- 締切済み
院生が感じる論文指導教授の恐怖心
- 修士課程2年の文系院生が質問しました。論文の進捗が全く進まず、指導教授の厳しい指摘に不安と恐怖心を感じています。
- 教授からの言葉にひどく傷つき、心が折れそうになっています。自分自身の研究の進め方もわからず、教授に相談することもできません。
- さらに、面談や報告の際には頭が真っ白になり、支離滅裂な発言をしてしまい、自分を責めています。教授との関係が冷たくなっているように感じることもあり、プラス思考になるためのアイディアを求めています。
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
みんなの回答
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
少し休みましょう、休学の形で。貴方の質問文を読んでいて気になる点は「~ねばならない」との強迫観念に取り憑かれるだけで、その「~ねばならない」との課題と自らの現状の間に横たわる溝に気付いていないとの部分です。 指導教員の前で背伸びしてはいませんか?。このテーマならばこの論文に行き着くことは自然であるとのアドバイスを受け容れることができないほど、貴方は自らが研鑽に励んでいるとお考えでしょうか。残念ながら僕にはその様に見えません。 そうした不足している部分を指摘してくれるのですから、これほどありがたい助言も他にはないでしょう。それが出来ないのであれば、貴方自身の実力で教員を論破するなり、学会誌で論文発表して教員と対等に議論できるだけのクオリティを示すかの何れかでしかないでしょう。 >でもとにかく怖くて怖くて… 何か自分の庇護者を求めているかのような印象がありますが、院ならばそれこそサバイバル・マッチの世界です。自分で開けて入れとの言葉がある歴史学概論の書物の最後にありますが、一人で切り拓いていくしかない世界です。もちろんそのためのアドバイザーとして教員がいますが、教員を研究者の一人としてカウントするならば貴方と同じ立場です。院生も教員もありません。机を並べて勉強する仲間と考えてた方がよいでしょう。それまでにヒエラルヒッシュでガチガチな世界でもありません。もし貴方の様にお考えであるならば、それは相手が権威に胡座をかいて殿上人的な形で接しているイジメと変わりもしない形になりますから。それなりに筋の通っている議論ができるならば、相手を尊重します。筋が通っていないならば、ここの部分をもう少し勉強して下さいとお話しもします。それを貴方は悉く退けてきたのではないでしょうか。 >あなたの論文なんだから基本的には論文探しも自己責任で、論文だって自分で探し出せなきゃどうしようもないでしょ これは極めてオーソドックスな方法であって、論文を自分で探すのは既に学部の卒論で勉強してきている事項に含まれる基本ともいえます。それを別の方法で、などといっているのでは単なる甘えとしか映りません。それができないから教員側としても、コイツは聴く耳満たないヤツだなと判断してしまう可能性も多分にありえます。何か御自身の耳触りの良い回答をお求めのようですが、それこそが貴方の抱えている最大の問題ともいえます。 別に今年度中に修論なり博論を提出せねばならないとの期限が設けられているわけでもなさそうですし、肩の力を抜くことも大切ですよ。悪いことは言いませんから、一年休学して、アルバイトで学習塾や予備校の講師をお務めになってみませんか?。 何がわからないのか、どこがわからないのかを分析する作業が仕事の始まりですから、そうした労作的な療法でコミュニケーションを構築していくことをお勧めします。頭が良いことと地頭がよいことは別問題です。
- customarr
- ベストアンサー率21% (35/165)
何か感じた事を書けばいいのですよね、質問者を追い詰めない条件を満たしながら(その条件を満たせない人らでも大学院の指導教官)。 指導教官が怖い、というのが現実社会的にどうなのかです。 カルトじゃないですか。カルトは、ウンコみたいな教祖の説法に震え上がる人らの世界ですよね。ご自身でどう思われますか。教祖の方は最初から教会や教義という嘘を馬鹿にしているかもしれないというのに(真面目ではなく馬鹿にしているズル野郎だから出世できたのに)。 あなたを震え上がらせる大学教授は何万人いるのですか。日本の人口は一億人以上いるらしいです。教員の一人二人に精神支配されている、あなたに客観性がありますか。客観性のない人が学位を取ることをあなたは認めるのですか。 私からは、あなたのおびえは、あなたがおかしいからではなくてむしろ正常だから、カルトにかかわる矛盾に対して無意識的におびえているのでは、と応援の言葉を差し上げます。カルトごときにびびるのは迷信に弱い人らです。カルトにびびらないのは教祖と真の科学者です。 大学も現実社会の中に存在するわけですが、現実社会に生きているはずの人が、大学教員ごときにびびっているようでは、なのでは。つまりは、あなたの精神を拘束する洗脳状態的な視野狭窄を建設的に克服するためにはどうしたらいいか、それぐらいの事を考えられない人らが学位を取得したところでカルト証明書ですよ。外部の人と接触される事です。自分が上納中のカルト信者だという仮定にされて、脱出するゲームです。私のようなのを拒絶するのが信者なのです。安倍晋三信者しかりです。私は現実的ですよ、現実美化や神格化(自己正当化のよりどころ作り)を目的に思考しませんから。
- sibamasa
- ベストアンサー率0% (0/1)
博士です。 修士でその状況とは結構厳しい教授なんですね。お願いですから、身体の事を第一に考えてください。あなたあっての研究です。 私は過去にストレス的に無理をし過ぎました。結果、今その事で心身的に少し辛い思いをしています。 そんなにきちんとした論文を書く事を背負い込まないで。もしも満足の行く結果にならなくなって、それはそれなりなんとでもなります。 もし、「自分の為」の論文でなくなった時は私の言葉を思い出してください。 退くという選択肢がある事を忘れないでください。 気持ちの両立が出来る事を陰ながら祈ります。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10024/12548)
私はNo.1さんのご意見に共感していますが、質問者様とよく似た経歴を持つものとして、当時を振り返って、つまり、自分の経験から(やはり修論で小さからぬつまずきがありました)、お答えしたいと思います。 >いつの頃からか心のどこかに「教授への恐怖心」が深い深いところに定着して、どうしようもありません。 >少しでもプラス思考に考えられるアイディアをほしいです。 ⇒自分自身の考え・意見・主張・結論・「売り」をしっかり持つようにするといいと思います。そうやって、自信が持てると、何も怖くなくなりますよ。そのためにお勧めしたいことは、大まかに次の2つの方法があります。 A. 「演繹的」な方法で論文を構想する (1) 修論執筆に向けて準備してきたことを総点検する。まずは「己を知る」ことが大事ですね。 (2) その中で何が分かったか、何が分かりそうかを考える。整理・推理・分析・総合する作業が論文作成の基本だと思います。 (3) そこから自分独自の意見や可能な結論を「仮想」する。「自分」が出せないと論文になりません。 (4) その仮想を現実化するために不足する部分を資料の当って補足する。それが、参考文献ですね。 (5) 論文の流れや結論部を再点検し、全体の組み立てや章立てを考える。 (6) 草案を文章化する。その際、目次→その中の、各章や各節の概略→各章や各節の本文→注や参考文献→前書や後書、の順に進めるのも1つの方法かもしれません。 B. 「帰納的」な方法で論文を構想する (1) 先行論文を読みあさる。 (2) それらのうち、同一または類似のテーマを扱ったものを比較する。 (3) その論文間で違いや矛盾を発見したら、そこに「つけ入って」、その究明を自分のテーマとする。 (4) あるいは、どの論文でも扱われていない、いわば「欠落がある」ことに思い当たれば、それを取り上げてもよい。 (5) 上の(3)(4)について、自分の考え、すなわち、「違いや矛盾」の吟味と判決、「欠落部」の必要性やその補充案をまとめる。 (6) 上の(5)で得られたものを結論として、草案を書く。その際、(1)(2)(3)(5)または(1)(2)(4)(5)のいずれかの順を追って、その経過と実践内容および自分の考えを有り体に綴る。(読者がそれを追体験できるように。) (7) 全体の組み立て以降は、A.の(6)に準じて行う。 上記2つの方法のうち、A.法は多分にNo.1さんのご意見と共通していると思います。B.法は、論文をよく読む人が使う手法です。この方法は、引用が多くなりがちです(その際は必ず出典を明示します)が、「間テキスト性」の充実を目指しましょう。つまり、ただ単にコピペをつなぐだけではもちろんダメで、その間に「自分の考え」や「独自の意見」や「自前の結論」がしっかり入っていれば、それなりの付加価値を添えることができるわけです。 とにかく、よく読んで、よく考えましょう。『論語』にこうあります。「学びて思わざればすなわち暗し。思いて学ばざればすなわち危うし」、と。何よりも、こうして「自分のもの」を引っさげて教授の前に登場した暁には、きっと「頑張りましたね!」と言ってくれるものと思います。ご健闘をお祈りします。
- yuuri-k
- ベストアンサー率30% (90/295)
とりあえず、お茶でもどおぞ(*^-')ノ旦 『本当は、研究そのものの進め方というか、どのように自分がしたいかを研究し、論文としてまとめていけるのか、未だはっきりしません』 全ての原因は、ここだと思います。教授が優しいとか厳しいとか、関係なく。 教授が紹介してくれた文献は、読んでみましたか?(*^-')何かヒントがある可能性があるので読んでみましょう。今はわからないかもしれないけど、いずれ必要になるなら読んでおいても損はないと思いますよ。 その上で、書けないことは承知していますが『論文を書いてみて』ください。 論文の書き方は、小論文の書き方みたいなのがあるので参考にするといいかもしれないです。構成の仕方とか。論文を書く時にした構成は、残しておくとリメイク等をする時に考えやすいと思います。 教授や誰かに見せる訳ではないし、グダグダであっても構いません。書いてみると、この論文を書くには何が足りないかがわかるハズです。 で、そのわからないことをまずは文献であたりましょう。大学の図書館、公共の図書館、検索等使えるものを使って、論文を書いてわからなかったことや、質問者さんが主張したいことの裏付けとなる資料を集めましょう。 文献って言われても、どうしたら…。という場合は、公共の図書館を利用するといいですよ(*^-')受付で『○○について調べたい』ことを伝えれば、こういう本があります。と教えてくれます。 本に参考文献が乗っていればチェックです。教授が紹介してくれた文献もチェック(^-^)/ 最初に戻る。 情報を整理しながら、足りないところや、わからないところを頭に入れた上で、動くようにしたらいいですよ(´・ω・)ノ★ 煮詰まった時は、いろいろなやり方があると思うけど、教授が今回紹介してくれた文献を基本にしてたらいいと思いますよ。 ・見落としや勘違い、思いこみ等がないかチェック。・関係文献をチェック。 ・そのテーマに沿って今までとは違う角度で考えてみる。 ・多角的に考える。 ・発想を転換してみる等。教授に聞くという方法もあるけど、自分なりにきちんと調査研究し考えた上で『ここが、わからないんです』みたいにもっていった方がいいと思いますよ。 面談は、メモとかノートみたいなものはもちこめないの?もちこめるなら、要点等をメモしたり、ノートを補助にしたりとか。 もちこめないなら、イメトレ等でもいいと思いますよ。自分が考えてもいないことを聞かれたら、研究不足をお詫びした上で、お時間をいただきたいことを伝えればいいと思いますよ(´・ω・) がんばってくださいね。 ストレス解消を上手にして乗りきっていきましょう(*^-')b
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
とりあえず 心療内科 なり 学内の心理カウンセラーなりに行く。 本人が支離滅裂と認識して、他人が読んでも支離滅裂なんだから、文章内容に基づいての判断なり回答なんて出来ない。
「自分の才能のなさ,頭のわるさに絶望する」というならわかりますけど。その点については,なにも書いてありませんね。
手段が目的化している時点で、病状が重篤ですな。 就職しても同じような事になるのが目に浮かびます。 心療内科の専門医に相談しましょう。まあ、やる事 やっていないからツッコミ入れられる。それだけでしょw 自説の正当性をプレゼンできなければ、小保方と大差ない。 あれ、恥ずかしくない? 恐怖心より羞恥心の問題ですな。
- ShirokumaX
- ベストアンサー率31% (290/932)
なんとなくわかる気がします。 私は院には進んでませんが、学部時代に、単位関係ないところでラテン語を教わっていた先生がいました。ギリシャ・ローマの時代に精通しており、古代ギリシャ語も堪能で、岩波の「プラトン全集」の翻訳者に名前を連ねていらっしゃいます。もう亡くなりましたが。 誰もが受けなければいけない授業は、本当に簡単、言い換えればお座なりでした。最後の講義に出席して、先生のおっしゃることをノートに書いていくんです。そのとおりのことをレポート用紙に書いて提出すれば単位認定でした。マスエデュケーションには全く期待していない、そういう先生でした。 しかし、それ以上に食らいついてくる学生には容赦なかったんです。質問者様の先生のようにきついことを言うわけではないのですが、「これくらいのことは当然わかってるものとして話を進めるよ」のレベルが非常に高く、ついていくのが大変でした。 その先生の本当の専門は古代ローマ、私は古代ギリシャということで若干路線が違いましたので、授業外でラテン語を教わったのが、その先生の「本当の怖さ」を知るほぼ唯一の機会だったのですが、卒論のテーマに古代ローマを選んで、その先生に卒論指導を受けることになった学生は本当に大変だったそうです。 という話はそういう話ということで。 ご質問を拝読して、質問者様が「本当に何を書きたいのかまだ自分の中ではっきりしてない」という点は、突っ込まれる大きな一因になっている気がします。 実は私は、いま小説の執筆にチャレンジしています。書けたら文学賞に応募するつもりです。恥ずかしいのでどの文学賞に応募するとかは言えませんが。 アイデアが浮かび、それをこれこれこういうふうなストーリーに仕立てて、こういうオチにしよう、と考えます(オチという言葉が正しいかどうかわかりませんが、私は自分の小説を大層なものだと思ってはいないので「フィナーレ」とかそういう言葉は使いたくありません)。 それを、いきなり作品にできる作家さんは、まあいないと思います。マンガ家さんもそうですが、まず「プロット」というものを書くのです。砕いて言えば「あらすじ」カッコつければ「設計図」です。 プロットを書いているうちに、自分の中でストーリーが練れてない部分、リアリティを出すための情報収集が足りてない部分、プロットを書き出して初めてまとまってきたストーリーもありますし、どうしても書けないところは資料が足りてなかったりします。 私は作品はワープロ打ちしますが、プロットもワープロ打ちします。プロットの段階で詰まったら、図書館に行って資料を探したりします。そこで思いついたストーリーをメモに残したりもします。いわば「プロットのプロット」です。 小説と論文は違うところもあるかもしれませんが、こういうことをこういう筋書きに則って述べてこういう結末にしたい、という意図で書くものであるという点では共通していると思います。 一回、文献を探すことを離れて、こういうことをこういう論旨に則って述べてこういう結末を導きたい、というプロットを書いてみてはどうでしょうか。プロットは、最終的に人に見せる作品とは違いますので、自分がわかりやすいように書けます。私の場合は、目安として最終的な作品の分量の100分の1、つまり最終的に原稿用紙500枚になるものならプロットは原稿用紙5枚、というような感じですが、自分のために書く自分しか読まない文章ですので、そこは自由にやってます。 プロットを書いてみて、頭の中では思いつかなかった流れが出てくる場合もありますし、どうしても書けないところはやっぱり詰めが甘いので資料の調べ直しをしたりします。調べなおして他の部分に手を入れるというようなこともしょっちゅうあります。書いているうちに、ああ自分はこういうことが書きたかったんだ、と判明したりすることも多々あります。 プロット書きは、いわばこれまでの蓄積の中から浮かび上がってきた「ぼんやりとしたアイデア」を頼りに、無意識の中で構築されたストーリーを意識の中に顕在化させる作業です。院に行って勉強はしてきていて、それなりの蓄積はあるはずなのですから、ぼんやりとした構想が出てきさえすれば、それを引っ張り上げれば無意識の中で構築された論旨は顕在化できると思うんです。小説と決定的に違うのは、書くことに資料の裏付けが必要だということでしょう。顕在化できていれば、必要な資料はこういう資料だとわかるはずですので、それを当たればいいと思います。もし自分の中で出来た論旨(要するにプロット)と資料でどうしても整合性が取れなければ、それを踏まえてまたプロットを練り直す。 自分が何をしたいかまだわかってないから、資料に振り回されたり、突っ込まれるのが怖くなったりするんだと思います。まずは何を書きたいのかはっきりさせましょう。プロットを書くのは非常に有効な手段です。