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人の心は性質で出来ている?

ys_captainの回答

回答No.15

物質という割には破天荒な存在ですが、素粒子というのがあります。 http://kids.kek.jp/class/particle/class01-10.html 現代科学において、こいつら素粒子が何で出来ているかを調べるのは無理ですので、 全ては素粒子で出来ていると考えるのが妥当です。 人間には喜怒哀楽がはっきりとありますが、犬を飼ったことのない私には 犬の喜怒哀楽は分かりづらいです。犬好きの方には分かるようですが。 で、犬は基本笑わないそうなんですが、どこかに飢えてやばいときに笑うと書いてました。 私たちの笑いとは少し違いますけど、餓死寸前なら私たちもヒヒヒと吠えるのかも知れません。 栄養が不足し、心拍数が減り、体温が下がり、やがて脳の機能も落ちてくると そのような信号を発するのかも知れません。PCもBIOSの充電池やボタン電池が無くなると ビープ音を発して警告します。そうして私も犬もPCも全機能が停止する事でしょう。 私たちはおおむね死にたくないという感情に支配されます。 犬の感情は分かりませんが、基本生きようとするでしょう。 PCも電池を取り替えるよう機能停止するまで警告音を発するでしょう。 これら3つの現象に決定的な違いがあるのでしょうか? 私自身は、ただ人間の感情を想像出来るという点で分かりやすいだけだと思います。 ようするに複雑さが多いだけで、状況も結果もさほど変わらない気がします。 同じ物で出来ているのであれば、それは組み合わせの多さや複雑さだけの違いとも言えます。 人ならば脳内の物質を脳神経が受け取り、血流を下げ、体温が下がることで鳥肌が立ち それが生命の危険信号であると更に脳が再翻訳して、それは「死の恐怖」であるという判断で 更に脳内物質を発行し…という悪循環を起こしているということだと思います。 それを感情として理解してあげられるのは人だけです。 なんのことはない、私たちが長い年月をかけて作ったお約束みたいなものです。 あれ。一緒のこと言ってる?(笑い) 脳は神格化する必要はありませんが、唯一人との翻訳が可能な器官ですので そういう意味では特別と言っても良いと思いますけど。 性質に話を持って行きますが、最初の素粒子の挙動が性質みたいなものだと思っています。 もちろん、原子や電子の組み合わせで色々な物が出来ているわけですが、 このあたりも水、氷、水蒸気のように、分子の結びつきや運動の違いで色々変化しますから、 それも性質なのかなと。 物理は得意でないのですが、精一杯このように思っています。

yuniko99
質問者

お礼

>性質に話を持って行きますが、最初の素粒子の挙動が性質みたいなものだと思っています 挙動が性質みたいなの と言う事は性質にも動的なものがあるということですね 僕はそれを知りたのです どうもありがとうございます。

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