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第48師団、第71師団

前回同じ質問の言葉の抜けているところを直し、再度、同じタイトルで質問させていただきます。 今度は、第48師団、第71師団についてです 今まで色々質問しました。 お答え下さった方、本当にありがとうございました。 30代師団は、先のお答えより、昭和14年に、28~41師団と計画されていた事がわかりました。 また、特設師団の常設化には、ご批判いただきましたが、新たな文章を発見しました。 復員しなかった特設師団(13、18、104、110、116)の常設化、戦闘師団化の文章を発見しました。 (だから、第18師団は上陸作戦師団に指定されたのですね) 同じく、昭和14年後半に、関東軍後方部隊として、5コ師団が計画された。 これらは、永久的な常設師団で、内地に留守部隊を持たない。 そして21~25の予定であったが、15、17、21~23に改められた。 関東軍には、第23師団が直接配備され、 15、17、21、22師団は、実践訓練を予て、中国戦線に投入された。 しかし、中国戦線の予想外の苦戦の為、関東軍には戻れなくなった。 以上を、発見しました。 ノモンハン事件の第23師団も、編制して日も浅く、後方警備師団であるので、苦戦も肯けました。 さて、そこで本題質問です。 何故、台湾混成旅団を師団昇格の時に、48の数字が選ばれたのでしょうか? また、こん春駐屯隊を師団昇格の時に、71の数字が選ばれたのでしょうか? 数字の問題です。 戦史叢書は読みました。 アジ歴も調べました。 防衛研究所行きは、お断り。 よろしくお願いします。

  • 歴史
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みんなの回答

  • Pinhole-09
  • ベストアンサー率46% (597/1294)
回答No.1

先の答えで、昭和13年末、中国占領地の保安の目的で、 32~41師団が計画され、昭和14年に編成されましたが、 引き続いて内地の防衛強化の目的で、 42~47師団の設置が計画されました。 51~53師団も同じです。 48~50師団は前答とおなじで外地保安が割り込みました。 これは他のように新設でなく改編です。 48師団は台湾混成旅団主体で昭和15年11月30日海南島で 編成されました。 49師団、50師団は遅れて昭和19年、それぞれ、京城、台北で 編成されました。 国内、外地が交互になるよう計画されています。 48番になった理由です。 しかし実施はばらばらで、51~53師団は昭和15~6年ですが 42~47師団は大幅に遅れ昭和18年5月になって編成完了。 第二次世界大戦に参戦してのちの計画と思いますが、 58~70師団は中国戦線向け、 72~90番台の師団は内地の警備ということで、計画成されましたが ここでも割り込みがあります。 66師団の台湾と71師団の満州で、昭和17年4月16日という この中では早い編成のコンパル駐屯軍の71師団への昇格は ソ満東国境重視のためといわれます。 空いていた71番に入れたのです。 内地、中国、外地を交互に入れるのは、お前たちは皆均等に 重要だという意思表示でしょうか。

mm058114
質問者

お礼

再度の為になる、アンサーありがとうございます。 勉強になりました。 40代師団が30代師団に続いて、内地用に計画されたのですよね。 これが、独立歩兵団の師団化計画された番号ですね。 第65旅団が出征して、帰着不能になったから45は欠番なんですよね。 それでは、疑問です。 第61歩兵団は、何番にするつもりだったのでしょうか? 折角、61~67なので、そのまま師団番号に昇格しても良い気がしますが…? また、第48師団編制計画時に49、50も計画されていたのでしょうか? 重ねて、教えていただけたら、幸いです。 いつも、ありがとうございます。

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