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宇宙の彼方からは見た地球はあまりに小さかった

  宇宙の彼方からはやぶさが地球の姿を捉えていた。 それはあまりに小さな世界、ただの砂粒一つに過ぎなかった。 我々人間が生きている世界とはこの小さな点の中に過ぎなかったのである。 この小さな点の中で人間は喜んだり、悲しんだり、争ったりしている訳である。 色即是空空即絶式、この世の全ては無であり空であるとは正にこのことなのであろうか。  

みんなの回答

回答No.1

そこで止まっちゃ~いけない。 そこから、人間・生に帰ってこなければならない。 こんなちっぽけな地球という星に無数の生き物がいるんだよ。 広大無比な宇宙と比べれば塵・芥ほどにもならない、ちっぽけな地球という星に、 その地球に比べれば、また取るに足らないほどの大きさの、アリさんもいれば、象さんもいる、そして、どうしようもないヒトだっているんだよ。 みんな、一生懸命、生きているんだよ。 愛おしいじゃない、涙が出るほど、命って愛おしいものじゃない。 古い日本語で言えば、 「美(うつく)し」じゃない。 ぼくは、そう思うね。

hitonomichi33
質問者

お礼

  色即是空空即是色、この世の全ては無であり空であるとは何を意味するのか。 一つの解釈。 色即是空 → 宇宙の彼方から見た地球はあまりに小さな世界、ただの砂粒一つに過ぎない。 空即是色 → 砂粒一つの中にも我々が知らない広大な世界が広がっているのである。 色即是空空即是色、このように考えれば確かに納得することは出来よう。 涙が出る話ではないが。    

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