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生きる意味を知りたいです
決して死にたいわけでも自殺願望があるわけでもありません。 むしろ、人生楽しみたいと思っていますし、夢や目標もあります。 しかし、いつかは死ぬときが来る。 自分が人生楽しんだところで、夢を叶えたところで 自分にとって、世界にとって何になるんだろう。 これから生きていくこと、夢や目標に向かって努力すること、人生楽しむことに意味あるんだろうか。 最近そんな風に思ってしまいます。 生きる意味ってなんなんだろう。 いつかは終わるのに。人生楽しむってなんなんだろう。 いろいろとご意見聞かせていただけると幸いです。 スピリチュアルな話にも関心があるので、そういった視点からのご回答も頂けると嬉しいです。 もしかしたら、勇気や後押しがほしいだけかもしれません。
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死にそうになると苦しい。苦しいのは嫌だ。そうすると生きるしかない。とするとどう生きるかが問題になる。どうせ生きるならば「主体が納得できるように」。 ただそこから先に、どうすると納得のいく人生が送れるか、どうすると納得することの妨げになる人生になるか、という議論は残ります。そして、そこでは利己と利他のバランスが崩れないようにというのが一つのカギになるのかもしれない、などと個人的には思っています。
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- titelist1
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自分の意志に関係なく、親の意志によって生まれてきたのです。親の意志は親の後を子に継がせることです。親もそのようにしてきたのです。そのことを貴方が認めるかどうかは貴方の自由です。貴方が継がなくても他人がバイパスでつないでくれます。生き物はすべてこのDNAの命令を受けているのです。DNAは生身なのでそのままでは劣化してしまいます。あたらしいDNAに受け継がせることで、生き延びることができるのです。生物学的に生きる意味はDNAを引き継ぐことです。 人生の意味や目的は人間だけが考えられる高いステージです。親のお陰で無限のDNAの組み合わせの中から生まれ出ることが出来たのです。その自分をこの世で試してみるのです。この世の自分を見てみるのです。どこまでやれるのか試してみるのです。その努力が自分を満足させてくれるはずです。いつか終ることが分っているので人生に輝きがあるのです。
- Mokuzo100nenn
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>生きる意味ってなんなんだろう。 周囲に居る方々を幸せにしてあげることです。 周囲の人々が幸せになったら、半径を広げてみましょう、100メートルぐらいかな。 半径100メートルの人が幸せになったら、半径を500メートル、1キロ、5キロ、10キロとだんだん広げてゆきましょう。 広げすぎたら必ず半径を縮めてください。 半径10メートルの範囲で人々を幸せ出来るならば、十分意味のある人生と言えます。 他人(ひと)を幸せにする、それが生きる意味です。
- tomban
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まあ、十人十色ですが…私は「そういうことを考える時期があっていい」と思います。 単に何処か寂しいだけかもしれないし。 少し迷いがあるのかもしれないし。 そんな時に「…人生って」と考えたり、思ったりするのって「気分転換」になってるんじゃないでしょうか?。 私もそういえば、そんな時がありましたっけ。 私なりに出した結論としては 「それでも地球は回ってるし、風は吹くんだし、朝は来ちゃうんだし」 …という、とても簡単なものでした。 でも、なんとなくそこから、何か「パッと開けた」ものがあった気がします。 「手のひらを太陽に」という歌がありますけど…ミミズやオケラやアメンボと「友達付き合い」は出来ないわけですよね?…人間だから。 だけど「友達」という意味をもっと突き詰めるなら、それは「血」になっていくのでしょう。 手のひらを透かして見える、血管の蔓延りは、まるで冬枯れの樹木の姿のようです。 樹木には血は流れてないけど「体液」があります。 組成が全然違うのに、どうしてこうも似ているのかな?と思いました。 「そうか「血」というのは、青くても赤くても黄色っぽくても「血」なんだなぁ」 …そんな風に思いました。 そうしたら「友達」という言葉が、勝手に近づいてきた気がするのです。 話が横道ですが…生きる、っていうことは「大したこと無いんだろうな」と思い始めたのは、それからのような気がします。 卑下するんじゃなくて、むしろ拡大する…意識が広がっていくと、どんどん自分というものが薄く広がっていく感覚です。 若いうちにはたくさんこだわっていくほうがいいと思います。 そしてそれは、いつかは集約されていって、同時に広く拡大されていく。 川という流れで水が流れるのも、水蒸気という流れが雲になるのも、同じことでしかありません。 世の中は広いですからね…まだまだこだわってみてください。
- mmky
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>生きる意味を知りたいです. >いつかは終わるのに。人生楽しむってなんなんだろう。 〇夢や目標をもって努力することが生きる意味ですね。 〇その結果、目標や理想の夢に達することも、達しないこともあるでしょう。 人生は舞台劇のように必ず幕が降りるようになっていますから。でも幕が降り楽屋に戻って、また次の舞台を待ち、新たな気持ちで新しい役柄で新しい舞台に立つのです。それが人生の真の意味ですよ。 今世限りの人生ではないということがわかれば、今世の人生の目標や努力を楽しめるでしょう。 少なくとも、五転生分、1500年ぐらいの計画を持って今世を生きると、高く掲げた夢は必ず未来世で実現します。 しっかり生き抜けば、舞台裏で待つ縁あるものと楽しく再会できるのです。肉体が死んでも誰も死んでないんです。見えないだけなんですよ。死が訪れるまで現在の役を演じ続けることですね。それが役者としてのあなたの使命です。
- hekiyu
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生きる意味などありません。 そんなモノがあるなんてのは人間の思い上がりです。 ミミズに生きる意味が無いのと同じように、人間にも 生きる意味はありません。 意味無く産まれ、意味なく生き、意味無く死ぬのが 人間です。 それじゃイヤだ、というひとが色々な理屈を創り出して いるだけです。 ただ、意味があるとして人生を送って行く方が面白い という面はあります。 そういうことで、面白い人生を送りたければ、自分で意味を創り出す しかありません。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
他の生物のように生きてみたらどうでしょうか。
- jun1010
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生きてることに意味なんてあるのかな? 必要なのかな? ヒトも犬も猫も、生まれてきたから生きてる。 息を止めれば苦しいから呼吸する。 お腹すいたから食べる。 眠いから寝る。 しないと辛いからする。 ヒトだから何かと理由をつけたがる。 オレは夢も目標も、特に決めたりできないタイプ。 苦しくても楽しくても生きてる。 生きてるから楽しい 生きてるから辛い いつも同じだと飽きる そして、無いものは欲しくなることが多い。 >いつか終わるのに。人生楽しむ・・・。 ほっといてもいつか終わっちゃうんだから 始まりと終わりは唐突になってくるみたい。 その過程で何が起きるかは運と偶然。 自然に逆らわないほうがよいと思ってる。 良いことも悪いことも、心に響くことを大切にして生きてる。
- kakibesuto
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あらゆる生命体が生きている意味はありません。 そこに何らかの意味を持たせようとしているだけです。 何故こういう空間が存在しているのすら誰も分からないのです。
- 雪中庵(@psytex)
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物質に「目的」はありません。 しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。 生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。 本来それは、分業=助け合いに於ける“感謝のしるし”であるにもかかわらず、いつの間にか(助け合っているはずの人々と)それを奪い合い、お金をもらうために仕方なく働くようになってしまっているのだ。 (その錯覚の端的な例が、取引きに於いて、役に立つものをもらう=助けられている方ではなく、手あかで汚れた紙切れ(お札)をもらう方が、お礼を言う奇妙) その結果としての“自己チュー”な意識において、死は絶対的な敗北となり、人生は必ず敗北に尽きるものになってしまう。
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