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「選挙に行っても意味が無い」と言う意見について

「『10万票 VS 20万票』の所に自分が一票入れても意味ない」とか言う人がいますが、 それは「自分の投票が最後の投票でなお且つ開票前に結果を知れる立場」 を前提にしてしまっていると思います。そんな前提、選挙のルール違反だし、 ルール違反を前提にした意見や議論なんてそれこそ意味がないと思います。 魅力的な党・候補者がいないという意見もあるでしょうが、そういう場合は 投票率を維持するためにも白票を投じるだけでもしておいた方が良いと思います。 あと、これは一つの思考実験ですが、日本人は普通選挙に向いていないのでは ないでしょうか。現在の社会では、宗教・野球の話題と共に、政治の話も同じく 控えるべきだと言われています。 議論が活発でないことに興味を持てと言われても、中々難しいのではないでしょうか。 そういう意味では、「選挙に興味が無い」と言う人の気持ちも分かる気がします。 ※政治の話は控えるべきというのは、日本人が、「その人の意見・価値観」と 「その人の人格」を同一視しがちなところから来ているのではないかなと思います。 つまり、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いということですね。こういうのはもっと変えていっても 良いと思います。 ギリシャみたいに、「選挙の日は皆血気盛んになる為、酒の販売が禁止される」とまで 行くと少し行き過ぎですが… 結論としては、 ・自分が行っても意味が無いなどとルール違反に基づいた意見を言わず、投票するべきである ・魅力的な党・候補者がいないなら、最低でも白票を投じるべきである ・意見・価値観と人格を同一視しない冷静さをもって、皆もっと政治について議論するべきである となります。どなたかご意見いただけないでしょうか。 以上、何卒よろしくお願致します。

noname#213637
noname#213637
  • 政治
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みんなの回答

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15359)
回答No.7

 無駄だと言う人は本当に政治に目を向けているのかと思います。投票する事で立候補者の事をしっかりと知る事が大切だと分かります。  意味が無いというのなら、あなたの存在なんぞ他の人から見れば意味のない存在だと言われたらどう感じるだろう。意味のない生きる意味のない人では無いはずです。一票も同じように意味のないぞんざいではなく意味のある存在だと。あなたが生きているようにと。  まぁ、結果がどうであれ、投票したことにより当選した、落選したという事の意味を考える事にも成ります。当選したのだからこれからも支えるし監視もする。落選したのであれば何が原因だったのかと考える切っ掛けにもなります。    候補者が居ないのなら白票も良いと思ってます。無駄な形にはなりますが、白票や無効票の数も出てきます。そこから何を読み取るのかも大切です。

noname#196237
noname#196237
回答No.6

行った方が良いと思います!

回答No.5

天才政治  翌日、私が彼に会うと、さらに彼は話し始めました。 〈まず初めに、政治と経済の分野について考えてみましょう。  人類の進歩を可能にするのは、どんな種類の人間でしょうか。それは天才たちです。ですから、あなたがたは天才たちを再評価して、彼らが地球を指導するのを可能にする必要があります。  これまで権力を握ってきたのは、他の者より肉体的に力が強い野蛮人、こうした野蛮人をたくさん雇える資産家、希望を振りまいて、民主主義国家の国民の心を巧みに捉える政治家、といった人たちです。そして言うまでもなく、野蛮性を合理化する組織を踏み台にして、自分たちの勝利を勝ち取る軍人たちに、次々と権力を与えてきたのです。  あなたがたが決して権力を与えてこなかった唯一のタイプの人間こそ、人類を進歩させてきた人たちです。車輪や火薬、内燃機関、原子力などを発明した人たちです。こうした天才による平和のための発明は、彼らより知性の劣る権力者が、しばしば殺人のために利用して恩恵を被ってきました。こういうことを変えなければなりません。  そのためには、現在の形態のままでは、人類の進歩にとっては全く相応しくない選挙や、投票のシステムをやめなければなりません。人間は、人類という名の巨大な身体に有用な細胞の一つなのです。 手が、ある物体をつかむべきか否かを決定するのは、足の細胞ではなく頭脳でなければなりません。 そして、もしこの物体が有益なものであれば、足の細胞はその恩恵を被るでしょう。脳もその一部として、身体全体を前進させるように作られているとはいえ、足の細胞が投票をする必要はありませんし、また手が、つかめる物が有益か有害かを判断することはできません。  投票は、知識と知性が等しい場合にのみ確実な効果があります。コペルニクスが大多数の無能な人々によって有罪を宣告されたのは、その時に彼だけが、理解力が十分で高い水準にあったからです。だから教会(多数派)が信じたように、地球が世界の中心であるという主張は間違いでしたし、本当は地球は太陽の周りを公転していて、コペルニクス(少数)の主張が正しかったのです。  もし最初の自動車を走らせる時に、自動車を認めるか否かを全員に投票させていたら、どうなっていたでしょうか。大多数の、自動車に無知で、関心もなかった人々は否定的に反応して、あなたがたは今でも馬車を乗り回していたことでしょう。どうしたら、こういうことをすべて変えられるでしょうか。  現在、心理学者は、個人の知性と適性を評価するテストを作成できるようになっています。幼い頃からこのテストを一貫して行って、個人の勉学の方向づけをし、その個人が責任を持てる年齢になったら、知性指数を最終的に特定して、身分証明書や選挙人名簿に記入するようにするのです。  ある種の公職については、知性指数が平均より、少なくとも五〇パーセント以上の人だけが有資格者とし、知性指数が平均より、少なくとも一〇パーセント以上の人だけが投票できるようにします。 もしこの試験方法が現在あるのなら、今の政治家の多くは、その職務を遂行することはできないでしょう。これこそが完全に民主的なシステムです。  一方では、知性が平均よりも劣っているのに、記憶力が優れているせいでたくさんの資格を取った技術者がいて、他方では、専門家ではないけれども、平均よりも五〇パーセント以上も優れた知性を持つ労働者や農民がいます。あなたがたが俗に「白痴」と呼んでいる人の声が、これからどう投票しようかと熟考している天才の声と同じ価値を持つということは、もう今では実に認めがたいことです。  小さな町の選挙では、公約が素晴らしいからではなく、酒などを一番気前よく振る舞うからといった理由で当選します。だから、まず第一に投票権は、思考力に富み、問題を解決できる頭脳を持った、知性的なエリートだけが持てるようにします。何も、多くを勉強をした者がその人だと言っているわけではありません。大事なことは、天才に権力を与えることです。これをあなたがたは、「天才政治」と呼ぶことができます。  ~~~~~ 統治形態の変遷小史 ■ http://okwave.jp/qa/q8333446.html  ~~~~~ 地域代表者から成る世界天才政治へ向けて  人類の将来を検討するにふさわしい唯一の方法は、問題を世界的スケールで考察することである。  人類はその領域を、部族、村落、地方そして国家へと、次第に拡げてきた。 地域の汚染や核兵器の増大という問題に直面して、知性的な人たちは、これらの諸問題を解決するには「世界政府」を樹立するしかない、ということをいち早く自覚したのである。  この構想は、現職の政治家たちからは非現実的だとけなされる。なぜなら、かれらはそれが実現すると、自分たちがその地位を失うことを知っているからだ。過分の報酬を受けている軍人たちにとっても、事は同じである。かれらも失業するのを恐れているからだ。かれらは、国境が無くなってしまうとき、少なくとも現在理解されているような意味での軍隊は、もはや必要ではなくなってしまうことを、百も承知しているのだ。ところが、かれらを武器を持たずに雇うには、余りにかけはなれた状態にあるので、そのことが奇襲隊の攻撃におびえている者たちを悩ませるのである。  他の者よりも先を見通す天才たちの、こうした現実的な構想を、非現実的だとみなすのはいつも凡人たちである。  非現実的な構想というものは存在しない。存在するのはただ、構想を実現する能力の無い者だけである。  したがって、この「天才政治に基づく世界政府」は、地球上のあらゆる地域を代表する、天才たちによって構成されることになるだろう。これらの地域は、民主的にその境界が定められる必要がある。 ~  したがってまず手始めに、各市町村の住民に、自分たちがどの地域に属すことを望むかを、天才政治の方法に則り投票させる必要がある。こうすれば、あらゆる国家主義的な思考を除いて、各地域の境界を定めることができるようになるだろう。  ~  ■  http://okwave.jp/qa/q8225231.html    Rael 著 天才政治 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  上記に( 地域代表者から成る世界天才政治へ向けて: )、「 地域の汚染や核兵器の増大という問題に直面して、知性的な人たちは、これらの諸問題を解決するには「世界政府」を樹立するしかない、ということをいち早く自覚したのである。」、 と、ありますが、私利私欲な者が支配し、それによる〈 鬼ごっこ 〉軍備増強鬼ごっこ、 そして 地域の汚染 〈 弱肉強食 地域暴力支配 金権腐敗支配 〉が生ずる 世界は、 全滅 することが、示唆されるのではないでしょうか。  さて、現行の選挙問題、上記に( 天才政治 翌日、私が彼に会うと: )、「 これまで権力を握ってきたのは、他の者より肉体的に力が強い野蛮人、こうした野蛮人をたくさん雇える資産家、希望を振りまいて、民主主義国家の国民の心を巧みに捉える政治家、といった人たちです。そして言うまでもなく、野蛮性を合理化する組織を踏み台にして、自分たちの勝利を勝ち取る軍人たちに 」 と、ある。  暴力野蛮人に誘導される選挙は単に腐敗。 野蛮人を雇う資産家に誘導される選挙も腐敗。 希望をえさに国民の心を巧みに捉える政治家に騙される選挙も将来の失態腐敗。 野蛮性を合理化する組織を踏み台とする軍人組織が台頭する選挙 独裁ファシズムか延暦寺の僧兵 驕る平家も久しからず、となるのではないでしょうか。  ( 統治形態の変遷小史: )リンク先に、「 どの世代も、発明家たちを生み出すが、人類という種の生存を危険にさらすために、権力がそれを利用する。そして、こうして利用され裏切られた発明家たちは、自分の発明品が、罪もない人びとを殺りくするために用いられるのを見て、嘆く。 こうしたことは、もう続いてはならない! 」 、 と、ありますが、 前述の腐敗な者たちによる政治統治は、何度革命されても 殺りく だったのではないでしょうか。  「 大多数の、自動車に無知で、関心もなかった人々は否定的に反応して、あなたがたは今でも馬車を乗り回していたことでしょう。 」、 自動車も無く馬車で病人を運ぶ世界など医療の発展も無かったことが予想できますが、「 どうしたら、こういうことをすべて変えられるでしょうか。 」 。  「 人類は、各細胞が各個人に相応する一つの人体にたとえることができる。~  脳の細胞が足の細胞に優越しているのではなく、互いに補いあっているのだ。なぜなら、足の無い脳は自分で動くことができないから生きることができないし、また脳の無い足も、行く方向がわからないから、やはり生きていくことはできないからである。にもかかわらず、愚かな人間というものは、しばしば足でのみ動いているとは言えないだろうか。」 ( 地域代表者から成る世界天才政治へ向けて: )リンク先に、「 天才政治に基づく地域団体の構成 」、「 その地域を代表する一人の議長の選出 」「 その地域に住む発明家の中から十二人を選出して構成される 」が、記されますが、「 この会議は、その地域に直接かかわる諸実施計画を、その団体の投票に付すために提出する任務を負う。 」 その団体の投票も、「 大事なことは、天才に権力を与えることです 」&「 すべての人びとへの恩恵 」 。  現行選挙制度が、人道的天才政治、それを引き出すものへ改革されるか否か となるのでは ?

回答No.4

選挙いって誰かに投票するのも投票しないのも行かないのも自由意志であって 選挙の意味は本人が決めること。 本人が意味がないといってるんだからその人にとっては意味がない、ただそれだけのこと。 かってな理由をでっち上げて、意味不明な屁理屈つけて勝手にルール違反だとか喚いて その上、投票しない人の意見や価値観に勝手な偏見を押し付けてる貴方が 冷静さをもって、もっと政治について議論? せめてもう少し矛盾しないまともな作文しましょうね。

noname#196239
noname#196239
回答No.3

確かに、意味なくないと思います!

回答No.2

Q、「選挙に行っても意味が無い」と言う意見について。 A、その通り。 なぜなら、近視眼的に見れば「今も昔も一緒!」ですからね。でも、私にも信念と意地ってのがありますからね。だから、私は、<意味があろうと、なかろうと>我が一票を行使し続けます。だから・・・。ですよ。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.1

少し、意地悪な突っ込みを入れますね。 1,まず、民主制を否定する意見を持っているひとは   どうなるか、という問題があります。   現行憲法は、基本的には価値相対主義を採っており   民主制を否定する思想も自由です。   ドイツのような戦う民主制を、日本は採っていません。   民主制、そのものを否定する人にとっては   選挙など無意味有害、ということになります。   だから白紙投票も否定するでしょう。 2,選挙をするとき、我々はどの程度候補者のことを   知っているでしょうか。   何も知らないのではないですか。   きれい事だけの演説だけで判断するなど、到底不可能だと思いますが   どうでしょう。   そんな不確実な情報をもとにやる選挙って意味が   あるのでしょうか。 3,政党で選べ、ということも考えられます。   しかし、一昔前までは、知識人達の多くは社会主義を   賞賛していました。   知識人でさえ間違えるのです。   政治や経済の素人である一般選挙民が、どうして正しい   判断ができるのでしょうか。   皆、イメージで投票行動を行っているだけではないですか。   そんな選挙に意味があるのでしょうか。 ”意見・価値観と人格を同一視しない冷静さをもって”     ↑ コレは素晴らしいですね。 私は保守ですが、共産党系の人などとも仲良くしています。 これが出来る人って意外と少ないみたいです。 ”皆もっと政治について議論するべきである”      ↑ 議論して、それで本当に政治がよくなるんですか? 欧米人は議論が好きなようなイメージがありますが、 欧米の政治が、日本よりも優れているとはどうしても 思えません。 治安だって日本の方がよいでしょう。 失業率も低いし。 議論などオナニーに過ぎないのではないですか。

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