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ヴィクトル・スタルヒンが日本一の大投手でしょうか
ヴィクトル・スタルヒンというのが日本の野球史上最高の大投手なのでしょうか。
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- あずき なな(@azuki-7)
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まぁ 右投手なら間違いなく スタルヒンは日本初の300勝投手 シーズン最多勝利記録(42勝)はたぶん抜かれることは無いでしょう それと豊富な変化球の数 「七色の魔球を操る男」と呼ばれました
しらない。40年前、うーんと速いたま、やった、おれも、かすか、みえないくらいの、はやいたまならば、こうほ、やきゆやらないできないが。はやいたまはやった、二塁から、∟。いま、できるやつは、1人も、いない、じつは、ごく簡単。なんでおれのまねしないんだ、こうはくせんとかさ、練習とかさ、ばっていんぐぴちや、おたがいわかりあってやりあうとかさ。170km/hはなたれ小僧にしておいた、簡単。すりんぐしょっと、ひじまげるの、おもいっきりひじまげはじめる、ほぼどうじわずかおくれてかたからおもいっきりまわす。やさしいは、小学校6年とき1度しかやってねえが、わざとばかでかい雪かたまりつくった、じめんから、両手で、よっこらしょもちあげあっちへ両手で、とばして命中。ひじまげはじめる、ほぼどうじ、わずか、おくれてかたからまわす。もしかしたら、こつ、わかるかも。おればあいなら、再現だけ目的投げたとたんあたまなかわかった、すりんぐしょっと、ひじまげるかんじのやれば、あとちっとんべだけ、強いちから、空中たまに加えられるぞが。ついでだから、なげるたび、二塁のほうへ、きょりのばすことにした、さんきゆ目、もうちからいれすぎ、ゆびぐにや、ひたまりひじしたにみぎやかゆびひとさしゆびおしてみな、ゆびぐにや、かんじそよなか。次は、二塁から、∟。さいご、ひとさしゆびつけねでおす、ずしんとしょうげきかんじる、ひだりななめうえみたあたまがくがくがくしんどうな回転あたえた。あたまがくがくがくしんどうおさまった頃、たまは、みぎばたあたりか、突然垂直3m1瞬落ちひざたかさまで、そこから、直角曲がる、直角じょうぎみたいに、右水平3m1瞬とぶ。たまは、きやちやと、みぎばたの、あいだ、ひざたかさ、右水平1瞬とぶ。ためしに、かくじ、やってみれば、できるやつは1人もいない。ひだりひじしたに、ゆび、ゆびぐにや、そんなかんじか、そこまでは、へつうくらいやつなら簡単できる。いま、おれ、7kgゆびぐにや。そこより、なんきろちからまでは、ふつうは、ごく簡単いける。
- onshirazu
- ベストアンサー率0% (0/0)
日本一の大投手という概念をどこに持って行くかによって変わるとは思います。 もちろんスタルヒンもその候補の1人であるでしょうし、通算400勝の金田正一もそうでしょう。 私は稲尾和久投手だと思います。シーズン42勝はスタルヒンと並ぶ最多記録です。テスト入団で打撃投手を当初はやっていた稲尾さんがのちに「神様、仏様、稲尾様」とまで言われることになります(日本シリーズでのことですが)。西鉄の先輩大打者の中西太選手や豊田泰光選手が認め、三原監督に起用を進言したくらいの投手です。通算勝利数は276勝も後半には故障があり、故障の状態が良くなった時に「黒い霧事件」が発覚。八百長に絡んだ選手は西鉄の選手が圧倒的に多く、中西監督は引責辞任。現役を続けたかった稲尾投手に監督の打診が来て、それを受け引退することになりました。のちに稲尾さん本人が言っていたのは、球団に「現役を続けたいので、監督はお断りします」に対し球団は「それじゃ、どちらもやればいいじゃないか」だったと。稲尾さんは「それは無理です」と現役に未練を残しての引退となりました。この当時はパ・リーグに大打者が多く、相手チームの選手達には大毎の山内一弘、榎本喜八、葛城隆雄、南海の野村克也、東映の張本勲、近鉄のブルームなどとの対戦で残してきた数字です。通算防御率は1.98。
- uniquepro
- ベストアンサー率50% (347/681)
今現在に限れば、やはり前人未到・今後達成不可能な400勝投手金田正一の一択でしょう。 ただ、それでもスタルヒンの名前が出る理由は、おそらく「まだ続けていたら…」という仮定からだと思います。死に方が非業の死そのものでしたから。その辺は、今でも日本人でも屈指の評価を受けるボクシングWBA世界フライ級王者・大場政夫や、生きていればあの石原裕次郎の名声にも影響が出たと言われる若き名優・赤木圭一郎なども同様の評価になると思います。奇しくもスタルヒンも含めてこの3人、自動車事故で夭折してるわけです。 スタルヒンは亡くなったとき40歳、そこからの成績云々は言わないことにして。それでも、当時の世情・環境を考えれば、黎明期から現代まですべての選手をひっくるめて日本一は誰か、というのは…数字だけを評価基準にしない限り、誰にも答えは出せないと思います。特に戦前・戦後直後までの職業野球選手のポテンシャルを測れるだけの資料・映像はほとんど存在しませんから。 ただはっきり言えるのは、現代のトップの投手(ダルでもマー君でもマエケンでも)をポン、と戦前野球界に放り込んだとしても、ろくに使えないのは間違いありません。捕手の捕球技術の進歩だけは、年代が新しい者ほど圧倒的ですから。おそらく投げた変化球の半分以上はポロリとなってしまうでしょう。 ※ろくに防具もミットもない当時にあの速球&変化球を体で止める度胸は、きっと誰も持てなかったはず。
- 19740
- ベストアンサー率2% (6/204)
やはり400勝投手金田正一でしょう