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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:林先生VS世界の超天才のモンティホール・ジレンマ)

林先生VS世界の超天才のモンティホール・ジレンマ

nacci2014の回答

  • nacci2014
  • ベストアンサー率35% (200/569)
回答No.3

この説明ではトンデモですね。 これは、三個以上なら百個でも百万個でもよいのですがホストとプレーヤーの駆け引きにより確率が変わるという理論でその正解値が数学的にあっていても、日常的な概念からは受け入れがたい理論になるのでモンティホール問題と言われているものです。 番組ではナレーターも林先生もよく理解されていなかったようです。 名物先生林先生を差し置いて説明するのも気がひけますが例題を説明します。 例題は百万個のクジの中に一個だけが当たりがあるというものです。 この類いの問題は三個以上であれば、成立します。 ルールは (1)プレーヤーはクジを任意に一本選ぶ (2)ホストは当たりクジがどれなのかを知っている (この説明が足りなかった)(3)ホストはプレーヤーが選んだものと任意の一本のクジを覗いた全てのハズレを披露する (4)残った2本のクジをプレーヤーは選び変えられるとします。さて、あなたはクジを変えますか? と言うのがモンティホール問題です。 例題が百万本のクジでしたから、(1)でプレーヤーが選択した際の当たる確率は百万分の一です。(4)で変えなくても百万分の一の確率のままです。しかし、残った一本のクジの当選確率は 百万分の999999になります。ということでクジを変えた方が断然お得と言う問題。 三本だと現実的なんですよ。(1)でチョイスした時の確率が三分の一ですが、ハズレをひとつ見せているので(4)においてホストが残したクジの当選確率は三分の二となり、クジを変えた方が二倍当選確率が上がるというわけです。 全部を引いたら、確率は1ですね。最初の(1)で選んだ確率は全体分の1に過ぎませんが、(4)でホストが残したクジは全体分の全体‐1になるんです。2つ残った時点で選べなら確率は二分の1ですが、すでに全体から選んだ段階の最初のプレーヤーのクジはあくまでも全体分の1にすぎないからホストが選んだクジの方が当たる確率が高いと言うことです。 上司にはそう説明したらいかがですか?

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