- ベストアンサー
南京虐殺の30万人はどこに埋められたんですか?
東京ドームが満杯で5万人。 東京ドーム6杯分の死体はどこに消えたんでしょう?
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
その他の回答 (7)
- nankaiporks
- ベストアンサー率23% (1062/4474)
- dragon-man
- ベストアンサー率19% (2706/13667)
- hikaricom
- ベストアンサー率25% (195/772)
- guess_manager
- ベストアンサー率33% (1177/3515)
- teppou
- ベストアンサー率46% (356/766)
- pluto1991
- ベストアンサー率30% (1990/6599)
- koutei-no-inai
- ベストアンサー率15% (84/546)
関連するQ&A
- 南京大虐殺に関して
今回の河村名古屋市長の発言で揉めているようですが。 この事件に関して中国寄りでもなく、日本寄りでもない第三国の方(例えば英国人、アメリカ人)が客観的に書かれた本を紹介していただけないでしょうか。 一度詳しく知りたいと思いまして。 私は個人的に戦争状態なのだから犠牲者は出ているであろうが30万人も日本軍が虐殺したとは思えないのです。 30万人と言えば超満員の東京ドームが6試合分ですよ。これだけ大量の死体をどう処理したのか死屍累々とした光景の写真も見たこともにのです。 中国が日本の悪事を告発したいのなら我々日本人をギャフンとさせる証拠を提示してほしいのです。私はまだこういう資料を見たことがないのです。 一人を殺しても、30万人を殺しても罪は罪との論に立てば、反論のしようもないですが。 この問題に関して自分として意見をきっちりとさせたいと思いまして。
- ベストアンサー
- 国際問題
- 南京大虐殺で「三十万人大虐殺」を行った日本軍が・・・
南京大虐殺の遺体処理についての質問です。 日常のニュースを見ていて思ったことなのですが、 例えば、殺人事件の発覚のキッカケが死体から放たれる異臭というケースが多々あると聞きます。 経験者が言うには、あれほど人間として耐え難い悪臭はないそうです。 しかも、たった一体の腐敗臭でさえ広範囲に漂うそうです。 1、ナチスドイツはホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を行うにあたって、初めから死体処理工場を準備していました。ナチスに100%の遺体処理が可能だったのは、工場を建設し、あらかじめ犠牲者を収容所に監禁していたからです。 2、ソ連軍がポーランド軍の将校を抹殺したカティンの森の虐殺でも、あらかじめ将校たちに自分の墓穴を掘らせたうえで射殺しています。 3、モンゴルのチンギスハーンは、都市国家の国民を皆殺しにしたが、全員殺してしまったために死体を処理する者がおらず、死体が全部腐ってしまった。そのあまりにも悪臭に耐えかねて、チンギスハーンはその都市を放棄したそうです。 4、日本史上においては最大の虐殺を行ったのは織田信長だが、そのほとんどが焼き討ちという手段であるのも、全部焼いてしまえば死体処理の手間が省けるからです。 【質問1】 死体処理について何の準備もなく、偶発的に「数十万人」を虐殺した軍隊が、ただの一体も腐らせずに処理するなどということが可能でしょうか? 【質問2】 中国側のいうような「三十万人大虐殺」がもし本当にあったのならば、 99%の遺体を処理したとしても(絶対に不可能ですが) 残りの1%の、つまり3千人の遺体が現場に残されているはずです。 それならば多くの人々が腐敗臭に苦しんだという証拠が残っているはずです。 そのような証拠はありますか? 【質問3】 前準備もなく「数十万人」を虐殺した日本軍が、どのように遺体から悪臭を発せずに処理したかを教えて下さい。
- 締切済み
- 歴史
- (再)南京大虐殺で「三十万人大虐殺」を行った日本軍が・・・
前回も質問しましたが、納得のいく回答がなかったので、再掲します。 南京大虐殺の遺体処理についての質問です。 日常のニュースを見ていて思ったことなのですが、 例えば、殺人事件の発覚のキッカケが死体から放たれる異臭というケースが多々あると聞きます。 経験者が言うには、あれほど人間として耐え難い悪臭はないそうです。 しかも、たった一体の腐敗臭でさえ広範囲に漂うそうです。 1、ナチスドイツはホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を行うにあたって、初めから死体処理工場を準備していました。ナチスに100%の遺体処理が可能だったのは、工場を建設し、あらかじめ犠牲者を収容所に監禁していたからです。 2、ソ連軍がポーランド軍の将校を抹殺したカティンの森の虐殺でも、あらかじめ将校たちに自分の墓穴を掘らせたうえで射殺しています。 3、モンゴルのチンギスハーンは、都市国家の国民を皆殺しにしたが、全員殺してしまったために死体を処理する者がおらず、死体が全部腐ってしまった。そのあまりにも悪臭に耐えかねて、チンギスハーンはその都市を放棄したそうです。 【質問1】 死体処理について何の準備もなく、偶発的に「数十万人」を虐殺した軍隊が、ただの一体も腐らせずに処理するなどということが可能でしょうか? 【質問2】 中国側のいうような「三十万人大虐殺」がもし本当にあったのならば、 99%の遺体を処理したとしても(絶対に不可能ですが) 残りの1%の、つまり3千人の遺体が現場に残されているはずです。 それならば多くの人々が腐敗臭に苦しんだという証拠が残っているはずです。 そのような証拠はありますか? 【質問3】 前準備もなく「数十万人」を虐殺した日本軍が、どのように遺体から悪臭を発せずに処理したかを教えて下さい。
- ベストアンサー
- 歴史
- 南京虐殺の犠牲者数はどれくらいだったのか?
南京虐殺の犠牲者は中国側によると30万人です。 わたしの見解は東京裁判で確認された1名ですが、しかし確信はありません。おそらく戦争中ですし、南京は抵抗が激しかったと聞いておりますので多少はあったと思います。 ただ、言明しておきたいことが一つだけあります。中国は火器において劣勢であった。劣勢であった側の武器は何か? 国際世論です。たとえば体力に劣る女性の武器はなにか? 悲鳴です。だからこそ神様は女性の声を高くした。女性の悲鳴は遠くからもよく聞こえます。それと同じことで弱者の武器は国際世論に他なりません。もし死体の山があったのならそれを写真に収め国際世論に訴えることを弱者ならだれしも思いつきます。国際世論が日本憎しに傾けばそれは戦車千輌にも匹敵します。カメラは江戸時代にもありました。15代将軍徳川慶喜の写真を見たことがあります。それから70年も経って飛行機や戦車のような武器があった世の中で大都市南京にカメラがなかったのでしょうか? いえいえ、あったはずです。外国人もいました。ところが本物の写真が一枚もないのです。この事実から次のことが推測できます。 1.虐殺が存在せず単なるデマであった。 2.犠牲者はあったが、写真に収めてもあまりインパクトがないレベルであった。せいぜい数名で大量死体ではなかった。 3.大量死体、たとえば100人程度のものはあったが、たまたま現場にカメラがなかった。またはあったけどカメラに撮ることが禁じられた。または撮ったが没収された。 4.大量死体が一箇所のみならず3,4箇所あったが、いずれも上記のようにカメラに収めることはできなかった。但しせいぜい3,4箇所までです。それ以上あったとすれば写真が必ずあるはずですから。 本物の写真が一枚もないということは、上記を分析して考えれば千人を超えることはないのではないでしょうか? なお一つお断りしておきますが、30万人でも1万人でも大量殺人ということでは同じだというご回答はお断りします。なぜなら人の命は尊いからです。30万人の死者のところが実際には1万人だったなら29万人の尊い命が救われたことになるからです。死者の数が30万人であるか1万人であるか一人だったのか、もしくは一人もいなかったのか、尊い人の命の数であるだけに決していい加減にはできないと思います。
- ベストアンサー
- 政治
- 東京ドームで例えられると
よく東京ドーム何個分とかで例えられますが、それでピンときますか? ビールの生産量が東京ドーム137杯分とか言われたり、わけがわかりません。 どうやったら東京ドームで理解できるようになるでしょうか?コツを教えてください。
- 締切済み
- アンケート
- 南京大虐殺について
南京大虐殺について教えてください。 南京大虐殺は、南京においての虐殺ではなく、南京へ進軍する際に日本軍が行ったすべての殺戮について含むと聞きました。これは一体どのような事なのでしょうか? 軍が進軍し南京を平定しようとした場合、大量殺戮や遺体の処理などを行えば相当な足かせになります(言葉は適切では無いのですが、ここではあえて割り切って使わせてください) なぜ、このような作戦が取られていたのか教えてほしいのです。また、一説には、陸軍のナンバー2ぐらいの立場の人が、中国軍をおびえさせ降伏させることを目的に命令を出していたと聞きました。その命令書は残っており、東京裁判等でも証拠として使用されていたと聞きました。このあたりの真意がわかりません。詳しいかた、どうか教えてください。
- ベストアンサー
- 歴史
- 南京大虐殺の嘘・・・調べりゃ分かるのに・・・
■南京攻略戦 昭和12年12月12日 日支が激しい攻防戦の最中、南京死守と豪語していた唐生智将軍が幕僚とともに 挹江門から脱出して逃亡してしまいました。 この逃亡が支那軍に知れ渡ると支那の指揮系統が崩壊し、支那軍も我先にと逃亡し始めました。 支那兵は安全区に逃げたり、唯一の開いている挹江門から脱出しようとする者、 さらには城壁から紐を結んで城外に脱出する者に分かれました。 悲惨なのは挹江門です。 ここから逃げようとパニックになって殺到した支那兵がこの門を通って逃げますが、 門の外にいた督戦隊によりこの逃亡兵を射殺しました。 そのためここの出口には多くの支那兵が圧死したのです。 陥落2日後にこの大量の死体を目撃した「シカゴ・ディリー・ニューズ」の記者は 「南京虐殺物語」という記事を載せ、死体の小さな山は日本軍によるものだと報じました。 この記者の名はダーディンとスティールといいます。 しかし昭和62年、この両記者はこの記事は支那兵同士の衝突での死体だと認めたのです。 つまりこの頃支那がやっていた宣伝戦の一環であり、根も葉もない作り話です。 でも、また反日朝日新聞が、自社の戦前のアサヒグラフなどのニュース写真などを流用し、南京大虐殺と銘打って一大キャンペーンを張りました。 ■1971年 南京大虐殺 朝日新聞・本多勝一(本名 崔泰英=在日朝鮮人)『中国の旅』 近年はこれが一人歩きしています。 中国では.30万人虐殺という記念館まで出来ました。 もちろん虐殺したのは支那督戦隊です。 こんな売国新聞社をどう思いますか? ※裁判員として (南京外交部跡の野戦病院にて皇軍の衛生隊の看護を受ける支那傷病兵。 昭和12年12月20日撮影「支那事変画報 第十一集」) ※虐殺してたら、手当などしますか
- ベストアンサー
- ニュース・時事問題
- 南京大虐殺、万人坑等について
ここの過去ログも最近のものは、拝見しました。発言数が多いですね。どうも、虐殺については歴史的事実としての証拠はない、という意見が大勢をしめるようですね。しかし、錯綜して分からない部分もあります。ちょっと疑問点を確認して良いでしょうか? 1,死体の確認について。万人坑というのがありますが、あれもでっち上げという趣旨のものをいくつかネットで見ます。しかしそのでっち上げ説も主観ぽい。骨の調査などに中国以外の海外の学者の研究は入っていますか? いつ頃しんだもので死因など。 2,同じく死体の確認。南京の町中や周辺で工事をすると人骨が出てくるとか、その度ごとに合同慰霊碑を建てるようなことがありますか? 3,数字はともかくとして、虐殺された人々の名簿を作るような研究はあるのでしょうか? 遺族の追跡調査のようなものです。ばらばらの証言が数十単位であっても仕方ないと思います。万単位で、遺族の証言とか裏をとるような研究はありますか? そしてそれは第三者からも追跡検証できるものでしょうか? 4,そもそも、南京大虐殺があったのかなかったのかで、意見がすごく割れますが、近代史研究家の定説はないのでしょうか? 学界自体が割れているのか、一般感覚として学会の説に納得していないのか、そもそも研究がないのか・・? 当方、歴史の専門家ではありませんし定見もありません。ただ、虐殺のあるなしとは別に、どういった戦争であれ、自虐史観という批判?のもと戦争を聖戦扱いする昨今の風潮には賛成できません。防衛戦などであれば、致し方のない戦争はあるかもしれませんが、肯定される意味での聖なる戦争などはないと思っています。ただし、これは個人の価値観の部分になります。虐殺があってもなくて、これは多分動きません。左翼とか右翼とか私には分かりません。まずは事実を知りたいのです。
- ベストアンサー
- 歴史
- 南京大虐殺の真相について
・日中戦争における【南京大虐殺】は、日本が兵の【意識高揚の為に、でっち上げた虚偽】である事を証明できる歴史的証拠や根拠は有りませんか? ・僕が報道や新聞で見た限り (1)二人の日本兵の写真しか無い(虐殺された死体の山が写った写真が無い) (2)報道の中で聞いた話ですが、実際に行なわれたはずなのに、中国側の被害者の家族が出てこない。 (3)当時は銃器が主兵器であり、日本刀での殺戮は想定しずらい。 ・事実の究明とは別に中国の教育では【南京大虐殺】が、おまじないのように出てきます。 ・【天安門事件】には触れずに、有った事が立証できない【南京大虐殺】が平然と中国国民に教育される実態に不満を通り越して恐怖すら感じます。
- ベストアンサー
- 歴史
- 南京大虐殺は東京大虐殺!?
南京地区における戦争被害 1937年12月―1938年3月 都市および農村調査 1市部調査 I 人口 南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、後には南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。 市の陥落当時(12月12日~13日)の人口は20万から25万であった。 (日中戦争史資料集9 南京事件II 英文関係資料編P219) スマイス博士(金陵大学社会学教授。当時の南京に留まり、安全区国際委員会の主要メンバー) 最近になって、吉林省(旧・満洲)で南京の人口がその程度だったことも判明しました。 同じスマイス博士の調査で、南京陥落前後の調査で、前が25万人。後が32万人だったことが分かっています。 日本軍の総兵力は、約12万人でした。 中国軍の守備隊は8~10万程度で、装備も劣り、その多くが正規兵ではなく、民兵でした。 これに先駆けた海軍第一連合航空隊(木更津海軍航空隊)および第三艦隊(空母加賀の加賀航空隊)の両航空隊の九六式陸上攻撃機38機での往復2000kmに及ぶ渡洋爆撃が行われた。これら爆撃行も護衛戦闘機が随伴せず、地上撃破約40機と若干の施設を破壊、防御火力により敵19機撃墜の戦果をあげた。 イギリス外務次官のクランボーン卿は彼自身の声明の中で義憤を表明している。 「こうした空襲の報せが文明社会の全体から届く事に対する底知れぬ恐怖の感情は言葉では表せない。実際に戦争状態となっている地域から遥かに遠く離れた場所に対してこうした空襲が頻繁に行われている。軍事上の目標がある場所が、完全に二次的な目標として扱われているように見える。第一の目標は市民の無差別殺戮を行う事により恐怖心を与える事のように見える…」 つまり南京には爆撃してはいない。 人々は、単に「疎開」しただけではないでしょうか? 同じことが東京でもありました。 この日本での疎開もまた、中国の南京大虐殺同様に、東京大虐殺ですか?
- ベストアンサー
- その他(社会問題・時事)
お礼
頭の中ですか・・・ 賛同します。 ご回答ありがとうございました。