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フランス人権宣言とイギリス社会について

フランス人権宣言には「権利の保障が確保されず、権力の分立が確立されていないあらゆる社会は、憲法をもたない社会である」という規定がありますが、この規定からみた場合、19世紀までのイギリスは「憲法を持つ社会」であったといえるのでしょうか? マグナ・カルタによってある程度の権利の確保や。権利の章典により議会と王権が分化されたとは思うのですが、これを権利の保障がなされているか、権力が分立されていると言えるのかが、よくわからないのでここで質問させていただきます。 お時間があればで結構ですので、お答えいただければ幸いです。

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回答No.1

フランス人権主義者からすれば、かつてのイングランドもアンシャンレジームと同様の体制だったと考えられていたと思います。 イングランドのマグナカルタはあまりに有名ですが、大抵の国家はなにがしかの法典を制定しており、王族、議会、貴族、騎士、聖職者、地主、自由都市、商工業者、自由民、農奴等々、様々な身分の権利や義務を定めています。これはアンシャンレジーム下のフランスも同様です。中世から近世のヨーロッパでは、多かれ少なかれ王権を抑制するための条項も多く存在しました。 仮に明文化された法律がなくとも、あらゆる階級の人間は古くからの慣習法によって支配され、それぞれの領域に役割と権限の分化されていたのは事実です。実際に、どの国の王も課税に対しては三部会や模範議会、それに類する身分制議会の招集が求められました。 憲法による「法の支配」は、国家権力や特権階級の横暴を抑制し、結果的に個々人の「人権の保障」が確立されます。拮抗した権力の分立により法治体制は維持され、その体制が続く限り人権は保証されます。 フランス革命期にはこれらの「権利と自由」が特に強調されました。 マグナカルタの、王権を法と議会によって抑制しようとした点は現在の「法の支配」の原型に繋がります。 しかしながら、当時のイングランドは厳格な身分制社会であり、特権階級が王権へ干渉して抑制する権利を与えられたに過ぎません。議会を構成するのは騎士階級とブルジョワ階級であり、一般自由民は除外され、依然として農奴も存在しました。 すべての人々に自由と権利が保証されたわけでも、人権という概念が確立されたわけでもないのです。彼らに与えられていたものは、旧態依然とした慣習法と身分法による「権利と義務」です。 マグナカルタは内容的にやや踏み込んでいるものの、どこの国にでもあった、「既得権益が王権を抑制する法典」の範疇を超えない代物だと言えます。いわば、アンシャンレジームの一部に過ぎないのです。 権力の分化もまた未徹底だったと言えます。マグナカルタを認めたジャン王の息子ヘンリー3世の時代から議会と法が王権を抑制できなくなりました。 人権宣言で言う「憲法をもたない社会」とは、いわば民主主義的でもなく、法治主義的でもなく、啓蒙主義的でもない社会を指しています。 何を以て「憲法をもつ社会」と呼べるかは非常に曖昧ですが、少なくとも前近代的な身分制社会、未発達な法体制、人権や人道に対する認識の薄い社会に関しては「憲法をもたない社会」と呼べると思われます。

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