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江戸時代。東海道の一里塚。
Wiki「一里塚」によれば、 25里、36里、54里、55里、81里の地点には「なし」ですが、なぜ無いのですか。 54里地点は「金屋城下?」、81里地点は「岡崎宿内?」となっていますので、町中や宿場では休む場所があるのでわざわざ一里塚を作らなかった、と想像しています。 36里地点や55里地点は、大きな川の中でもないようです。 よろしくお願いします。 一里塚 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%87%8C%E5%A1%9A
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質問者が選んだベストアンサー
36里は富士川の河川敷、 54,55里は街道の改修で廃止、金谷宿から次の日坂宿まで1里25町とされていますが金谷宿の一里塚が53里で日坂宿の手前にあるのが56里です。 25里、55里も同様と思われます。
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- satorukune
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回答No.1
全く知りませんでしたが、面白そうだったのでちょっとググって見ました 参考URLは実際に歩いて写真も掲載している人のサイトです 欠番の考察も書かれています
質問者
お礼
ご回答ありがとうございます。 読んで楽しいサイトですね。 やはり欠番があるのですね。 ルートの変更で旧道の一里塚が忘れ去られてしまったということもあるのでしょう。 それにしても、かっては旧道に存在したという記録もないのでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「36里は富士川の河川敷」そして「54,55里は街道の改修で廃止された」のですね よく分かりました。 ネットで調べてみますと25里の一里塚も箱根の街道改修時になくなったようです。