• ベストアンサー

自由だ

こんばんは。 「自由」 それは「弱肉強食だ」ということでしょうか? (そして、「強者こそが、「神」に近い」?・・・それは、俗説でしょうか?)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.5

人の生きる目的が「物質的豊かさ」や「短絡的快楽」で あれば、自由は「弱肉強食」につながる。 そうした即物的・短絡的(自己チューな)欲求の発露を 社会性に適応させるために、不自由(お金や権力といった 他律的価値や、法規やモラルといった外的権威)による 他律的社会性が発達したのだ。 人の生きる目的が「人生を通算した精神的充足量の最大化」 であれば、社会生命としての自覚化=自己の生の社会的 拡張において、「自由」は、社会全体への他我(愛)に よる助け合う喜びとして発露する。

kurinal
質問者

お礼

psytex様、ご回答ありがとうございます。 さて、拙問における、ここまでのご議論によれば、 「信教の自由を逸脱しえない」というのは、ある程度「他律的」ではないでしょうか。 >「人の生きる目的が「人生を通算した精神的充足量の最大化」 であれば、社会生命としての自覚化=自己の生の社会的 拡張において、「自由」は、社会全体への他我(愛)に よる助け合う喜びとして発露する。」 そうですねえ。 例えば、小生に当て嵌めますと、「助けられまくっている」 ・・・まあ、それでも、「生きる目的」は、 「人権を侵害出来ない」ですか。勉強になります。

その他の回答 (4)

回答No.4

  信教の自由ってあんだろ、アレだ。  

kurinal
質問者

お礼

人の道さま、ご回答ありがとうございます。 >「信教の自由ってあんだろ、アレだ。」 「自由」といって、他者の人権を侵害出来ません。 ・・・「どういう者が、神に近いか」という、 理論を精緻に作り上げたとしても、 「信教の自由」を逸脱することは、不可能と思います。 (「天に代わって、お仕置きよ!」というのは、 「信教の自由」を逸脱している可能性が、高い)

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.3

最強の人間こそ神です。 で、最強の人間とは誰か。 最強の男の嫁さんです。

kurinal
質問者

お礼

hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 >「最強の人間こそ神です。」 これは、ちょっと、「信教の自由」的に、どうでしょうか。 >「で、最強の人間とは誰か。 最強の男の嫁さんです。」 「政略結婚」とか、あるいは「そもそもは、自らを掠奪した相手」であっても、 嫁さんの側が「男」に理解を示す、ということも皆無ではない、 (なんちゃって)と思うのですが、、、「物語」なのかな。

noname#214841
noname#214841
回答No.2

御質問のとほり俗説です。 「弱肉強食」とは、弱く柔らかい肉であつても、強くよく噛んで食べなさい、といふ教訓です。どんな食べ方をしようと、それは各人の自由です。おつしやるとほりと存じます。自由だ。

kurinal
質問者

お礼

plapota様、ご回答ありがとうございます。 「血の滴る豚の肉を食い、樽酒を干した」というのも、ありますね。

noname#211096
noname#211096
回答No.1

んっ?・・ 先程の質問も そうだけど(最新から見てるので・・) 考え方が間違ってますよ・・ 弱肉強食では無く共生共存だから 命を食すのです・・ 動植物の命を糧にして生かされてる事を知り 命を くれた動植物に感謝し それに恥じない生き方を 人間は しないといけない・・ 強者が神から遠い所に居ます・・ だからイエスは十字架に行ったのです・・

kurinal
質問者

お礼

こんばんは。ご回答ありがとうございます。 >「弱肉強食では無く共生共存だから 命を食すのです・・ 動植物の命を糧にして生かされてる事を知り 命を くれた動植物に感謝し それに恥じない生き方を 人間は しないといけない・・」 動植物のほうも、積極的に「命をくれてやろう」とは思っていないでしょう。 それを「共生共存」と称するのは、(強者の)身勝手のように思います。 >「強者が神から遠い所に居ます・・ だからイエスは十字架に行ったのです・・」 これは、小生には、良く判りません。 (何を以て「強い」とするか、ですか)

関連するQ&A

  • 生物界は本当に弱肉強食?

    広辞苑で弱肉強食を引くと、 「弱者の犠牲の上に強者が栄えること」 とあります。 しかし、個体数で見れば草食動物のほうが肉食動物よりはるかに多いですね。 数の論理でいけば勝ち組は草食動物の方ではないでしょうか。

  • 自然界では弱肉強食が正しいのでしょうか?

    人間社会では弱肉強食が真理と断言する人もおられますが、自然界でも弱肉強食であることは間違いないのでしょうか? 人間も弱肉強食による淘汰を経て生き残ってきたと断言できるでしょうか?

  • 自然界は弱肉強食ですか?

    ライオンがシマウマを食べたり牛が草を食べたりするのは弱肉強食ですか? 自然界は調和のとれた食物連鎖によって巡っているようにも見えます。 また生き物は棲み分けて共生しているようにも見えます。 もともと『弱肉強食』という故事成語に、科学的な意味は無いように思うのですが、 本当に自然界は弱肉強食でしょうか?教えてください。

  • 世の中の仕組みは弱肉強食だ。

    私が中学生の時図書室にあった読み物にこんな記述があった。 西洋でいう弱肉強食は、自然界、自然本性などの話だけど、社会を形成する人間は弱肉強食から離れた共存をしている。 従って弱肉強食とは人間には当てはまらないことだ。 これは人間とは何かというテーマの記述です。 ただ、弱肉強食とは社会をさして常用語として頻繁に目にします。 そもそも学者さんが概念を輸入したときに間違ったか、その後の錯誤を修正する仕事をなまけたかだと考えますが、それはともかく弱肉強食という概念と用法についてお考えをお聞かせください。 意見を集めることが目的です。 例えば西洋で生まれた話だから、キリスト教徒だけ共存していて黄色いサルは除外されているとか。 社会で平常弱肉強食じゃなくても、戦争でなくても経済などの争いを実際に弱肉強食と無秩序状態を形容するのは適性とか。 例示しましたがこんな事柄をこねくり回してください。

  • 宗教問題を解決する方法思い付いたのでご意見ください

    すいませんが全然わたくしの理屈に触れずに無理とばかり言う人が多くいらっしゃるのでそういうの掲示板の主旨に反しますので絶対やめてください2ちゃんねるでやってください必ずわたくしの理屈に具体的にご意見頂きたいです人類を救済したいので 宗教問題というものの原因は、人類が道徳を有し得なかっから、人類規模におけるにおける犯罪のラインを制定し得ず偏った彼等の勝手な価値観における宗教の、社会に対する 樹立を止められず、争 いまでもを許してしまったという事なのです。何しろ本来、全人類が道徳を有していれば、あんな滅茶苦茶な価値観を宗教などと社会は認めませんから、ok、、、 ちなみに全人類はいまだに道徳を解明していません。私はおそらく全人類において唯一解明したつもりの者です。 。宗教対立などと云われているものは実は宗教は直接関係ない。宗教というものは本来、“自由”“迷惑掛けない”という のが“大原則”だ。 逆に云えば、まっとうに営まれているある宗教を、ある他の宗教が公には否定出来ない。“自由,なんだから『間違え』な訳無い。それをした ら“名誉毀損” レ,ヴ,ェルの話しで当然、“他宗教攻撃”なんか“迷惑”は“宗教活動”ではない、よってその行為は“宗教団体”がやろうとなん だろと“一般的な犯罪”であり それは宗教ではない。結局強者が何をし、宗教 が何をやり返そうが最終的に強い者が勝利するという“弱肉強食社会”というだけの事だ。 複雑といわれ、 およそその解決における糸口を、過去一切において この大、全人類史を持ってして尚、誰一人として提唱出来るどころかカスリさえする気配すらなかったと言っても過言では ないといえる未曾有の宗教問題だが実の ところを申し上げますと何の事はないのです。 そう、「人類が道徳を有さなかったから宗教を定義出来なかった 。 人類社会は弱肉強食だったから争いを止められなかった。しょうがない。」で説明付くのです。 問題解決には“原因究明”が鍵となる。俺がこの、宗教問題を解決しようとするならば、細かい事情など知る必要はな い。 この問題も元を辿れば他ならぬ“弱肉強食”(原因(^^))に起因している。(答え出た"終了")これまで散々議論 して出なかった“決定的な原因が分かった訳だ。 こうする事により 解決の道が開ける。どうするのかと言いますと。 “テ口を無罪にする,,という裏技です。 といいますのも宗教問題に関しての今日に至るまでの争いは、思想ないしわ信条、信仰ですか、を確信する彼等双方当事者はおろか、考え様によっては強者も意地悪をしていたものですから、全人類が何が悪いのかを立証出来得なかったのです から、いいんです。 「Rule変更する"お"。!強者の悪事も弱者の反撃も全部無かった事にする!!」で、そう、 初めて私の腕力によって宗教を「宗教は自由だが、他の宗教・団体を攻撃してはならなかった。なのに起きた。 「“弱肉強食”だったんだし、誰もそれを「「悪]]と立証出来なかったんだからからしょうがない。」と定義出来たのですから、ここより、初めて宗教の在り方が決まって 逝き、問題が発生するなら、その解決方法が 『『『『『『『 “社会が弱肉強食だったんだし解決方法を誰も知らなかったんだからしょうがない。」で説明付くんだから、“強者にも平和裏に法治されていない先の見えない世界で勝たなければならなかったという事情があったんだしどっちも無罪にするからとりあえず争いはやめよう!俺様が土台を製作してやったんだから今度こそ強者も道徳で皆様を説得した以上、 自分も道徳的に行動しなければならないから。理屈で強者を追い込もう!悪を立証してね!!!!! 』』』』』』 と決まって逝くのです。気が付いた時にやれ ば良いのです。 気が付かなかったのですからやり様がありません。何も間違えていません。誰も悪くないのです。(快 つまるところ、 全人類は思想の自由などに基づいてかはシリマセんがあのただの価値観の押し付け、犯罪行為を、宗教 を定義できない為、誤って、宗教問題などと、こじらせました。 本来、正しく宗教を位置付け、宗教とただの犯罪行為を分別し、輩を、そう!宗教をコントロールしなければならな かったのです。 出来得ないその間、何も知らないかわいそうな彼等は、思想や信条を確信し、それにRunningしてしまったので達は無秩 序状態に あり、あまつさえ格闘までを致しました。これは宗教ではなくなく、社会においては、腕力のつおい者が勝手に勝利す る単なる 弱肉強食に外なりません。本来、社会はその以前に、前以(マエモッ)て宗教における規範を答え、宗教をハシらせない様に仕向 けなければならなかったのです。 今後人類は、『『私の指導を通』』してしっかり宗教を定義し、それに基づいて和解を促すなら促し、問題が起こらない様に、コ ントロールすればよいでしょう。(爆)

  • やたら「弱肉強食」を使う人

    やたら「弱肉強食」を使う人 暗いよね?

  • 新説「自然界における生存原理」

    地雷を探して好んで墓穴を掘るのが男ってもんだ。 実在する仮面ライダー、 「ドリル番長」だ。 さて、自然界の生存原理の定説は「弱肉強食」だね。 弱肉強食とは、自然界の論理であり、人間社会には本来は適用されない。 なぜなら西洋の学説であり、唯一にして絶対なる神を信奉する我々キリスト教徒は、自然状態の生存原理である弱肉強食を超越して、平和な社会を成立させた。この平和社会を世界に浸透させることが、神に祝福されたキリスト教徒の正義なのだ。したがってキリスト教徒以外は人間ではない。 これが弱肉強食である。 以上が前提その1だよ。 さて、私は独自の「競争原理」に関する見解がある。 それは、「競う事と争うことは違う」という結論だ。 競う事とは、小学生が運動会で行うような「かけっこ」が基礎だ。 争う事とは、しばしば「殺し合い」に発展する闘いだ。 さて、私の生き残りの基本原理だけどね、 争いを持ち掛けられて、争うことで答えると闘争に発展して「つぶし合い」「殺し合い」だよね。 争いを持ち掛けられても、競うことで答えると「最速の臆病者」だよ。 競うことを持ち掛けられて、競う事で答えるお互いの競い合いは切磋琢磨だ。 争いを持ち掛けられて、競う事で答えるのは案外難しい。 だが成功すると、頭に血が上った争いを持ち掛けた奴を振り切り、そいつは自滅するのさ。 そうして、孤独な一方的な競い合いで生き残るんだ。 以上が前提その2だよ。 自然界というのは、なんだかんだで永続的に維持されて、生き残りがいる。 それを考えると「前提その2」は自然界の生存原理に加味できる事柄ではないかという考察を組み立てたんだ。 果たしてそれは成立するのか? 命題として、発展可能か? それが質問だよ。 つぶやきだけど、本来は叩きのめすように西洋の哲学的成果でもある「弱肉強食」を徹底批判するのが、西洋型ルールだ。 私は心優しいんだよ。

  • イラクの混乱はもう手が付けられないのではないか

    獣たちが生きるものを食いちぎり、流血の痛みは死者を永眠させない。 唯一の実在する男子プリキュア。 キュアプリムだ。 なぜなら私は美しい。 似たような質問を何度も続けるけどね。 さあ、解説は弱肉強食からだ。 弱肉強食とは、自然界の法則は強者が弱者を喰らう。 そういうことだね。 この概念には補足がある。 神を知り平和な社会を構成する人間の秩序は、弱肉強食から離脱している。 それでこそ人間だ。 したがって人間に弱肉強食は適用されない。 無秩序な自然界にのみ適用されるのだ。 こういう論説が本来の意味で、社会の闘争を弱肉強食だと形容することも概念の間違った用法だ。 しかしだ、その根拠となった西洋の学問では、おおむねこのように正している。 イエスを信仰し、神を学んだヨーロッパ社会のみ真実の人間であり、ヨーロッパ人が世界を征服することこそ、神が理想した世界だ。 で、当時の血なまぐさい歴史の正当化だ。 当時そういう話だったんだよ 明治の知識人は、実際日本の西洋化にあたって、このような思想に危惧を覚えただろう。 日本史くらいは知っているよね。 それは特に述べない。 昭和天皇が戦犯扱いされる暴言も聞くが、究極の戦犯はヒトラーですらなくイエスじゃないか。 究極の暴力国家USAに、ならず者国家が対立するのは、明治人と同じ義憤を西洋文明に抱いたからだろう 日本は西洋を国家の生存の危機を乗り切るために研究した。 西洋の知恵の根幹である、精神の性質を知るためにキリスト教も学んだ。 現代の敗戦国日本は、キリストの精神に屈服し、神を渇望し学びたいと思えば西洋の神学を研究する。 ヨーロッパ圏という奴隷のための国家群の更なる奴隷だ。 神は人の上に人を作らず。 人の下に人を作らず。 明治人は謙虚に学んだが、イエスを規範とするヨーロッパの精神的土壌は正反対だ。 第二次世界大戦の日本は、もちろん現代のならず者国家と同等で、始末の悪い事に、国力も軍事力も強大だった。 日本が敗戦を乗り切ったのは、開戦以前から西洋を理解していたからだ。 これは世界の中でも例外だよ。 ヨーロッパ内部の復興もキリスト教圏の枠内だからどうにかなった。 それじゃあ、西洋文明に明白な拒絶意識のあるイラクのような国で、終戦後和解が可能だろうか? アメリカはおおむね敗戦国に対して寛大な傾向があるが、イラクのような国を秩序回復するには忌まわしい植民地政策の復活などの現実的でない選択肢しかないのではないだろうか。 このような疑問点について考察中でして、何かご意見をお聞かせください。 ここは学問研究の哲学カテゴリーでして、常連の方はご存知なようにここは男バトルの闘技場、オカマバー クラブヴァルハラとして機能する場所です。 応答は知的SMプレイになりがちですがショーマンシップに乗っ取り読者を楽しませる回答をお待ちします。

  • 弱肉強食と格差社会の関係

    弱肉強食の社会とは、格差社会ということですか?

  • るろうに剣心の志々雄誠が言ってた

    所詮この世は弱肉強食!強ければ生き弱ければ死ぬ!これを現実に言う人が居たら引きますか?もしくは痛いでしょうか?