老荘思想で生きる - 万物斉同の考え方とは

このQ&Aのポイント
  • 最近、老荘思想に興味を持ち、関連本を購入しました。老荘思想の基本的な考え方や万物斉同の概念について理解しました。
  • 老荘思想を実践している人はいるのでしょうか?私自身は万物斉同を完全に実践することは難しいですが、その思想に影響を受けることで心が軽くなりました。
  • 老荘思想の実践については、弟子が思想を実践し、時間の経過と共に変化していく話もあります。私は自分自身の実践方法について悩んでいますが、考え方を大切にすることで生活が豊かになることを感じています。
回答を見る
  • ベストアンサー

老荘思想で生きていく

 私は最近、老荘思想に興味を持ち、関連本をいくつか買いました。   その中でまだ「老子・荘子」(森三樹三郎)しか読んでいませんが、   どういう思想かは、大体わかったと思ってます。      読後は、万物斉同などの考え方で生きるのが楽になった(様な気になっているのかも)のですが        このような老荘の考え方を、少しでも(実践?)している人はいるのでしょうか?       私は万物斉同を徹底できずに、雑編かどこかにあった話のように   老子(荘子?)の弟子が思想を実践し、何年後には俗っぽくなり、また何年後には~    という話のように、むかついたりイラついたり、ぶり返しますが。(弟子は何度も繰り返しません)    でもこれでいいのかなぁと思ってます。

  • m2150
  • お礼率68% (102/148)

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.3

”読後は、万物斉同などの考え方で生きるのが楽になった”      ↑ 論語は成功した人の為のモノで、老荘は落ちこぼれた 人の為のモノだからでしょう。 質問者さんが落ちこぼれだ、というのではありません。 その点誤解しないでくださいね。 ”このような老荘の考え方を、少しでも(実践?)している人はいるのでしょうか?”      ↑ 少しでよいなら幾らでもいるでしょう。 出世など諦めて、じゃなくて出世など目指さず 夫婦二人、年60万しか使わない私などは 少しは実践しているつもりです。 年を食って、先が見えるようになれば老荘は自然と 理解できるようになると思います。 何やったって、どんなに頑張ったって、偉くなっても所詮は 死ぬだけなのが人間よ。 無為で自然に委ねた人生を送るしかないのだ、て 感じですね。

m2150
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。 論語は成功した人の為のモノで、 老荘は落ちこぼれた人の為のモノ 考えれば確かにそうかもしれませんね。 何かの才能や目標が有り、それに対して一生懸命努力している人には老荘の考え方はあっさり受けいれられませんよね。 でもいずれはなるのかなぁ・・・ そうなる前に頑張ってもらいたいです(笑)

その他の回答 (5)

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.6

いいんじゃないですか

m2150
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 まぁいいですよね。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.5

m2150様、こんばんは。 「老荘の考え方を、実践する」とは?

m2150
質問者

お礼

すみません。 Okewve初心者でよく見ず締め切ってしまいました。 ごめんなさい。

m2150
質問者

補足

遅くなって済みません。 例えば万物斉同、全ての事物を等しく見て生きていく、 仇に恩で返す、等です。(これは難しいですね)

noname#189913
noname#189913
回答No.4

<加島祥造>という作家がいます。 ご興味がお有りでしたら、ウィキペディアで調べてみたらいかがでしょう。

m2150
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 まだご存命の方ですね。老子の翻訳は多いということは知っていますが、現代の自由形訳というのは気になりますね。 読んでみようと思います。 晩年に老子を訳したりしている所から、その年齢近くに老子の影響をとても受けているところが感じられて面白いですね。 あ、タオイストって道家のことですか。

  • a_hona
  • ベストアンサー率21% (95/444)
回答No.2

老荘思想だと気がついていなくとも、それに類似した考えで生きて行こうとする人は少なくないと思います。目立たずひっそりと、あえて世間に紛れて生きる。そんな生き方も、老荘風といえばそうと思います。

m2150
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに意識しなくてもそういう生き方をしている人はいると思います。和光同塵ってやつですか。#3の方の言うように先が見えれば自然とそうなるのかもしれませんね。

回答No.1

なかなか興味深いですな

m2150
質問者

補足

どこが興味深いですか? 老荘の考え方、たまにはどうですか?

関連するQ&A

  • 万物斉同の境地だと思う体験・経験

     「老子・荘子」(森三樹三郎著)に、 「昔、憎みあった間柄でも時間を隔てれば懐かしい、 これは万物斉同の境地を一瞬でも垣間見ているのではないか」  のようなことが書いてあるのですが、このような、万物斉同の  境地であったと思う経験や体験がありますか? 私は上記の体験ならあります。

  • 荘子は潜在意識のレベルまで到達していたのですか。

    この方の語っていることは正しいと思われますか? http://www.youtube.com/watch?v=b7ON8eBZsSQ&list=PL4800176BC57F2A6B&...より 今日から老荘思想を説明しようと思います。まずは荘子です。荘子の方が老子よりも分かりやすいのです。荘子は潜在意識のレベルまで到達していたので、前回まで説明していた朱子、王陽明、スピノザという人たちのように顕在意識レベルの道、理に到達していた人よりも内容的に深い、非論理的な文章になっています。この非論理的な文章こそ東洋思想の神髄なのです。潜在意識、無意識レベルのところまで入っていって、そこの曰わく言い難い言葉にならない部分を文章化してきている。こちらに汲み取る能力がないといけないけども、そういう部分を素直に理解できる人には荘子は分かりやすく、スラスラと読めるのです。

  • 老荘は危険思想なのか?

    老荘思想は危険思想なのですか?

  • 儒家思想と老荘思想の違いを教えて下さい。

     儒家思想と、老荘思想は正反対と言われているそうですが、どう違うのですか。簡単に言うとどういうことなのでしょうか。

  • 小論文添削

    次の文章は「機事ある者は必ず機心あり」という荘子(中国古代の思想家)の言葉をもとに書かれた文章の一部である。これを読んで後の設問に答えなさい。 孔子の弟子である子規が旅の途中で、汗にまみれながら畑を耕している老人に会った。老人は井戸から瓶に水を汲み、えっちらおっちら畑に運んでいる。労力ばかりかかって、いっこうに能率があがらない。子規は見かねて、 「水汲みなら、はねつるべという便利な機械がある。それを使えばわずかな労力で簡単に水を汲み出すことができますよ」と教えてやった。すると老人は、「それくらい知っているさ。だが、機械を持っていると、機会を使う仕事(機事)が増える。そうなると、機械に頼る気持ち(機心)が生まれて ますますそれに頼ろうとするだろう。機会に頼るばかりになってしまったら、一体どこに人間の精神が残るというのかね。私は道具を知らずに使わないのではない。そんなものを使うことで精神が汚れるのがいやなのさ。」と答えた。荘子に書かれた話であるが、もちろん実話ではない。真理というものは孔子が説く儒教に、ではなく、老子の道の教えにこそある、とする創作である。だから荘子の中で、孔子とその弟子たちは道をわきまえぬ未熟者、といった調子で書かれている。 それにしても機事ある者は必ず機心あり。とは、現代人に対する重大な警告ではなかろうか。チャップリンは映画モダンタイムスで全てが機械化されぬく現代文明を風刺したが荘子のこの物語が書かれたのは二千年以上前のことなのだ! 人間は大変非力な生き物だその力を補うため道具を生み出してきた。それにより文明や文化が創造されたのだ。人間の歴史は常に機械の発明、発達史とともにあった。いや、道具や機会の発達こそが人間史を織りなしてきたというべきであろう。 ではなぜ、人間は道具を発明してきたのか。何より自然から身を守るため、生活の糧を得るためだ。次に自分の肉体を使う日々の労働から解放されて楽をしたい、という欲求のゆえだった。どうして楽をしたいのか。もっと心豊かにしたい、と考えたからである。それには生きていくための労働を最小限にとどめ、それによって得た時間を人生の愉しみに当てるようにしなければならない。そこで、人間は必死になってより便利な道具や機械を発明してきたのだ。 ところがどうだろう。その結果皮肉なことに荘子が説いた機心がふくらんで、人間は機械に頼るばかりになり、そのあげく、生活はいっそう忙しくなっていった。そして、人間の精神はいよいよ貧しくなってしまったのである。 設問 本文で筆者は「機事ある者は、必ず機心あり」という言葉は「現代人に対する重大な警告」だと述べている。本文の内容を踏まえた上で、その言葉を現代社会の問題に関連づけて考察し心豊か生きるためにはどのようなことが必要か、あなたの考えを書きなさい。 ただし、次の言葉を2つ以上使うこと。 便利さ、ゆとり、情報、科学技術、消費社会、環境 私の論文 道具や機械の発達こそが人類史を織りなしてきたと、筆者がいうように私達人間の暮らしは機械に頼っている。私は人間が心豊かに生きるためには機械ばかりに頼ってはいけないと考える。 私は調べたいものがある時、ネットで検索する。これも機械に頼っていると言えるだろう。しかしこの時私はそのサイトに載っている情報しか得ることができない。ではネットを利用しない方法ではどうなるのか。例えば気になるニュースがあれば実際現地まで行く。すると近所の人から多くの情報かつ、正確な情報が聞ける。機会を使うよりこちらの方が機会に頼らず謎が解決できる。多くの意見を聞くことで心は豊かになるはずだ。 私達は機会の便利さに負け人間の精神を狭めて生きている。心豊かに生きるためには多少の苦労をしてでも機械にあまり頼らないことだ。多くの意見を聞くことで考えの幅を広げることができるからである。

  • (論語) 「天」は「神」で有りや無しや。

    資料1 森 三樹三郎著「天命について」 ~、儒家者流のうちに宿命観的な気分が濃厚に流れていたことになる。その淵源は、おそらく孔子自身のうちに、或いは論語そのもののうちに、求めなければならないであろう。およそ神なき道徳の立場は、多少の程度の差こそあれ、必ず宿命論を招くものである。~ 資料2 任 継愈ほか著、滝野邦雄訳「唯心論的天命観」 ~。老子は自然無為の天道観をはじめて系統立て、唯物論や無神論の考え方をさらに高度な段階に引きあげた。当時、天が最高の人格神であるという地位を否定することは、直接的には宗教的な学説を批判することであり、間接的には~ 資料1には「神なき道徳の立場」とあることから、著者は「天」を「神」ではないと認識しているやに読めます。一方、資料2には「天が最高の人格神であるという地位」とあることから、著者は「天」を「神」だと認識しているやに読めます。宗教学の立場からみるとき、孔子の言う「天」を「神」に分類してはいけないのですか。分類してよいとき、孔子を尊崇している教団には「天」が「神」と呼ばれることを不愉快に思うなどの事情がありますか。 宗教学や思想界、乃至は教団の考え方が分かる程度の解説を希望します。 よろしくお願いします。

  • Jw-cad の図形リストが表示できません。

    ちょっと古いのですが、2001年発行のJw-cad for windows 徹底解説・操作編で勉強しているのですが、132ページに出ている設備機器の図形ファイル(図形01・建築1)が表示できません。緑字で書かれている対処法も実践したのですがどうしてもダメです。フォルダツリーには(【図形01】・建築1)のフォルダがあるのですが、クリックおよびダブルクリックしても図形が表示されません。 因みにバージョンは、最新の5.02aをダウンロードして使っています。これが原因かなとも思うのですが。 お解りになる方いらしゃいましたら、宜しくお願いします。

  • 英作文はどう勉強すればいい?

    来年に大学受験を控えた高校2年の者です。 聞いた話ではZ会の「英作文のトレーニング実践編」などの解答を覚えてしまうなど聞きますが、どうでしょうか。 自分で練った答案を誰かに添削してもらうのをひたすら繰り返すのがいいのでしょうか。 また、和文英訳の勉強は自由英作文の力の強化にもなりますか。

  • 「自然」という言葉は仏教の言葉でなく、老荘の思想からきたって本当?

    よく、明治時代に"nature"の訳語として、自然という言葉が使われたといいますが、この言葉はもともと仏教ではなくて老荘の思想からでてきた言葉と言う先生がいます。これは本当でしょうか? 根拠を教えて下さい。それとも間違っているのでしょうか?

  • 老荘思想で考えると、社会変革を行う人はタオを理解

    していないということになりませんか? 老子は「無為自然」「上善は水の如し」と説きます。 それはすなわち現状を肯定して現状を所与のものとして 波風立てないで生きるということではないのですか? どうも出発点は違いますが近頃の若者像と重なります。 どなたか老荘思想に詳しい方、教えて下さい。