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川上哲治氏の謎

最近、川上哲治氏が始球式で投げたと聞きますが、 (1)10連覇を逸して、長嶋監督就任したときに、表舞台から去ったと思いますが、そのときの年齢は50歳前後と思います。今から考えるとバリバリの年代かと思いますが、監督をする気がなくなったのでしょうか? (2)昭和56~57年頃だと思いますが、NHKラジオの解説が川上氏と広岡達郎氏(ヤクルトをやめて西武の監督になる前)でした。結構談笑してましたが、本当に仲が悪いのですか?この解説を聞いた方いますか?

みんなの回答

  • jakyy
  • ベストアンサー率50% (1998/3967)
回答No.2

川上哲治氏の謎を解く鍵は川上哲治の長期の戦略にあります。 【監督は10年】 川上哲治は監督を引き受けたときは、10年はやると決めていたようです。 そのために、自分の後釜になるような別所、広岡などの将来の監督候補を早めに斬っておいたようですね。 別所は暴力事件が明るみになると追放されました。 【生え抜き】 チームは生え抜きの選手で固めること問題が生じないことも熟知していたようです。 いうことを聞く選手で固めることを第一にしました。 チームを強くするためには、外からも適当に補強しながら、生え抜きの選手を育てることをしました。 広野、高桑、桑田、金田など外様の選手をたくみに使いました。 【外様のコーチ】 荒川、牧野などの外様のコーチを使って勝つためのキメの細かい野球を徹底的にしました。 これらの結果V9になったということです。 【広岡と川上】 川上は将来の監督候補、広岡をまず斬りました。 彼の野球指導者の才能を恐れたからですね。 彼が巨人のチームに顔を出すのを嫌がりました。 解説者になった広岡が巨人のキャンプを訪れた時、 誰も口をきかなかったが、唯一森捕手だけが声をかけたというのは、有名な話です。 今でも表立って批判はしませんが、広岡氏は巨人を追われたことを根に持っているでしょう。 【川上野球で泣いた人々】 広岡に限らず川上野球で多くの選手、コーチが早く才能を枯らして球界から消えました。 下記の本に詳しく載っています。 「英雄たちへの挽歌」上前淳一郎、文藝春秋社、 「戦後プロ野球50年」近藤唯之 新潮文庫

  • birdswing
  • ベストアンサー率60% (32/53)
回答No.1

(1)に関しては、私が知っている限りでは、nekojyarasi11さんが仰るとおりではないかと思います。実際、本人はV8で辞めるつもりだったようですが、後任の長嶋茂雄氏が現役にこだわっていて、V9の時は仕方なく指揮を執ったようです。事実、本人はV9の達成以前のV6、V7あたりで、辞めたかったようです。理由は、川上監督に対する批判を本人が、かなり気にしていたようで、「いくら勝ってもボロクソに言われる、もう疲れた」と本人が、よく親しい知人に語っていたそうで、川上氏の奥さんも、川上氏が批判されることで、精神的にかなり、疲れていたようで、早く川上氏に監督を辞めて欲しかったそうですので、再びユニホームを着る気はなかったと思いますが、退団した後、読売のトップと言われる人達に、かなり信頼を得ていた川上氏は、今後の巨人軍をどうすべきか、意見を聞かれ、本人もそれに応じ、色々助言をしていたそうです。実際、現場では采配を振るわなくても、この川上氏の助言が、かなりの発言力があったようで、この助言が巨人の大御所的な存在になり、川上氏が「球界のドン」と呼ばれるよになったようで、後の長嶋監督解任に川上氏が裏で、絡んでいるのではないかと言われる要因になったようです。 (2)に関しては、広岡氏は、巨人の現役時代、監督である川上氏との確執から、自分の意に反して、ユニホームを脱がざるえなくなり、評論家として第二の人生を歩むことになり、その最初の仕事が、巨人のベロビーチでのキャンプの取材で、その時、球場に足を踏み入れることを禁じられ、選手にも話をさせてもらえなかったそうです。それは、川上氏が事前に広岡が来たらそのように行えと指示していたそうで、広岡氏は、そのことに関して激しい憤りを覚えたそうで、この事が、打倒巨人につながり、後にヤクルト、西武で監督として、采配を振るうきっかけになったそうです。1983年の日本シリーズで、藤田元司、率いる巨人を破り、念願の日本一を達成すると、翌日、当時ヘッドコーチだった森氏と一緒に、日本一の報告をしに、川上氏の自宅に訪ねたそうで、始めは良くやったと川上氏は言ってくれたそうですが、会話が弾むにつれ、「おまえ達が、負ければよかったのになぁ、藤田に勝たせてやりたかった、おまえ達は、来年も西武で優勝するが、藤田は、今年が最後だったのに・・・」と川上氏が、言ったのを聞き、川上氏の自宅を森氏と早々に引きあげたそうです。 結論は、これは、本人同士でないと分からないと思いますが、広岡氏は、長嶋解任は、間違いなく裏で、川上氏が絡んでいると発言していて、このような一部の実力者が裏で根回してやるようなやり方を、批判していましたし、現在、読売グループ会長の渡辺氏に巨人OBで唯一、直に批判しているのは、彼と藤田氏だけのようで、渡辺氏からは、広岡氏は、かなり煙たがられているようです。 あと、これはあくまでも、私個人の見解ですが、彼は、川上氏に、良くやったと自分を認めてもらいたかったのではないかと思います。 彼は、世間では冷徹な管理野球の指導者のように言われていますが、彼自身は、自分が納得しないことは、例え自分の上司でも従わないと言う気質があるようで、決して、器用な世渡り上手な人ではないように私個人は思います。 あとnekojyarasi11さんのヤクルトをやめて西武の監督になる前の放送は知りませんが、広岡氏が西武の監督を辞めて、川上氏と一緒にNHKの解説で同席していた放送は、何回か見たことはあります。

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