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CIAがどのようなものか詳しく知りたいです。

dai0029390の回答

回答No.2

アメリカはベトナム南部占領の前に、CIAによってインドネシアで血まみれの大虐殺を指揮した。 いくつかの偶然によってインドネシア政治を主導する立場に立つことになった スカルノ という人物により、インドネシア共和国は植民地支配から脱することとなっていった。その後も支配下にあったもののスカルノのもとで、インドネシアは、政治的、経済的、軍事的にも植民地支配を克服へと動いて行った。 スカルノは他のアジア諸国の植民地支配脱却へも積極的に協力をした。宗教信仰者、民族主義者、社会主義者を含んだ 統一戦線とともに歩むことになった。それらは植民地支配から独立した 国々の集まりで、インドネシアも解放を求めその運動へも参画した。その後も続いたこうした動きは、アメリカを激怒させることになった。 インドネシアは 最大のイスラム国家であったこと、インドネシアが豊富な原油資源を所有しており他の共産主義系国家へエネルギー資源供給を行ったことなどがアメリカが目の敵にした主な理由であった。 スカルノは平和的な議会制の下での社会主義を追求するという方針をとっていた。しかしそのことはアメリカを始め、それをよく思わない勢力にとって御し易い獲物であることでもあった。 アメリカ政府はスカルノ政権を倒すため、テログループを組織し破壊活動に乗り出した。CIAなどの工作機関を通じてフィリピン軍を手引きしたり、右翼反共主義者の 謀議による反乱を煽動したり、植民地支配下にある国々を束ね傀儡政権を作り暴動を指揮するなどし、いくつかのクーデターを実行した。しかしスカルノはこれらの暗殺計画や暴動の阻止に成功した。 アメリカ政府は、インドネシアへの陰謀、破壊活動、経済制裁などを、さらに強めていった。その援助を増強し、インドネシア軍内部にもトロイの木馬が仕掛けられ勢力を成長させていった。CIA工作員たちは民間企業などにおいて、破壊活動を助長する 目的の組織化を続けた。 血まみれのクーデターへ向け、イエズス会の司祭でCIAの諜報員でもあった神父が、インドネシア学生による KAMI集団を結成し、各地において 反社会主義運動を開始した。このときインドネシア軍上層部は、全体としては 親スカルノ派であった。 その彼らを 一掃し、同時に虐殺を実行するため、CIAは仕掛けたトロイの木馬を動かして、1965年クーデターの実行と共にスカルノ系の将軍らを殺害した。 「インドネシアを救うために~~を撲滅しなければならない」こういった政治広告は、公然と行う虐殺を正当化するために、アメリカが繰り返し行ってきたロジックである。そしてその度に数十万人以上が死亡する虐殺が行われている。 アメリカは CIAなどの工作機関を用いることでインドネシアにおいて、最終的には300万にのぼるとされる、恐るべき大量殺人へと導いた。KAMI集団は1965年の赤狩りを表題とした大虐殺において重要な位置を占めていた。 インドネシア人に認められていた平等主義やその権利を破壊するため、反共主義者たちは反中国人を中心としたヒステリーと人種差別主義者の狂乱を駆り立て、それはインドネシア群島の村から村、島から島へと伝播し、この虐殺から逃れることはできなかった。 CIAが用意したリストを手に反共主義者たちは、その周辺関係者などを一人残らず捕まえては即座に殺害した。農民、一般労働者、知識階級の政治家、男女子どもを問わず、無差別に虐殺がおこなわれた。 軍に殺されなかった数万を越える人々でも、牢獄へと引きたてられ沈黙のうちに朽ちはてた。多くの人がそこで亡くなり、生き残った者も投獄されたままとなった。インドネシア国民の知財や人材、すべての痕跡が抹殺されたことによって、その後多くの年月にわたって、政府運営が困難に陥るなどし、そのため教師や公務員をフィリピンから輸入するまでに至った。 世界のマスメディアは、この件にまったく注目することはなかった。アメリカ政府は一貫して関与を否定し続け、「国家の安全」を理由にこれを機密扱いとした。 映画「アクト・オブ・キリング」なども参考にどうぞ。

noname#197443
質問者

お礼

回答ありがとうございました! 紹介してくださった映画、観てみます。 色々と勉強してみます。