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なからざるべからず

OKATの回答

  • OKAT
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回答No.2

困った問題に行き当たりました。前回の回答で「永井荷風」に対して、あるいは失礼なことを言ったのかも知れません。用例を探してみたら、このような例が見つかりました。    古来我国の婚礼は、愛のためにせずして社会のためにす。奉儒(ほうじゆ)の国は子孫なからざるべからずと命ずるに因れり。  婦人の婚姻に因りて得(う)る処のものは概(おほむ)ね斯の如し。而(しかう)して男子もまた、先人曰いはく、「妻なければ楽(たのし)み少く、妻ある身には悲(かな)しみ多し」とそれ然るのみ。  然れども社会は普通の場合に於て、個人的に処し得べきものにあらず。親のために、子のために、夫のために、知己親類のために、奴僕(ぬぼく)のために。町のために、村のために、家のために、窮せざるべからず、泣かざるべからず、苦まざるべからず、甚(はなはだ)しきに至りては死せざるべからず、常に我(われ)といふゟ個簡単なる肉体を超然たらしむることを得で、多々(おほく)他人に因りて左右せられ、是非せられ、猶(なほ)且(か)つ支配さるゝものたり。    (泉鏡花『愛と婚姻』1893年)    この文中の「子孫なからざるべからず」・「窮せざるべからず」・「泣かざるべからず」・「苦まざるべからず」・「死せざるべからず」はいずれも、「子孫がなくてはいけない」・「窮してはいけない」・「泣いてはいけない」・「苦しんではいけない」・「死んではいけない」の意味と受け取れます。  同様に、荷風の場合も「なからざるべからず」は、「なくてはいけない」という意味にとるべきではないかと思います。 どうしてそうなるのか、私には説明できません。しかし、当時はそれが普通の用法だったようです。  このあたりの事情がお分かりの方、よろしくご教授ください。

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