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源頼朝の所領の歴史
源頼朝の所領の歴史を教えて下さい。 源頼朝の所領の話って聞いたことがありません。 頼朝の人生の中で彼はいつに所領をこれくらい手に入れて、いつこれくらい失ったみたいな 頼朝の人生の所領の歴史を教えて下さい。 あと頼朝の死後彼の所領は彼の息子に譲られたのでしょうか、それとも北条家に掠め取られてしまったのでしょうか?
- subetenoaruji
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subetenoaruji さん、こんにちは。 どうやら、彼は所領をもっていたようです。問題はそれらの所領が古文書の散逸により詳細が不明であることです。 頼朝が鎌倉幕府を開府する以前に持っていた所領を関東御領といいます。これに平家滅亡後に朝廷から与えられた所領を平家没官領といいます。これらの所領にさらに源家将軍がいなくなった後に承久の変以後に組み入れられた所領もあるようです。 詳細は下記のURLを参照ください。 関東御領 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%BE%A1%E9%A0%98 平家没官領 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E6%B2%A1%E5%AE%98%E9%A0%98
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- kamobedanjoh
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頼朝は所領を持っていませんでした。 北条家の言わば居候的存在。領民や家臣団の支えも無く、彼の一族は相次いで変死するなど、権力ごと後継者の命まで、北条氏に奪い取られてしまいました。 所領を持ち得たとしても、元々は北条氏の物。掠め取られたというより、元の持ち主が巧妙に奪い返したと見るのが妥当でしょう。 頼朝自身が周囲の武士団に担ぎ出された御神輿の人形状態。利用価値が無くなったから抹殺されました。
お礼
kamobedanjohさん、回答ありがとうございます。またお願いします
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