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数学、ロジック、宇宙の記述

本来的に人間の脳の産物である数学で宇宙が記述出来るのはなぜなんでしょう? 宇宙のどこでも数学とロジックは通じるのでしょうか? 小松左京さんの『虚無回廊』では、異星人との会話が辞書と文法の交換で成立指定明日が、言語も宇宙では普遍なのでしょうか。 数学やロジックが『記述出来ている」ように見えるのは、人間からはそうとしか見えないからなのではないでしょうか? これは20年ぐらい疑問に思っていることです。どなたか数学に強い方にご回答を居たdふぁきたいで巣。よろしくお願いいたします。

みんなの回答

  • nohosuke
  • ベストアンサー率33% (1/3)
回答No.6

>言語も宇宙では普遍なのでしょうか。 これは違うと思います。地球上でも多くの言語が存在します。 タイポロジカルには多くの言語、おおよそ6500が知られていますが、人間の言語能力の初期状態(UG)は同じです。そういう意味での話だと思います。

  • QCD2001
  • ベストアンサー率58% (329/558)
回答No.5

>本来的に人間の脳の産物である数学で宇宙が記述出来るのはなぜなんでしょう? 多数種類ある数学のうち、宇宙を適切に記述できるような種類の数学を選んで使っているからです。 たとえば、デカルトが代数と幾何学とを結びつけるために考え出した「座標系」は、質点の運動を記述するのに適していたので、ニュートンは天体の運動の研究にデカルト座標を用い、さらに運動方程式を記述するために「微積分」を考案し、これを使いました。しかし群論や位相空間論は運動方程式を記述するのには適していないので使いませんでした。 ヒルベルト空間論と固有値方程式は量子力学を記述するのに適しているので、ディラックはこれらを使って量子力学を記述しましたが、リーマン幾何学や数論は量子力学を記述するのには適していなかったので使いませんでした。 リーマン幾何学は空間のゆがみを記述するのに適していたのでアインシュタインは相対論の記述にリーマン幾何学を使いました。しかしヒルベルト空間論は相対論を記述するのに適していなかったので使いませんでした。 人間の脳の産物である数学で宇宙が記述出来るのは、数多ある数学のうち宇宙を記述するのに適した種類の数学を選んで記述しているからです。 >宇宙のどこでも数学とロジックは通じるのでしょうか? 質問の意図が良くわかりません。 数学というのは、まず最初にその数学の公理系を定義するところから始まります。 たとえばユークリッド幾何学では、まず最初に5つの公準を定義し、その公準が成立するならばどのような法則が成り立つのかを研究します。 つまり、「もし5つの公準が成り立つとしたら」が出発点になるので、「宇宙のどこでも通じるかどうか?」などという問いは無意味です。「成り立つと仮定しましょう」なのです。 ナメック人だろうとサイヤ人だろうとガミラス星人だろうと関係ありません。「○○の論理が成り立っていると仮定したらどうなりますか。」なのです。 >言語も宇宙で普遍なのでしょうか。 意味がわかりません。 英語と日本語は全く違いますよね。「言語が普遍である」などという結論はどこから出てきたのでしょうか?ある種の昆虫は臭いを出すことでコミュニケーションをとるそうです。音声による言語とは全く異なります。 言語が普遍なはずはありません。 >数学やロジックが『記述出来ている」ように見えるのは、人間からはそうとしか見えないからなのではないでしょうか? もちろんそうです。 もしかすると従来の理論では説明がつかないような現象が、明日発見されるかもしれません。 量子力学の黎明期、原子核の内部構造がわかるようになって来たころ、「もしかすると原子核の内部では量子力学が適応できないような新しい現象が発見できるかもしれない。」と世界中の物理学者が考えて、原子核の研究をしました。素粒子に内部構造があるらしいことがわかってくると、「素粒子内部で、もしかして量子力学が適応できない未知の現象が起きていると面白いな。」と物理学者は考えて研究をしました。そして、現在、加速器を使った高エネルギー物理学では、「超高エネルギーでもしかして量子力学が適応できないような現象が起きると面白いなあ。」というのは物理学者が抱いている興味の一つです。

回答No.4

あなたが「このような物があるのはなぜか?」と問うている、 その『物』を厳密に分析した結果、無いとするならば、 あなたの問いは、意味合いが異なってくるでしょう。 よく、「無からこの世界が生まれる訳がない」という声が あるが、そこには『この世界』が生まれる=有である、 という先入観がある。 実際は、そうした『自分(意識)の外に、自分とは独立した 外的存在が先にある』という考えの元になっている、絶対 時間・絶対空間は相対性理論において「観察者との相対に おいて変化する」ものとなり、また認識から独立した先入的 存在は、「不確定性原理により確定化しようとすると無限 不確定性(=無)に発散する、つまり本質を把握せず現象表面を 経験的に(いい加減に)捉える事で有限な存在性を派生する」 ものとなっているのだ。 即ち、認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になる。 その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動(プランク定数h の収束の時系列化=物体収縮=宇宙膨張)を想定すれば、 相対的に無の風は光になり、認識体はその光の向うに、自我 仮説の補完としての時空仮説=宇宙を認識するという訳だ。 無=不確定性無限の潜在としての認識可能性(感受表面での 量子相互作用=光速=現在)からの、自我仮説(時間の流れ =記憶=過去=超光速)と空間仮説(空間の広がり=予測= 未来=光速下)の対発生。 相対性理論の4次元ミンコフスキー空間において、時・空軸 は虚数関係にあり、空間軸と時間軸の等距離点で相殺され、 “ゼロの面”が生じる。 それが「ライトコーン」、即ち光量子の形成する面であり、 光速以下の領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける 界面原点なのだ。 階層現象性(個体(認識体)>細胞>分子>原子>素粒子> クォーク>超弦)において、全ての存在が本質的に超弦(量子 定常波=光速)に還元される時、存在の依存する時空的広がり =非光速性は、物事を階層現象表面的に(=いい加減に)捉え る事で二次的に派生している幻想だと言えるのだ。 即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の 相補として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」 という無の射影として、量子=存在は生じていると言える。 無いとは分からない事が有なのだ。 あなたが見ているのは、あなたの脳内の現象であり、その階層 現象性(物理、数学、ロジック)は、それを無に還元するプロ セスに他ならない(相補分化としての時空の相殺点)。

noname#221368
noname#221368
回答No.3

>数学やロジックが『記述出来ている」ように見えるのは、人間からはそうとしか見えないからなのではないでしょうか?  確かにそれはそうなんですよね。なので、 >本来的に人間の脳の産物である数学で宇宙が記述出来るのはなぜなんでしょう? 宇宙のどこでも数学とロジックは通じるのでしょうか? という保証はない訳です。  歴史的には「宇宙は数学の言葉で書かれている」という考えは、長くてここ4世紀の間に出てきた、比較的新しい(?)考えなんです。その発端を作った一人は明らかにガリレイで、デカルトがちょっといびつな形でそれをヨーロッパ全土に広め、ニュートンが身も蓋もないほど高性能な力学で実証した形です。現在のところ「宇宙は数学の言葉で書かれている」という前提は、4世紀かけて確認された「経験事実」です。  最近では(といっても数10年前ですが)「そればっかりとは言えないんじゃないか?」と思えるような発言もあります。  電子,陽子,中性子はご存じと思いますが、陽子,中性子は電子の約2000倍も重いので、重粒子(バリオン族)と呼ばれます。で、1960年頃から粒子加速器が爆発的に進歩し、無作為に実験してるんじゃないのか?と思えるほど多数の粒子衝突実験がなされ、たぶん重粒子は100種類以上見つかりました。その中には不安定で一瞬で消え、普通にはありえないようなものも多数ありましたが、とにかく一瞬とは言え、それらは存在した訳です。  当時重粒子は素粒子と考えられていたので、物理学者はかなり悩みました。そのような状況を見て、ジェフリー・チューさんはブーツストラップ理論を提唱します。それは言ってしまえば「万物流転」の考えでした。チューという名前から想像できるように、彼の先祖は東洋系なんでしょう。  ブーツストラップには素粒子がありません。実在の実体は本質的に一つしかなく、状況に応じて色々な現れ方をします。つまり全ての物質は、互いに相互転換可能で、どれが基本的か?(どれが素粒子か?)という問題設定は無意味になります。  素粒子には、いつも本当に素粒子か?という疑問がつきまといます。またそれが素粒子なら、より基本的なものが何故ないのかの理由も欲しくなります。ブーツストラップの利点は、そのような無限後退の悪循環をなくすところです。そしてそれは、分子→原子→原子核,電子→・・・、と究極の素粒子を追求してきた、西欧的近代思想(要素的自然観)にはない考えでした。  でもブーツストラップとは、「チュー君の靴ひも理論」という揶揄が込められています。つまり馬鹿にされた訳です。その意は「自分で自分の靴ひもを引っ張って、自分を持ち上げようとしている」・・・です。  同じ頃もう一人、マレー・ゲルマンという人がいました。名前から想像すれば、バリバリの西欧近代思想下で育った人です。ゲルマンは、カオス状態のバリオン表を見て、そこに系統的な規則性に気づきます。バリオン族は、3つのグループに整理できます(できるそうです(^^;))。それには「数学の群論」が使われました。ゲルマンはそこに、バリオン族の裏で暗躍する、3つの「隠れた基本粒子(素粒子)」の存在を見てとります。  3つのグループに整理できるという性質、それを存在に結び付ける発想。(性)質の実体視は、近代以前からある西欧に特有の考えです。それが結局クォークだった訳です。クォークは実験で確認され、チュー君と靴ひも理論は片づけられます(^^;)。  現状ではこのように数学やロジックは、自然の分析装置として、また指導原理として、とても無視できるようなものではありません。まだまだ「使いで」がありそうなんですよ。

  • kohichiro
  • ベストアンサー率21% (306/1447)
回答No.2

>脳の産物 脳が創作したのではなく、自然の法則を数学が(おおむね)記述できることを人間の脳が論理能力を用いて発見したのだと思います。 >宇宙のどこでも数学とロジックは通じるのでしょうか? 今のところそう考えられているようです。でもまだ分からないことは多いです。 >言語も宇宙では普遍なのでしょうか。 これは違うと思います。地球上でも多くの言語が存在します。

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.1

>>本来的に人間の脳の産物である数学で宇宙が記述出来るのはなぜなんでしょう? 人間の脳の産物というよりも、神が創った数学の法則を人間が単に「発見した」ってことですね。 元素のウラニウムの存在を人間が発見したからといって、「その人間がウラニウムを創った」といわないとの同じです。 >>宇宙のどこでも数学とロジックは通じるのでしょうか? 幸福の科学の大川隆法総裁の御法話を聞いたり、トンデモ系に分類されがちな、UFO関連の書籍を読む限り、宇宙のどこでも、数学とロジックは「神が創られた法則」ってことで、通用するようですよ。 そして、宇宙人の発言では、「地球の数学はまだまだ遅れている」ということのようです。

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