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おせちを大晦日に食べる人が増えてきてると聞きました

おせちを大晦日に食べる人が増えてきてると聞きましたが、本当ですか❓

みんなの回答

  • na22me
  • ベストアンサー率13% (22/158)
回答No.4

何か 他の回答者との意見と食い違うが そもそも おせち料理は 嫁として旦那さんの実家に嫁ぎ 正月くらいしか嫁は自分の実家に帰る事が出来ず その期間の旦那さん家族が料理をしなくても良い様に 傷まない様にしたのが始まりです 庶民の風習が殿様までに伝わって城内で高級食材に変わったものと予測されます

  • kia1and2
  • ベストアンサー率20% (482/2321)
回答No.3

お姑さんから聞いた話ですが、大晦日は女衆が集まって、正月七日の間に食べるおせち料理作り。台所は土間で、そこから1段上がったところが食堂。そこからまた1段上がってところが居間とか、畳の部屋。 そこで出来上がった温かいおせち料理を大晦日に。そのあと、所帯主による台所の火を消す行事。翌朝よりの元旦から七日間は台所の火はつけずで、食堂の火鉢が唯一の温められるところ。漆塗りの重箱で使用での食事で、食べ終われれば各自が紙で重箱をきれいに。 女衆も七日間は着飾って、台所仕事は一切なし、と聞きました。 ですから、大晦日はできたて温かいおせち料理をお皿で食べるのが、昔の本来の習慣じゃないでしょうか? 

  • dogday
  • ベストアンサー率29% (2313/7949)
回答No.2

おせちを食べない人も相当増えているはずですが、 本当におせちを大晦日に食べる人が増えているとお思いですか? おせちとは「御節」と書き、季節の節目に食べるものなので、本来、年迎えの大晦日に食べる料理です。 江戸の町で年越しそばの風習が生まれ、おせち料理が正月料理にスライドしました。 昆布や蟹や数の子など、おせち料理の食材の多くは北前船の廻船によって流通され、廻船問屋の宣伝でおせち料理の文化が伝播していった関係で、流通経路と情報の伝達が一方通行であり、 北前船の出荷元である東北、北海道は、京都や江戸へ出荷前に材料が手元にあり、一方通行の文化流通で年越しそばの文化が明治を過ぎても北へ遡上しなかったので、長野以北の土地では、現在も大晦日におせち料理を食べる風習が一般的です。 東京への人口一極集中で、東北・北海道の出身者も都市部で延々増え続けていますので、いろいろな土地の文化がミックスされて、本来のおせち文化に戻っているともいえます。

  • hide6444
  • ベストアンサー率21% (912/4223)
回答No.1

おせち料理というのは、地域によって元旦から食べる所と大晦日から食べる所が あるようですね。私は関西ですが、子供のころから紅白歌合戦を見ながら おせち料理を食べていましたし、結婚して24年間毎年大晦日から食べていますよ。 旧年から新年に渡って食することが、おせち料理だと思っていましたし、もちろん 年越しそばもおせちと一緒に食べますよ。

takeshi010786
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