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日本の神様ってデタラメですか?

熱田神宮のお守りをひとつ買って身につけて、天津祝詞(あまつのりと)を唱えていたりしていたのですが、 日蓮正宗(にちれんしょうしゅう)に入信して信心をしている従姉妹のお姉さんから、 「熱田神宮に祭られている神ってなにか知ってる?」 と聞かれたので、 「熱田大神(あつたのおおかみ)と、天照大神(あまてらすおおみかみ)と日本武尊(やまとたけるのみこと)とその奥様と…もう一柱の名前が書かれていました」 と答えたら、 「それね、昔の政治の関係で、でっちあげられた神なの。日本武尊も架空の人物だし、だからその奥様も架空の人物なのね。そういうデタラメの神様をあがめていると、あなたの魂に「魔」が入ってきちゃうのよ」 と言い、私の持ってるお守りを預からせて、と言うので、イヤだったけどまた買えばいいや、と預かってもらうことにしました。 昔、政(まつりごと)の関係で、神様を作った…というか、もともとある自然のもの、太陽とか月とかに名前をつけて、神として崇め奉った…というのは聞いたことがありますが、日本の神様ってデタラメなんでしょうか? 日本武尊とその奥様は架空の人物というのは本当ですか? 私としては自然神信仰は、自然なことのように思います。 また、これは余談ですが、 世の中には私の知人にはいないだけで、感覚のとても鋭い、シャーマン的な力を持ってる人もいるのではないかと思っています。 神気という言葉のその「神気」というものを感じることができる人や、神と交流をとれる人… そういう人達が集まっている場所、団体などもあるのではないかと… そういう人たちから見たら、天照大神とか日本神話に出てくる神様は、「いる」と言えるのかなぁとか考えてみたりしました。 頭が悪いので、難しい説明だと理解できませんので、わかりやすくお答えいただけると嬉しいです。 よろしくお願いしますm(__)m

  • sion99
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  • JACO1011
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回答No.18

ここはあんまり対話モードになると、掲示板じゃないんだからって削除されることがあるんですが(笑) 私はもう三十路なんで、あんまり人生哲学的なことで悩まなくなりましたが、学生の頃なんかは懊悩していましたねー。友達と真剣になって哲学的な話をしてた頃が懐かしい。 正しいと思ったら宗教でもカルトでものめってみたらいいと思います。 霊的なもの、精神、魂、といったものの説明に、大昔はフロイトとかユングがブームでした。ちょっと前は脳が流行りました。 偏らないように、そういうのもちょっと齧ってみていいと思います。 結論が出なくて良いことはたくさんあります。 私の友達のことだって、普段いっしょに遊んでるぶんには、きわめて常識的で現実的でバランス感覚が良くて頭もいい人間なんで、デタラメとか妄想じゃなさそうだ。と、私が推測しているだけです。 実は、嘘じゃないにしても、その友達が霊的な現象の話をしている部分だけは幻覚を見たり妄想を抱いているだけなのかもしれない。という可能性も、どこかで排除しているわけじゃないです。 その友達が言っていることは絶対に正しい、と思っているわけじゃありません。正しそうな気がする、と、私が思ってるだけです。 もっと言うと、私自身に100%正しいことを見抜ける能力があると思っていません。そもそも100%正しいことなんかあるのかどうか知りませんが。 結論を出そうとして考えるんですが、出された結論とか結論が出なかったことよりも、考えているプロセス自体のほうが重要かもしれないと思うこともあります。 最終的にはですね、人間ていうのは、好きなことしかしないんだと思います。自殺も含めて。世の中は自分の思い通りになりませんが、自分自身のことについては、取り得るいくつかの選択肢の中から、自分の好きなことを選択しています。 「親に強制されてイヤイヤ進路を選んだ」なんて人もいますが、その人は自分で好きな進路を選ぶという選択よりも親に従うという選択を取ったんです。 だからどんな風に考えたり、どんな道を選ぶにしても、「自分は間違っているかもしれない」ということ、全的に間違いとか全的に正しいということはないにしても、自分に間違った部分があるかもしれないということ。 それと、「自分は好きでそれをやってるんだ」ということ、どんなに不遇でもいつでも何かの選択肢は必ずあって、自分は好きな方を選んでるんだということ。 こういうことを忘れないで下さい。 私は神様を信じている人の多くを、あまり好きじゃありませんが、それは「神様は絶対に正しい」ということを基準にして考えているからです。神様が絶対正しいなんてことをどうやったら理解できるんですか。 「私は神様が大好きなので死ぬまでついていきます!」っていう神様論者がいたら、そういう考え方は大好きです。

sion99
質問者

お礼

JACO1011さん、またお答えくださってありがとうございます。 「ガラスの仮面」で有名な、美内すずえさんの「宇宙神霊記」と「アマテラス」を読んだら、「神様は巨大な気の塊」「神様は感謝するものであって、崇め奉るものではない」と書いてありました。 それになんだか納得しました。 「好き」ではなくても、「私にやれる、やれそうなほう」を選ぶことはできますよね。 結局は、自分が選んでいるのですよね。 神様でも間違いをすることはあると思います。 そして、私は、熱田神宮という場所はとても好きだけど、その御祭神が好きというわけではないことに気づきました。 ありがとうございました。m(_ _)m

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  • mmmmho
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回答No.7

#6のものですが、長くなるので分けましたが、シャーマンについてですが・・・シャーマンという言い方が妥当かどうか別として、一般的な能力とは違うものを持っていたり、感じたりする人はたくさんいると思います。ただ、それだけで恐れたり、敬ったりする必要もないと思います。一部の押し付けがましい能力を売りにして稼いでいる人や自分が神の使いであるかのようにハーレムを作る新興宗教やら・・・不愉快極まりないですね。 私の知っている方は生きているとしたらすでに90歳を越えているかと思いますが、若いときから修験者として修行されてきたそうです。生まれた時からそのような能力があるからそのような道を選ばれたのでしょう・・・普通に結婚し、子どもを育てられて、能力故に困っている方や苦しんでいる方に頼まれれば、ご自身の感じる範囲、見える範囲でアドバイスをされていました。看板を出しているわけでもありませんでしたが、人伝えで毎日、何人もの人が訪れていました。私も子どもの頃から不思議な体験を多くし、18歳の頃、家族も驚く現象に遭い、近所だったその方に母が心配して見てもらうことがありました。 なぜ、そのような現象があったり、なかったり、わかりませんが、ひとつ言えるのは、本当に恐れを知っている人は世の中が批判するような行動をしないということだと思います。皆、信じるままに平凡に暮らしているものです。

sion99
質問者

お礼

そういう力を持つ人がやっぱりいらっしゃるんですね。 残念ながら、私にはそういうひとの知人はいなくて… そういう人が知人にいたら、いろいろご意見が聞けるのに…なぜか私の知り合いにはいないんですよね。 人は、食べて住んでいかなくてはならないから、その能力だけを発揮して生きていくのであれば、それでお金を(一般的な収入分だけ)稼ぐのは、悪いことではないと思っているほうです。 無償だと、こちらはありがたいですが… そうですね、生活には仏の教えって根付いているところ、ありますね。 お答えくださって、ありがとうございました。

  • mmmmho
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回答No.6

日本の神様がだれそれ・・・ということは、いろいろな学者や宗教家がいろいろなことを言っているので、知識として知ることはどなたでもできます。 ただ、イデオロギーが入っていたり、こじつけ的な結論も多いと聞きますので、あまり、気にしていません。つまり、神社に書いてある云われを真摯に読むだけです。 日本人の信仰感は良いものと思っています。作物が実ることに感謝し、万物に精霊を感じる。また、仏教では、生き物への慈悲や、死んだものへの畏敬の念。その両方を持ち合わせて信仰することは人として自然なことと思いますし、そのような国に生まれ、先祖が信仰してきたのですから、そのように思うわけです。 理屈では計れないものです。 よく親から帽子を投げ捨てるだけで、頭にかぶるものを粗末にするな!とか、ご飯粒を1つ残してもお百姓さんに済まない!などと言われたものですが、宗教感に起因するものと感じております。

sion99
質問者

お礼

仏教では、生き物への慈悲や死んだものへの畏敬の念を教えているのですね。 従姉妹の、日蓮上人と法華経のみが正しいというような意見が、どうにも納得いかないのですが、従姉妹を説得できる意見が、私には言えなくて… お答え、ありがとうございましたm(_ _)m

noname#7263
noname#7263
回答No.5

このテの話は、誰がどんな理屈をつけて言おうが全てデタラメです。 ただ、デタラメが全て「悪」であるとは言い切れないのが「信心」です。 だから、信じたければ信じればいいし、それは個人の自由でいい事で 同様に、信じたくなければ信じなくていい事でもあるのです。 間違いは、それを他人に押し付けようとする事です。 「貴方の神」と「私の神」は違うんです。 それと、こうした話は「信じること」が全てであって「理解しようとすること」ではありません。 それを勘違いした人達が間違いを証明しようとしたりするから話がややこしくなるんです。 信じたら疑わない、疑いがあったら近寄らない。 それ以上でも、それ以下でもありません。

sion99
質問者

お礼

この手の話は、誰がどんな理屈をつけて言おうがデタラメですか… 確かに、従姉妹の「日蓮さんが正しくて、お題目の力が正しい」という、それのみ信じなさい、という考え、教えは、なんだか疑問を感じます。 それだけが正しいわけではないだろう、と… お答えくださってありがとうございました。 m(__)m

noname#6297
noname#6297
回答No.4

宇宙を作ったのが神だと思うのですが。 他の神は実在してもしなくても「人間」なので、神ではないはずですが…

sion99
質問者

お礼

宇宙を作ったのが神という考えは私も持っています。 で、地球を作ったのも神で、だから国という土地を作ったのも神で… 生き物を作ったのも神… お答えくださって、ありがとうございました。

noname#251407
noname#251407
回答No.3

「神は我が心にあり」です   「鰯の頭も信心から」とも云われます。 「神」がいると思えばいるし、いないと思えばいない でしょう。 「神気」というものを感じることができる人   周り(姉妹と生前の母)に居ます。(本人は言います)    若干他人より感覚が鋭いだけだと思います。

sion99
質問者

お礼

「鰯の頭も信心から…」 それを従姉妹に話したら、またいろいろと言われて私は迷ってしまうのでしょう。^^; ご家族が神気を感じることができる人、やっぱりいるのですね。 お答えくださって、ありがとうございました。 m(__)m

  • cliomaxi
  • ベストアンサー率33% (2921/8736)
回答No.2

「神」が実在の人物である必要はあるのでしょうか?(神を人物と呼ぶ時点でおかしいですけど。以下同) ゼウスやポセイドンの神話があるからと云って彼らが存在した証拠はありませんしね。 神話ですから実在しても架空の人物でも何の問題もないと思うのですが。(実在の人物が後世の人たちにより「神格化」にされる事は多いですから、実在したとしても、神話に残るような行いをした訳ではないかもしれませんしね。 キリストは実在し、ヤハウェ(神)の子ですが、神ではありません。 ヤハウェは実在の人物ではありません。 日本には元々「八百万の神」と云って生きとし生けるものすべてに神が宿ると考えられてきました。 キリスト教等の一神教はこの多神教を強く非難します。 私はこの手の(心霊だの神の力だの)ことを信じている人たちでも、古代の医療が「呪術」等で行っていた事を「現実的でない」と思っている事。(そうでなければ病院に行かないはず) 逆に(本当か嘘かは別として)新聞沙汰になる新興宗教等で死体を放置し「蘇りの儀式だった」と云っても信じずに「ひどい事をするもんだ」と思ってるのが不思議です。

sion99
質問者

お礼

そうですね… 日本武尊が架空の人物であっても問題ない…ですね。 神話は神話であって、実際に起こった出来事ではなくてもいいのですよね。 あくまで、「話」であると。 ただ、そういう人の手によって作られた神様を信じて信仰してるのは、やはり従姉妹の言うように、よろしくないことなのかな?と思い始めました。 うーん、古代の医療は、今の時代から見れば、確かに現実的でないと思ってしまいます。 でも、病院に行っても治療の見込みが無いものが、(本当かうそか確認したことは無いですが)、誰かに手かざししてもらって治った…という話も聞くので、古代の医療もひとつの医療なんだなとも思いました。 お答え、ありがとうございました。m(__)m

  • shio12
  • ベストアンサー率22% (5/22)
回答No.1

質問の意図が分りかねるのですが・・・ という前置きを置かせていただくので、見当ちがいな意見を述べていたらお許しください。 日本神道は、日本独自の且つ日本に土着の宗教であります。その一番の特色は、様々な神様が、複合的に関係つけられている事だと私は思います。その中に唯一絶対神はいない。かつ、外来の神様も受け入れる土壌を持っている事だと思います。 仏教が日本に伝来したときも、仏という神様が遠くにいらっしゃるという感覚だったのだと思います。宗教界の力関係の中で、神が先だ仏が先だといった議論になってしまったり、どっちがどっちの化身だといった、つまらない話になったりもしたようですが、神仏習合という形で、今でもあいまいなまま明確な区別なく祭られているところもあります。 キリストさえ、向こうの神様として、多くの神様の中の一人として扱われていたこともあるようです。 自然発生的なかつ都市型ではない宗教であり、多神教であり、誤解を恐れずに言えばある意味、議論の枠外に存在する宗教だとも思っています。議論の枠外というのは、唯一絶対神としてのイデオロギーを持たないためにそれらとの宗教論争になっても、議論の前提が違うために議論になりえないという意味です。劣っているとか勝っているとかそういったことではありません。 また誤解を恐れずに言えば、日本神道は宗教でありながら、神話的です。その意味ではギリシャ神話にも似ています。 日本の神様は、優れているところもあれば、劣っているところもある。特殊な能力も持てば、暴れん坊だったり、気まぐれだったり、忘れ性だったり、嫉妬深かったり、無邪気だったり・・・。おおよそ人間の持つ特性を神様も備えている。 日本神道の源泉は、そういう生命力に他ならないと思っています。それは言葉を変えれば「神気」ともいえます。神社には、ご神体があります。それは岩であったり木であったり滝であったり、山であったり、そういった自然のものです。その自然に何らかのものを感じることが出来るかどうかだと思います。 古代の人々は今の人々よりも自然の中で生活し、自然とともにいき、自然は自身の一部として生きていたと思います。それゆえ、自然に対し、霊的あるいは神的ものを感応する能力が今の人々より敏感且つ多大にあったと思います。 シャーマニズムというのもありますが、シャーマン(以後便宜上「巫女」といいます)は、そういった自然との感能力の優れていた人々をさすのだと思います。巫女は、きっと雨を降らすことも、嵐を鎮めることも出来たと私は信じています。そういい自然と一体となった特殊な能力というものを私は否定しません。 (これは余談ですが私も微力ながら、小さな雲を消すことは出来ます。花を咲かすことも出来ます。枯れかけた草木をよみがえらせることも出来ます。体のゆがみや心のゆがみを直すことも出来ます。食べるものを美味しいといってもらえるように調理することも出来ます。人に喜んでもらえることが出来ます。ですが勿論私は巫女ではありません。性別は男ですし・・・) 誰にだってその人には出来ることがあります。その意味ではそのそれぞれが神です。世の中いろんな神様の集まりです。出会う人すべてが神様です。いろんな性格のいろんな気性の神様がいます。時には神様同士喧嘩もします。 それがテロになったり、大きな戦争になったり、出口の見えない占領になってしまう気も知れません。 でもそれは他の神様を認めないからです。他の神様のその人格(神格というほうが正しいでしょうか)をみとめれば、戦争はおきません。無駄な血は流されません。日本神道の根本は、他の神様を否定しないことです。 あなたの従姉妹があなたの信じる神様を否定され、あなたがあなたの信じる神様を信じる限り、否定は否定を生み、その連鎖は果てしなく繰り返されてしまうかもしれません。それが結局戦争にってしまうのかもしれません。 たとえ否定されようとも、少なくとも自分は他の神様を否定しないという気持ちは持たなくてはならないと思います。おなじように、自分の意見と違うからといって他の人を否定してはならない。否定は否定の連鎖を生む。 肯定はネガティブな連鎖を生み得ない。と私は信じています。 とりとめもなく綴りました。 ご参考になれば幸いです。

sion99
質問者

お礼

こんな質問にも丁寧にお答えくださって、ありがとうございます。m(_ _)m 質問の意図がわからないということで、こちらもどう言ってよいか…困ってしまいました。 私は、神様は今は天上、または天界と言われるところに存在していて、その神力・神気が地上に与えられて来ているのだと思っていて… 神社というのは、そういう力が満ち溢れていたり、また、神様に自分の気持ちを伝えられる場所と思っています。 日本の神様は、もともと存在しているものに、人があとからわかりやすく名前をつけただけのこと…と思っていたのです。 でも従姉妹の「祭られている神様はデタラメ」という言葉に対して、否定も肯定もできなかったのです。 日本神道の根本は、他の神様を否定しないことなんですね。 従姉妹は、お釈迦様が、生まれてくることを予言したと言われる日蓮さんを信じ、お題目(法華経)の力のみ信じなさい、それが正しいから…ということのようです。 私は、従姉妹の言う日蓮さんもお題目の力も否定しませんが、日蓮さんと法華経だけが正しい…という考え(日蓮正宗の教え?)が、疑問ではあります。 私自身に神気を感じる力はないようです。 でも、満月(と思われる)日の、曇りの日に「満月が見たい」と、風に頼むように20分くらいお祈りし続けたら、じゅうたんのように敷き詰められた雲が、満月を中心として丸く切り取ったように、ぽっかり穴が空いた…という経験が何度かあります。 それで、風の神様や精霊ってやっぱりいる…と思ったことがあります。 お答えいただき、ありがとうございました。

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