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存在とは(個性ある)性質を持ったエネルギー・物質

tkmn_001の回答

  • tkmn_001
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回答No.2

「(個性ある)性質を持った」というところに違和感を感じます。 存在について、物理的な観点を超えた視野で定義されているのは良いと思いますが、 例えば(ここはあえて物理要素で例えます)、同じ色・形のりんごがあったとして、 どう性質を捉えますか?「りんご」1つ1つは区別(=性質の差別化)が難しいと判断して 「りんご」として捉えますか? とすると、人間は? という形で便利でありながら、具体性に欠ける日本語を 上手く使って定義する必要があると考えます。 物理的にフレームが見えるものなら、上記の範囲で会話が済むのですが、 例えば「空」という存在のないものとなると、「性質」として捉えるのは 区別を想像させるため、非常に難しいのではないかと考えます。

yuniko99
質問者

補足

動物の中で 人類、人間という個性はあります。と同時に一人一人に個性があります。 「りんご」という種の個性があります。同時に一つ一つ違います。個性があるのです。 畑に行けばわかります。スーパーの様に同じ様なものが並んではいません それぞれ違います。同じ木から生った 同じDNAを持つりんごでも、その育つ方角、高さ、そのりんごの周りの環境 虫や鳥、色んな違いが生まれます。 人間の双子は同じ人間でしょうか? とんでもない、別人格です。 違う趣味を持ち 違う人と付き合い、結婚します。 この宇宙に一つとして同じものはない。素粒子とて違います。違う存在なのです。 素粒子帝国主義ではなく p先生のよれば 統一理論、超ひも理論、M理論により 差別化が出来る様になると思います。 空は単なる人間の概念です。それも元々は東洋の仏教の概念では? キリスト教に空などはなかったでしょう。空は存在しません。概念だけあります。 空が何を意味するかも 人によって解釈が違うのでは? どうもありがとうございます。

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