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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:英文についての質問です。)

The Meaning of Life: Pondering Ideals vs Comfort and Happiness

このQ&Aのポイント
  • To ponder interminably over the reason for one's own existence or the meaning of life in general seems to be sheer folly.
  • The ideals which have always shone before me and filled me with the joy of living are goodness, beauty, and truth.
  • A system of ethics built on the goal of comfort or happiness would be sufficient only for a herd of cattle.

質問者が選んだベストアンサー

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10024/12548)
回答No.1

以下のとおりお答えします。 (訳文) 人が自分自身の存在理由や人生の意味を果てしなく考えめぐらすことは、一般に目的の観点からすれば私にはまったくの愚行であるように思われる。それなのに、誰もが、自己の熱望や判断を誘導する一定の理想を保持している。私の前で常に輝いて人生の喜びに満ちた理想は、善、美、それと真実である。一度も快適さや幸福をゴールとすることに魅力を感じたためしはなかった。この基礎の上に築かれる倫理の体系は、畜牛の群れにとってのみ満足すべきものであろう。 (ご質問への回答) >a system of ethics built on this basis would be sufficient only for a herd of cattle. >1)this basisはTo make a goal of comfort or happiness のことですか? ⇒はい、そのとおりだと思います。 >2)~would be sufficient only for a herd of cattle. の意味 ⇒「~畜牛の群れにとってのみ満足すべきものであろう」。 >herd of cattleは「烏合の衆」という意味ですか? ⇒読む人がそう理解することに異を唱えるつもりはないかも知れませんが、スピノザの汎神論をこよなく信奉していたぐらいのアインシュタインですから、そこまで民衆を蔑視する意識はないと考えます。ですからここは、文字通りの意味に訳す方がよいと思います。 つまり、家畜なら快適さや幸福を最高の目標としてもよいが、「人間たるもの(少なくとも私は)、そういう欲望のレベルを最高善の目標とすることはできない」と言いたい、のだと読み取りました。 ただし、彼が人類の愚かさを嘆く気持ちを強く持っていたらしいことは、次の金言から十分に読み取れますが。「無限なものに2つある。宇宙の広がりと人間の愚かさである。で、私は前者については確信がない。」 以上、ご回答まで。

chrleyk
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 herd of cattleの意味はネットの辞書で調べたのですが、アインシュタインがどのような意識を持って書いたのか読み解いていただいてありがとうございました。 彼の金言については、「人間の愚かさには確信がある」ということでしょうか。 ベストアンサーを決めさせていただきましたが、お二方のご回答のどちらにもなるほど、と思いました。

その他の回答 (1)

  • sayshe
  • ベストアンサー率77% (4555/5904)
回答No.2

私の勝手な読み方です。 自分自身の存在理由や人生の意味について絶え間なく熟考することは、概して私には、客観的な視点から、全く愚かなことに思えます。それでも、自分の志や判断の指針となる理想を誰もが持っています。私の前で常に輝き、私を生きている喜びで満たしてくれた理想は、善、美、真実です。安楽さや幸福の目標を立てることは、私には決して魅力的ではありませんでした;この様な基準の上に築かれる倫理体系は、烏合の衆にしか十分なものとはならないでしょう。 (1) this basis = a goal of comfort or happiness (2) herd of cattle は「烏合の衆」でよいと思います。 「善、美、真実」を追い求めるために犠牲にする「安楽さ」、あるいは、そのために損なわれるかもしれない「幸福」をアインシュタインは、厭わなかったということではないでしょうか? 「相対性理論」と言う「物理学の真実」の追究に理想を見出したのでしょうか?数学者等も「数学は美しい」と申します。物理学の「美」かもしれません。 我々凡人の「安楽や幸福」の追求を理想とすることとは違うのでしょう。 また、前半で、「存在理由」「人生の意味」を絶え間なく考えることは、物理学者としては、答えの出ない「堂々巡り」(never-ending-cycle) になるので「愚かなこと」と考えているのかもしれません。

chrleyk
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 アインシュタインが述べたa system of ethics built on this basis would be sufficient only for a herd of cattle.について、全体的にご解説いただいてありがとうございました。 彼は(凡人が追求する)「安楽や幸福」を犠牲にしたり損なったとしても、物理学の「善、美、真実」を追求することを理想にしたということでしょうか。

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