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万物斉同の境地だと思う体験・経験

 「老子・荘子」(森三樹三郎著)に、 「昔、憎みあった間柄でも時間を隔てれば懐かしい、 これは万物斉同の境地を一瞬でも垣間見ているのではないか」  のようなことが書いてあるのですが、このような、万物斉同の  境地であったと思う経験や体験がありますか? 私は上記の体験ならあります。

みんなの回答

回答No.3

お礼、ありがとうございます。 ☆ウンコからどうやって斉同を感じられるのですか(笑) ◇そこに「道」があるからです。 前の回答でご紹介したサイトから ─────────  荘子の臨終のとき、弟子たちは手厚く葬りたいと思っていたが、荘子はこう言った「わしは天と地の間の空間を棺おけとし、太陽と月とを一対の副葬の大玉とみなし、群星を祭壇を飾るさまざまな珠玉と考え、万物を送葬の贈り物と見立てている。わしの葬式の道具はもう充分に整っているでないか。どうしてさらに付け加える必要があろう」。  弟子たちは言った「私どもはカラスや鳶が先生の体をついばむのを心配するのです」。  「地上にさらしておけばカラスや鳶の餌食になろうが、地下にうずめればケラや蟻の餌食になる。あちらのものを奪って、こちらに与えるだけだ。どうしてまたえこひいきなことをするのかね」。  人知と言う不公平な尺度で物事を公平にしたとしても、その公平は真の公平でない。知恵者は外物に使役されるものに過ぎず、霊妙な自然を体得した人こそ物と感応してゆくのである。  知恵が自然に及ばない事は昔から決まっているのに、愚か者は自己の見解を頼みとして人間世界の事におぼれこんでいる。その働きはうわべだけのもので、浅はかな事だ。なんと悲しい事でないか。 http://www4.tokai.or.jp/kyuguan/17_36souji.html ─────────

m2150
質問者

お礼

私も荘子みたいに死にたいですね。 日本じゃ無理でしょうけど(笑) どうもありがとうございました。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.2

m2150様、こんばんは。 >「昔、憎みあった間柄」 個人的には、そういうレベルに到達したことが、 無い、ということかと思います。

m2150
質問者

お礼

まぁ、それが理想なんですけど。 ありがとうございます。

回答No.1

こんにちは。 ☆このような、万物斉同の  境地であったと思う経験や体験がありますか? ◇動物好きの私は、動物の営みを見ては、「ヒトと同じなんだな~」と感じてしまいます。 しかし、これでは、まだまだダメなんですよね~。 《ウンコ》でさえ、自身と斉同だと思う境地に達しないと。 ────────────  東郭子(とうかくし・学者)が荘子にたずねた「いわゆる道とはどこにあるものですか」。荘子が答えた「道はあらゆるところにある」。東郭子「どこにあるか指し示してください」。荘子「けら(土中の昆虫)や蟻にある」。東郭子「ずいぶん下等なものにあるのですね」。荘子「しいなや稗(どちらも下級の穀物)にある」。東郭子「ますます下等なものですね」。荘子「瓦や敷き瓦にある」。東郭子「どんどんひどくなる」。 荘子「大便や小便にもある」。東郭子は黙ってしまった。 http://www4.tokai.or.jp/kyuguan/17_26souji.html ──────────── わたしが、そう感じられるレベルは、《ゴキブリ》や生きている《植物》程度なので(笑い)。 引用した、この箇所は非常に有名なので、ご賞翫(しょうがん)あれ!!

m2150
質問者

お礼

ウンコからどうやって斉同を感じられるのですか(笑) 回答ありがとうございます。

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