを隠せなかった。
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朝鮮通信使が日本や日本人をうらやむ手紙を書いていた

▫️大坂での記述より (多くの船が)一斉に行き来する様は驚くばかりの壮観である。その昔、楼船で下る王濬が益州を称えた詩があるが、ここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう。 流れの両側には人家が軒を連ね、漆喰塗りの広い塀には鯨の背のような大きい家を金や紅で巧みに飾り立てているが、三神山の金闕銀台(きんけつぎんだい = 仙人の住処)とは、誠のこの地の事であろう。 本願寺に向かう道の両側には人家が塀や軒をつらね、その賑わいのほどは我が国の鍾絽(チョンノ = ソウルの繁華街)の万倍も上である。 館所に入る、建物は宏壮雄大、我が国の宮殿よりも大きく高く豪華である。 我が国の都城の内は、東から西に至るまで一里といわれているが、実際には一里に及ばない。富貴な宰相らでも、百間をもつ邸を建てる事は御法度。屋根を全て瓦葺にしている事に感心しているのに、大したものよ倭人らは千間もある邸を建て、中でも富豪の輩は銅を以って屋根を葺き、黄金を以って家を飾り立てている。その奢侈は異常なほどだ。 天下広しといえこのような眺め、またいずこの地で見られようか。北京を見たという訳官が一行に加わっているが、かの中原(中国)の壮麗さもこの地には及ばないという。この世界も〈海の向こうより渡ってきた穢れた愚かな血を持つ獣のような人間〉が、周の平王の時にこの地に入り、今日まで二千年の間世の興亡と関わりなくひとつの姓を伝えきて、人民も次第に増えこのように富み栄えているが、知らぬは天ばかり、嘆くべし〈恨むべし〉である。 この国では高貴な家の婦女子が厠へ行くときはパジ(韓服のズボン状の下着)を着用していないため、立ったまま排尿するという。お供のものが後ろで、絹の手拭きを持って立ち、寄こせと言われれば渡すとの事。聞いて驚き呆れた次第。 ▫️京での記述より 沃野千里をなしているが、惜しんで余りある事は、この豊かな金城湯池が倭人の所有するところとなり、〈帝だ皇だと称し〉、子々孫々に伝えられている事である。この〈犬にも等しい輩〉を、みな悉く掃討し、四百里六十州を朝鮮の国土とし、朝鮮王の徳を持って、礼節の国にしたいものだ。 倭王は奇異な事に何ひとつ知る事なく、兵農刑政の全てを関白に委ね、自らは関与せず、宮殿の草花などを愛でながら、月の半分は斎戒し、後の半分は酒色に耽るとか。 ▫️尾張名古屋での記述より その豪華壮麗なこと大坂城と変わりない。夜に入り灯火が暗く、よくは見えぬが、山川迂闊にして人口の多さ、田地の肥沃、家々の贅沢なつくり、沿路随一とも言える。中原にも見当たらないであろう。朝鮮の三京も大層立派であるが、この地に比べれば寂しい限りである。 人々の容姿の優れている事も 沿路随一である。わけても女人が皆とびぬけて美しい。明星のような瞳、朱砂の唇、白玉の歯、 蛾の眉、茅花(つばな)の手、蝉の額、氷を刻んだようであり、雪でしつらえたようでもある。趙飛燕や楊太真が万古より美女と誉れ高いが、この地で見れば色を失うのは必定。越女が天下一というが、それも真とは思えぬほどである。 (復路にて)女人の眉目の麗しさ、倭国第一といえる、若い名武軍官らは、道の左右で見物している美人を、一人も見落とすまいと、あっちきょろきょろこっちきょろきょろ、 頭を振るのに忙しい、まるで幼児のいやいやを見ているようであった。 ▫️江戸での記述より 楼閣屋敷の贅沢な造り、人々の賑わい、男女の華やかさ、城郭の整然たる様、橋や船に至るまで、大坂城、西京(京都)より三倍は勝って見える。女人の艶やかなること鳴護屋に匹敵する。 (将軍との謁見について)堂々たる千乗国の国使が礼冠礼服に身を整え、〈頭髪を剃った醜い輩〉に四拝するとは何たる事か。 (将軍家治について)細面で顎がとがり、気は確かな様だが、挙動に落ち着きが無く、頭をしきりに動かし、折り本を弄び、やたらにきょろきょろとして、泰然としたところがない ↑この手記は当時の朝鮮人が日本に対して嫉妬しているのでしょうか?

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質問者が選んだベストアンサー

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  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.4

朝鮮通信使は合計12回やって来ましたが、おそらく11回目のものと思われます。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF 通信使の発端は秀吉朝鮮征伐の際捕虜として日本に連れて来た高麗青磁の陶工たちの返還が目的でしたが、二回目からは将軍が変わる度に慶賀を目的としています。  朝鮮と日本の交易は封島(つしま)を窓口にして細々と行われていました。 封島領主は日本を代表しており、時の将軍の名を語って行われていましたが、正式に授権はされていません。 朝鮮は日本を見下すことで国の中の不満分子を抑える。 これは今もずっと続いています。  朝鮮王朝は中国歴代王朝と冊封関係を結び、臣下として仕えて来ました。 このため、独自の産業面での発展も制限されています。 いちいち中国王朝の認可を仰ぐ形を取らざるを得なかったのです。  これに対し、日本は独自の発展を遂げています。 特に15-16世紀の百年以上も続く戦国時代に日本各地に実力者が跋扈します。 この時、軍事面のみならず、商業、工業が目覚ましい発展を遂げています。 17世紀に入り、中国の清王朝の徳川幕府も鎖国政策を取り、門戸を閉ざします。 しかし、日本は8代将軍、徳川吉宗の治世にキリスト教関係以外の西欧の文書の輸入解禁し、当時の世界の最新技術の導入を許します。  第11回目の通信使は10代将軍家治の就任慶賀が目的です。 1760年代の日本は各藩に特産品開発が盛んに行われ、樽前船を通じて日本全土に交易されるようになっています。 戦乱の世は終わり、産業面での発展が著しい時代に入っていた頃の話です。 李朝朝鮮との対比は正しい記述だと思われます。 特に日本は大名の参勤交代を行うため、主要な街道が整備されています。 朝鮮通信使には日本のインフラ整備の進展ぶりは驚きだったと思われます。 

matamatadayo
質問者

お礼

なるほど。大変参考になりました。ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • IXTYS
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回答No.5

こんにちは。 #4の再入場です。  数年前韓国旅行の際、景福宮(キョンボックン)を訪れました。 李朝朝鮮王朝の正宮として建築されたもので、19世紀の後半に建造されたものです。  ● 規模を見れば李朝王朝の権力の大きさがわかります。  日本の大阪城や名古屋城と比べると小さいのに驚きました。 日本で言えばちょっとしたお寺程度の規模に過ぎません。 冊封使が二年に一度訪れ内部査察を受けており、権力もかなり制限されていたことが伺えます。 

matamatadayo
質問者

お礼

なるほど。参考になりました。ありがとうございました。

  • mm058114
  • ベストアンサー率30% (102/337)
回答No.3

朝鮮人は、中国の支配になることが多かったけど、 そのことは伏せて、実は自分達が一番と思っていた。 自分達が一番と思っていたから、倭寇の国と思っていた日本は、 行ってみたら、日本の繁栄にビックラこいた。 ってところじゃないですか?? 朝鮮人が自分たちが一番と思っているのは、 今にも繋がっている気がと。

matamatadayo
質問者

お礼

今も昔も日本に対する劣等感が凄いですね。ありがとうございました。

回答No.2

リップサービス

matamatadayo
質問者

補足

当時の朝鮮の国の方が立派だったと言う事ですか?

  • mpascal
  • ベストアンサー率21% (1136/5195)
回答No.1

絶えず中国からの干渉を受けていた朝鮮にしてみれば、日本は羨ましい国だったのでしょうね。

matamatadayo
質問者

お礼

なるほど。ありがとうございました。

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